アズ・セイフ・アズ・イエスタデイ・イズ As Safe As Yesterday Is
【歌・演奏】
ハンブル・パイ/Humble Pie
【リリース】
1969年8月
【録 音】
1969年 オリンピック・スタジオ(ロンドン)
【プロデューサー】
アンディ・ジョンズ/Andy Johns
【マスタリング・エンジニア】
デイヴ・クロフォード/Dave Crawford
【レーベル】
イミディエイト・レコード/Immediate Records
【収 録 曲】
side:A
① デスペレイション 6:28
Mother Nature(John Kay)
② スティック・シフト 2:22
Call It a Day(Peter Frampton)
③ バター・ミルク・ボーイ 4:22
Butter Milk Boy(Steve Marriott)
④ グロウイング・クローサー 3:12
Growing Closer(Ian McLagan)
⑤ アズ・セイフ・アズ・イエスタデイ・イズ 6:06
As Safe as Yesterday Is(Steve Marriott, Peter Frampton)
side:B
⑥ バン! 3:24
Bang!(Steve Marriott)
⑦ アラバマ'69 4:37
Alabama '69(Steve Marriott)
⑧ アイル・ゴー・アローン 6:17
I'll Go Alone(Peter Frampton)
⑨ ア・ニフティ・リトル・ナンバー・ライク・ユー 6:11
A Nifty Little Number Like You(Steve Marriott)
⑩ ホワット・ユー・ウィル 4:20
What You Will(Steve Marriott)
【録音メンバー】
◆ハンブル・パイ
スティーヴ・マリオット/Steve Marriott(vocals①~⑩, guitars①③⑤⑥⑨⑩, acoustic-guitar⑦, slide-guitar②, organ②③⑤⑨⑩, piano⑥, harmonica④⑦, tablas④)
ピーター・フランプトン/Peter Frampton(vocals①~⑩, guitars①②③④⑤⑥⑧⑨⑩, slide-guitar⑦, organ①, piano③⑧⑩, tablas⑤⑦)
グレッグ・リドリー/Greg Ridley(bass①~⑩, percussions⑤, vocals①③④⑤⑥⑦⑩)
ジェリー・シャーリー/Jerry Shirley(drums①②③④⑤⑥⑧⑨⑩, percussions④⑤⑦, tabla⑦, harpsichord⑧, piano⑤)
◆ゲスト・ミュージシャン
リン・ドブソン/Lyn Dobson(flute④⑦, sitar④)
【チャート】
1969年週間アルバム・チャート イギリス32位 オランダ6位
【メ モ】
ハンブル・パイのファースト・アルバム。全英アルバム・チャートでの最高位は、1969年9月6日付の32位である。
同時期にリリースされたデビュー・シングル「Natural Born Bugie」(邦題「あいつ」)は全英シングル・チャート最高4位のヒットを記録した。この曲はもともとマリオットがスモール・フェイセスのために書いたものである。アルバムのアメリカ盤は、「Natural Born Bugie」を「Natural Born Woman」と改題し、「グロウイング・クローサー」と差し替えて収録している。
①「デスペレイション」はステッペン・ウルフのカヴァーである。
カール・レイドル Carl Radle
【本 名】
カール・ディーン・レイドル/Carl Dean Radle
【パート】
ベース
【生没年月日】
1942年6月18日~1980年5月30日(37歳没)
【出身地】
アメリカ合衆国オクラホマ州タルサ
【経歴】
ゲイリー・ルイス&ザ・プレイボーイズ/Gary Lewis & the Playboys(1965~1967)
カラーズ/Colourss(1968)
デラニー&ボニー&フレンズ/Delaney & Bonnie & Friends(1969~1970)
マッド・ドッグス&イングリッシュメン/Mad Dogs & Englishman(1970)
デレク&ザ・ドミノス/Derek & The Dominos(1970~1971)
エリック・クラプトン&ヒズ・バンド/Eric Clapton & His Band(1974~1979)
カール・レイドルは、アメリカ合衆国のベーシストである。
