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KKコンビの「カセ」と「もしも」

2008-12-26 18:02:15 | 野球

23日の「カリスマ白書 第二章」は「KKコンビのドラフト事件真相」となっていた。

ドラフト事件とは、昭和60年の秋。友人の清原和博を裏切って、桑田真澄が密約の末巨人入りしたと言われる、有名なゴタゴタである。何を今更そんな昔のこと、とは思うけど、二人が引退したことで「今なら」とマスコミが殺到してるのかも。

本当に密約はあったの? というところは「禁断のタブーをひもとく」と謳っている割にはよくわからなかった。まあ、あってもなくても、こういった交渉ごとでは巨人はあまり品があるとは思えない気がするけれど

そもそも、選手本人が就職先の球団を選べないというドラフト。「桑田と清原の友情にひび」という悲劇のドラマは、その制約があってこそ成り立つものだった。こういう制約を「カセ」と言う、と、シナリオ学校で習った

つまり、例えば、飛行機のハイジャックなら空の上なので逃げ場がなく連絡の取りようがない、とか。また、戦国時代なら武将の戦略のために結婚が行われるため個人の気持ちは二の次、とか。そういう「カセ」の中、登場人物達はどうなるのか、どうするのか。そこにドラマが生まれる、というわけ。

けれど、昨今はいつでもどこでもケータイで連絡が取れてしまうし、価値観が多様化している現代は、結婚だろうが不倫だろうが何でもありの世の中。ドラマシナリオはすごく作りにくくなっている、らしい。最近時代物のドラマが増えたのは、そのせいもあると思う。

KKコンビの話で言えば、現在は大学進学かプロ志望かの届けを出さなくちゃならないので、桑田のように早稲田進学と見せかけて巨人の単独指名(と当時騒がれた)、という技はできない。つまりこのカセももう使えない――ドラマを書くときには。

時代を敢えてその頃においてドラマを書くとすれば、現在と通じる点を作らないと見る側に受け入れられにくい。だとすると、ストレートに感情を出すタイプと寡黙なタイプの友人が、こんな風にすれ違っていくこともある――というところを主に持ってくると、できそうかも

当時、巨人からの一位指名を確信していたストレートタイプの清原の落胆ぶりは可哀想だった。それでも必死でインタビューに誠実に応える姿が気の毒だった。

寡黙タイプの桑田も真相は不明のまま悪役に転落したが、何と言っても当時は17歳。好きな球団に入れる裏技とか言われたら、乗ってしまったかもしれない。

「プロでも一緒のチームでプレイしたいね」と言いつつも、二人が共に抜きんでた才能を持っていたが為にそれは不可能だった。一位指名しかあり得ない二人だったからこそ起きた悲劇。もしどちらかの下位指名がありだったならば。もしも二人の学年が一つ違っていたとしたら――。

などと、「もしも」がいろいろと膨らんでいく題材でもある。ドラマを書くにはそれも大切と言われた覚えもある。いずれHPでそんな話をUPしてみたいと思います。

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