1960年代後半から1970年代にかけて、セッション・ミュージシャンとして活躍。1970年代はデレク&ザ・ドミノスを含め、エリック・クラプトンのベーシストとして彼を支えたことでも知られている。
レイドルはオクラホマ州タルサで生まれた。生年月日は1942年6月18日で、これはポール・マッカートニーと全く同じである。
1960年代初頭に活動を始めたレイドルは、レオン・ラッセル、デヴィッド・ゲイツ、J. J. ケイルなど地元タルサのミュージシャンたちと親交を深めるようになった。やがてレオン・ラッセルはカリフォルニア州に移住し、ラッセルに声をかけられたレイドルもその後を追うようにしてカリフォルニアに移った。
カリフォルニアでのレイドルはクラブなどで演奏していたが、その後タルサに戻ってオクラホマ州空軍所属の州兵となる。
1965年に除隊すると、再びカリフォルニアに行き、同年ゲイリー・ルイス&ザ・プレイボーイズにベーシストとして加入。
1967年にゲイリー・ルイスが徴兵されると、レイドルはセッション・ミュージシャンとして活動するようになり、ジョン・リー・フッカーのレコーディングに参加した。1968年にはまたサイケデリック系のカルト・バンド「カラーズ」のメンバーとなり、2枚のアルバムに参加している。
1968年、レイドルはレオン・ラッセルの紹介でデラニーとボニー・ブラムレットに出会った。
同年に行なわれたデラニー&ボニーのアルバム「ホーム」の録音に参加したレイドルは、デラニー&ボニーのツアー・バンドの一員となる。
1969年11月、ブラインド・フェイスから離れたエリック・クラプトンがデラニー&ボニーに参加する。レイドルとクラプトンの長きにわたる関係はここから始まる。
レイドルはさっそくクラプトンのファースト・ソロ・アルバム「エリック・クラプトン・ソロ」の録音に参加。またデラニー&ボニーの「Get Ourselves Together」と「Never Ending Song of Love」をクラプトンと共作している。
クラプトンが加わったデラニー&ボニーは、1969年11月から1970年3月までヨーロッパ、およびアメリカ・ツアーを行っているが、この時のツアー・バンドのメンバーが、レイドルをはじめ、のちデレク&ザ・ドミノスのメンバーとなるボビー・ウィットロック、ジム・ゴードンらである。
このツアーにおける1969年12月のサウス・ロンドンでのライヴは、1970年3月にデラニー&ボニー&フレンズ名義で「オン・ツアー・ウィズ・エリック・クラプトン」としてリリースされている。
1970年、デラニー&ボニーのバンドが一時的に活動を停止したため、レイドルはバンドから離れてジョー・コッカーのバンド「マッド・ドッグス&イングリッシュメン」のツアー・メンバーとなった。1970年3月には、ニューヨークのフィルモア・イーストで行われたライヴ・レコーディングに参加している。
1970年4月、クラプトンとウィットロックは、イギリスでジャム・セッションを行うようになった。クラプトンは新たなバンドを結成しようと考えるようになり、アメリカにいたレイドルとゴードンに連絡を取った。ちょうどこの時期(1970年5月)、レイドル、クラプトン、ウィットロック、ゴードンの4人は、そろってジョージ・ハリスンのアルバム「オール・シングス・マスト・パス」のレコーディングに参加していた。この後4人はクラプトンの家に同居し、作曲とセッションに打ち込むようになった。こうしてクラプトンの新バンド「デレク&ザ・ドミノス」結成への動きは加速し、一時期デイヴ・メイスンが加わって5人編成となったバンドは、1970年6月14日にロンドンのライシアム劇場で初ライヴ行った。
デレク&ザ・ドミノスは、デュアン・オールマンがゲスト参加したファースト・アルバム「いとしのレイラ」を1970年11月に発表。トム・ダウドは「レイ・チャールズの「The Genius of Ray Charles」以来、自分が関わった中で最高のアルバムだ」と述べたほど音楽的には素晴らしい内容だったが、アルバムに対する評価は思わしいものではなかった。「レイラ」の商業的な失敗に加え、デュアン・オールマンの死がクラプトンを精神的に追い詰めた。バンド内の緊張感も途切れ、デレク&ザ・ドミノスは1971年に解散する。
デレク&ザ・ドミノス解散前後の1970年から1972年頃にかけてのレイドルはセッション・ワークで多忙な日々を送る。デイヴ・メイスン、J. J. ケイル、ジョージ・ハリスン、ジョー・コッカー、レオン・ラッセル、ボブ・ディラン、バディ・ガイ、アート・ガーファンクル、デュアン・オールマン、ジョン・リー・フッカー、ボビー・ウィットロック、リタ・クーリッジ、クリス・クリストファースンなど多くのミュージシャンのレコーディングやツアーに参加している。
1970年8月1日には、レオン・ラッセルやエリック・クラプトンとともに、ジョージ・ハリスンとラヴィ・シャンカールがニューヨークのマディソン・スクエア・ガーデンで行った慈善コンサート「バングラディシュ難民救済コンサート」に出演している。
1969年に始まったレイドルとエリック・クラプトンの交流は、クラプトンがデレク&ザ・ドミノス解散後の1971年から休養に入ったため、3年ほど表面上は中断していたが、その間もレイドルはクラプトンに、ともにレコーディングを行ったミュージシャン達の音源を提供している。
1974年にアルバム「461 オーシャン・ブールヴァード」でクラプトンが再始動した際には、ベーシストとして録音に参加したほか、「マザーレス・チルドレン」など数曲ではアレンジャーを務め、単なるサイドマン以上の役割を果たした。またアルバム「ノー・リーズン・トゥ・クライ」では共同プロデューサーとしてクラプトンを支えている。
レイドルは、1970年から1979年までのクラプトンの全てのソロ・アルバムに参加しているほか、1974年から1979年までは彼のツアー・バンドのベーシストを務めた。
そのほか、デイヴ・メイスンのアルバム「アローン・トゥゲザー」のほか、セルジオ・メンデスとブラジル77、ドノヴァン、プラスチック・オノ・バンド、マーク・ベノ、ドクター・ジョンなど、多くのミュージシャンと共演している。
1976年にはザ・バンドの解散コンサートに出演したが、その模様は1978年の映画「ラスト・ワルツ」で見ることができる。
1979年、クラプトンは新しいサウンドを求めてバンドを解散した。その後レイドルはタルサに戻って暮らしていたが、1980年5月30日、アルコールと薬物の過剰摂取による腎不全のため、オクラホマ州クレアモアの自宅で、37歳の若さで死去した。
そのキャリアを通じて、レイドルは数多くの名作の録音に参加した。レイドルは1970年代最高のベーシストのひとりに数えられており、彼のシンプルではあるが歌心に満ちたベース・ラインは常にサウンド全体を支え、曲をサポートすることを最優先とした堅実な演奏は、共演した多くのミュージシャンすべてから尊敬を集めた。
2006年には、オクラホマ音楽の殿堂入りを果たしている。
【ディスコグラフィ】(☆=ライヴ・アルバム ★=コンピレーション・アルバム)
<カラーズ>
1968年 Colours
<デレク&ザ・ドミノス>
1970年 いとしのレイラ/layla and Other Assorted Love Songs(US16位)
☆1973年 イン・コンサート/In Concert(US20位)
1990年 レイラ・セッションズ/The Layla Sessions:20th Anniversary Edition(US157位)
☆1994年 ライヴ・アット・ザ・フィルモア/Live at the Fillmore ※録音1970年10月
<エリック・クラプトン>
1970年 エリック・クラプトン・ソロ/Eric Clapton(US13位, UK14位)
1974年 461 オーシャン・ブールヴァード/461 Ocean Boulevard(US1位, UK3位)
1975年 安息の地を求めて/There's One in Every Crowd(US21位, UK15位)
☆1975年 エリック・クラプトン・ライヴ/E.C. Was Here(US20位, UK14位)
1976年 ノー・リーズン・トゥ・クライ/No Reason to Cry(US15位, UK8位)
1977年 スロウハンド/Slowhand(US2位, UK23位)
1978年 バックレス/Backless(US8位, UK18位)
<レコーディング・セッション>
1970年 オール・シングス・マスト・パス(ジョージ・ハリスン)(US1位, UK1位)
1970年 アローン・トゥゲザー/Alone Together(デイヴ・メイスン/Dave Mason)(US22位)
1971年 レオン・ラッセル & ザ・シェルター・ピープル/Leon Russell and the Shelter People(レオン・ラッセル/Leon Russell)(US17位, UK29位)
1971年 Naturally(J. J. ケイル/J. J. Cale)(US51位)
1972年 カーニー/Carney(レオン・ラッセル/Leon Russell)(US2位)
1972年 ザ・レディース・ノット・フォー・セール/The Lady's Not for Sale(リタ・クーリッジ/Rita Coolidge)(US46位)
1973年 レオン・ライヴ!!/Leon Live(レオン・ラッセル/Leon Russell)(US9位)
1973年 ハンク・ウィルソンズ・バック/Hank Wilson's Back(レオン・ラッセル/Leon Russell)(US28位)
1973年 天使の歌声/Angel Clare(アート・ガーファンクル/Art Garfunkel)(US5位, UK14位)
1973年 イッツ・ライク・ユー・ネヴァー・レフト/It's Like You Never Left(デイヴ・メイスン/Dave Mason)(US25位)
1974年 ストップ・オール・ザット・ジャズ/Stop All That Jazz(レオン・ラッセル/Leon Russell)(US34位)
1975年 ジョージ・ハリスン帝国/Extra Texture(ジョージ・ハリスン)(US8位, UK16位)
☆1975年 ライヴ・イン・ジャパン/Live in Japan(レオン・ラッセル/Leon Russell)
1975年 ウィル・オ・ザ・ウィスプ/Will O'the Wisp(レオン・ラッセル/Leon Russell)(US30位)
1979年 5(J. J. ケイル/J. J. Cale)(US136位, UK40位)
グレン・フライ Glenn Frey
【本 名】
Glenn Lewis Frey
【パート】
ヴォーカル、ギター、キーボード、ハーモニカ、ドラムス、パーカッション
【生没年月日】
1948年11月6日~2016年1月18日(67歳没)
【出身地】
アメリカ合衆国ミシガン州デトロイト
【経歴】
マッシュルームズ/Mashrooms(1967)
ヘヴィ・メタル・キッズ/Heavy Metal Kids(1967)
ロングブランチ・ペニーホィッスル/Longbranch Pennywhistle(1968~1969)
リンダ・ロンシュタット&ハー・バンド/Linda Ronstadt & Her Band(1970~1971)
イーグルス/Eagles(1971~1982)
イーグルス/Eagles(1994~2016)
グレン・フライは、アメリカ合衆国のヴォーカリスト、ギタリスト、コンポーザー。
アメリカン・ロック史上屈指の人気バンド、イーグルスの創設メンバーにしてリーダーである。
フライはデトロイトで生まれ、近くのロイヤルオークで育った。
5歳からピアノのレッスンを受け、その後ギターに転向する。
1966年にドンデロ高校を卒業したフライは、オークランド・コミュニティ・カレッジに通いながら、地元のバンド「ザ・フォー・オブ・アス」に加入して、デトロイトのロック・シーンで活動するようになる。
フライは、ザ・フォー・オブ・アスで演奏しながらハーモニーを付けて歌うことを学び、1967年に「マッシュルームズ」を結成する。マッシュルームズのシングルのプロデュースを担当したのは、当時デトロイトのロック・ヒーローとして活躍していたボブ・シーガーである。フライとシーガーはこの年に出会ったのだが、彼らの友情は終生続くことになる。
1967年後半には、ジェフ・バロウズ(piano)、ジェフ・アルボレル(bass)、ポール・ケルコース(guitar)、ランス・ディッカーソン(drums)とともに「ヘヴィ・メタル・キッズ」を結成。
1968年、ボブ・シーガーの初期のヒット曲「Ramblin' Gamblin' Man」にアコースティック・ギターとバッキング・ヴォーカルで参加。これがフライの初めてのレコーディング・セッションだった。
この年ロサンゼルスに移ったフライはJ.D.サウザーと知り合い、ルーム・メイトとなる。ふたりは「ロングブランチ・ペニーホィッスル」というデュオを組み、1969年にアルバム「Longbranch Pennywhistle」を発表したが、まったく売れなかった。フライはこの時期ジャクソン・ブラウンとも知り合っている。
1970年、フライはドン・ヘンリーと知り合う。エイモス・レコードに所属していたふたりは、レーベルのオフィスやウェスト・ハリウッドのクラブ「トルバドゥール」で時々顔を合わせるようになった。
1971年、リンダ・ロンシュタットのツアー・バンドを編成することになった。フライは、歌えるリズム・ギタリストを探していたロンシュタットのマネージャーのジョン・ボイランから声をかけられ、ヘンリーを誘ってこのバンドに参加する。このバンドのために集められたのは、フライとヘンリーのほか、ランディ・マイズナー(bass)、バーニー・レドン(guitar, banjo)である。ただし、ツアーでこの4人が揃ったのは1回だけだった。
フライとヘンリーは一緒にバンドを組むことを相談するようになり、マイズナーとレドンをメンバーに加えた。
フライは、友人のジャクソン・ブラウンにアサイラム・レコードを設立したデヴィッド・ゲフィンを紹介してもらい、新バンドは1971年9月にアサイラム・レコードと契約した。
このバンドは、1971年10月にアスペンのクラブ「ザ・ギャラリー」で最初のライヴを行ったが、この時のバンド名は「ティーン・キング&ザ・エマージェンシーズ」であった。その後バンド名は「イーグルス」となった。
1972年5月1日、イーグルスのデビュー・シングル「テイク・イット・イージー」がリリースされた。この曲は、ジャクソン・ブラウンと共作したものである。
フライとブラウンは当時同じアパートに住んでいた。ブラウンの部屋はフライの階下で、フライは床の下から聴こえるジャクソンの楽器の音で曲作りを学んだという。ある日ブラウンの部屋に遊びに行ったフライは、その時ブラウンが演奏していた曲を気に入り、即興で歌詞を付けて歌った。それを聴いたブラウンは、その曲をフライに提供することに決めた。その曲「テイク・イット・イージー」はビルボード12位まで上昇し、イーグルスは幸先の良いスタートを切った。
イーグルスの最初の2枚のアルバムはグリン・ジョンズがプロデュースしたものである。ジョンズはザ・フーやレッド・ツェッペリンとの仕事で、すでにその手腕は広く認められていた。初期のイーグルスはカントリー色が強く、その路線を進めようとしたジョンズと、ロック・サウンドへシフトしたいバンド側とは意見が合わなくなってゆく。このため3枚目のアルバム「オン・ザ・ボーダー」からプロデューサーはビル・シムジクに代わった。しかしフライはジョンズから「アレンジ、プロデュースのほか、プロとしての心構えなど多くのことを学んだ」と後年述懐している。
カントリー色が濃厚だった初期のイーグルスを音楽面で支えていたのはバーニー・レドンであった。バンドが生み出す音楽には彼の音楽性が深く投影されていたが、レドンは、フライとヘンリーの高圧的な態度とロック色が強まるバンドの音楽性を次第に受け入れられなくなり、1975年12月に脱退する。
レドンがバンドから離れると、フライがイーグルス・サウンドの中心として活躍するようになる。フライは、実質的なリーダーとしてイーグルスを牽引、ギター、キーボードを担当し、「テキーラ・サンライズ」「過ぎた事」「いつわりの瞳」「ニュー・キッド・イン・タウン」「ハートエイク・トゥナイト」など数々の名曲でリード・ヴォーカルを取った。
フライと、もう一方のバンドの柱であるドン・ヘンリーはバンドの重要なコンポーザー・チームでもあった。おもにヘンリーが作詞、フライが作曲を担当し、ふたりでバンドの代表作の多くを作った。
レドンの後任としてイーグルスに参加したのが元ジェイムス・ギャングのジョー・ウォルシュである。ウォルシュのギターは、ブルースやサザン・ロックをベースにしたもので、当時のアメリカン・ロックを代表するギタリストのひとりに数えられていた。彼の加入でイーグルスはさらにロック色を強めることになった。
1976年、イーグルスはロック史上に残る傑作アルバム「ホテル・カリフォルニア」を発表する。演奏力、曲の完成度など、内容は非常に充実しており、アルバムは世界的な記録的大ヒットとなった。フライはこのアルバムの9曲中7曲の作曲に携わっている。
しかしこの時期のフライ(とヘンリー)は、バンド内でますます高圧的になってゆき、その矛先はランディ・マイズナーに向く。その結果バンド内のストレスに加え、ツアーに次ぐツアーによる疲労が重なって、マイズナーは1977年のツアー中にバンドから離脱した。
その後、フライとドン・フェルダーの関係の悪化や、創作面でのスランプなどを理由に、イーグルスは1980年に活動を停止(1982年正式に解散)する。
1980年のイーグルス活動停止後、フライはソロ活動に入る。
1984年、フライはハロルド・ファルターメイヤーとともにエディ・マーフィー主演の「ビヴァリーヒルズ・コップ」のメイン・テーマ「ヒート・イズ・オン」を共作、これが映画ともども大ヒットする。
1985年には人気テレビ・シリーズ「マイアミ・バイス」のサウンド・トラックが全米アルバム・チャートで11週1位となっている。サウンド・トラックの中の「スマグラーズ・ブルース」はビルボード12位まで上昇した。
フライは、ソロ活動のなかで全米トップ100に12曲送り込んでおり、ソロ・キャリアでも大成功を収めたと言える。
また1980年代からは俳優としても活動し、テレビ・シリーズ「マイアミ・バイス」や「ナッシュ・ビリッジス」「アーリス」、また1986年の映画「レッツ・ゲット・ハリー」「ジェリー・マグワイア」などに出演している。
1994年、イーグルスは1982年の解散時のメンバー(グレン・フライ、ドン・ヘンリー、ジョー・ウォルシュ、ドン・フェルダー、ティモシー・シュミット)で再結成し、アルバム「ヘル・フリーゼス・オーヴァー」をリリースした。アルバムのタイトルについて、フライは「イーグルスが解散した時、わたしとドンはいろんな人たちに『イーグルスはいつ再結成するのか』と尋ねられた。わたしたちは冗談で『地獄が凍ったときだね』と答えたものだ」と述懐している。
またフライは、1994年の最初のコンサートで聴衆に向かって「念のために言っておきますが、われわれは解散したことはありません。14年間の休暇を取っただけです」と語りかけている。
1990年代後半、フライは弁護士のピーター・ロペスとともに「ミッション・レコード」を設立する。しかしフライ自身はこのレーベルからレコードをリリースすることはなく、その後ミッション・レコードは解散した。
1998年にはイーグルスとしてロックの殿堂入りを果たした。
2007年、イーグルスは約13年ぶりのアルバム「ロング・ロード・アウト・オブ・エデン」発表する。アルバムは全世界で大ヒットを記録し、バンドは人気健在ぶりを見せつけた。
2009年、ミシガン・ロックンロール・レジェンドの殿堂入り。
2012年5月、フライは20年ぶりのソロ・アルバム「アフター・アワーズ」を発表したが、これが彼の生前最後の作品となった。
2012年5月、フライはヘンリー、ウォルシュ、シュミットとともにバークリー音楽大学から名誉博士号を授与される。
2013年から2年間にわたり、イーグルスは「ヒストリー・オブ・ザ・イーグルス」のワールド・ツアーを行った。ツアーは2015年7月29日にルイジアナ州ボージャー・シティのコンサートで幕を閉じたが、これがフライがバンドとともに公の場に姿を現した最後の公演でとなった。
フライは2000年に関節リウマチと診断されていたが、2016年1月18日にリウマチ性関節炎、急性潰瘍性大腸炎、肺炎による合併症によりニューヨーク市で死去した。67歳であった。
フライは、生前イーグルスのメンバーとしてグラミー賞を6回、アメリカン・ミュージック・アワードを5回受賞したほか、ビルボードのトップ40に、イーグルス名義、ソロ名義合わせて24曲を送り込んでいる。
フライの死去翌日の1月19日、マネージャーのアーヴィング・エイゾフが、「大腸炎と肺炎は関節リウマチの薬の副作用だった」と言及した。この日、ジャクソン・ブラウンは自分のコンサートで「テイク・イット・イージー」を歌ってフライに弔意を捧げた。
同年3月10日、ドン・ヘンリーによってイーグルスの解散が発表された。
フライには2度の結婚歴がある。
1990年に結婚した2度目の妻シンディ・ミリガンとの間には3人の子がいるが、第二子で長男のディーコンは2017年にイーグルスに加入、2022年まで在籍。いったん脱退したが、2023年に復帰している。
【ディスコグラフィ】(☆=ライヴ・アルバム ★=コンピレーション・アルバム)
◆アルバム
<ソロ>
1982年 ノー・ファン・アラウド/No Fun Aloud(US32位)
1984年 オールナイター/The Allnighter(US22位, UK31位)
1988年 ソウル・サーチン/Soul Searchin'(US36位)
1992年 ストレンジ・ウェザー/Strange Weather
☆1993年 ライヴ/Glenn Frey Live
★1995年 ソロ・コレクション/Solo Collection(US82位)
★2000年 ベスト・オブ・グレン・フライ/20th Century Masters – The Millennium Collection
2012年 アフター・アワーズ/After Hours(US116位, UK92位)
★2018年 アバーヴ・ザ・クラウズ : ザ・ヴェリー・ベスト・オブ・グレン・フライ/Above the Clouds:The Collection
<イーグルス>
1972年 イーグルス・ファースト/Eagles(US22位)
1973年 ならず者/Desperado(US41位, UK39位)
1974年 オン・ザ・ボーダー/On the Border(US17位, UK28位)
1975年 呪われた夜/One of These Nights(US1位, UK8位)
★1976年 イーグルス・グレイテスト・ヒッツ 1971-1975/Their Greatest Hits (1971-1975)(US1位, UK2位)
1976年 ホテル・カリフォルニア/Hotel California(US1位, UK2位)
1979年 ロング・ラン/Tje Long Run(US1位, UK4位)
☆1980年 イーグルス・ライヴ/Eagles Live(US6位, UK24位)
★1982年 イーグルス・グレイテスト・ヒッツ VOL.2/Eagles Greatest Hits Volume 2(US52位)
★1985年 ベスト・オブ・イーグルス/The Best of Eagles(UK8位)
☆1994年 ヘル・フリーゼズ・オーヴァー/Hell Freezes Over(US1位, UK18位)
★1994年 The Very Best of the Eagles(UK4位)
★2000年 Selected Works:1972-1999(US109位, UK28位)
★2003年 The Very Best Of/The Complete Greatest Hits(US3位, UK9位)
2007年 ロング・ロード・アウト・オブ・エデン/Long Road Out of Eden(US1位, UK1位)
☆2010年 ライヴ・フロム・ザ・フォーラム/Live from the Forum MMXVIII(US16位, UK26位)
★2024年 To the Limit:The Essential Collection(US30位, UK43位)
◆シングル
<ソロ>
1982年 サムバディ/I Found Somebody(US31位)
1982年 恋人/The One You Love(US15位)
1982年 Don't Give Up
1982年 Partytown
1983年 All Those Lies(US41位)
1984年 セクシー・ガール/Sexy Girl(US20位, UK81位)
1984年 The Allnighter(US54位)
1985年 ヒート・イズ・オン/The Heat Is On(US2位, UK12位) ※映画「ビヴァリーヒルズ・コップ」挿入歌
1985年 運び屋のブルース/Smuggler's Blues(US12位, UK22位) ※TVドラマ「特捜刑事マイアミ・バイス」挿入歌
1985年 ユー・ビロング・トゥ・ザ・シティ/You Belong To The City(US2位, UK94位) ※TVドラマ「特捜刑事マイアミ・バイス」挿入歌
1988年 トゥルー・ラヴ/True Love(US13位, UK84位)
1988年 ソウル・サーチン/Soul Searchin'
1989年 リヴィン・ライト/Livin' Right(US90位)
1989年 Flip City
1991年 パート・オブ・ミー、パート・オブ・ユー/Part Of Me, Part Of You(US55位) ※映画「テルマ&ルイーズ」挿入歌
1992年 アイヴ・ゴット・マイン/I've Got Mine(US91位)
1992年 River Of Dreams
1993年 Love In The 21st Century (US:Bubbling Under12位)
1995年 ハッピネス/This Way to Happiness
<イーグルス>
1972年 テイク・イット・イージー/Take It Easy(US12位)
1972年 魔女のささやき/Witchy Woman(US9位)
1972年 ピースフル・イージー・フィーリング/Peaceful Easy Feeling(US22位)
1973年 テキーラ・サンライズ/Tequila Sunrise(US64位)
1973年 アウトロー・マン/Outlaw Man(US59位)
1974年 過ぎた事/Already Gone(US32位)
1974年 ジェームス・ディーン/James Dean(US77位)
1974年 我が愛の至上/Best of My Love(US1位)
1975年 呪われた夜/One of These Nights(US1位, UK23位)
1975年 いつわりの瞳/Lyin' Eyes(US2位, UK23位)
1975年 テイク・イット・トゥ・ザ・リミット/Take It to the Limit(US4位, UK12位)
1976年 ニュー・キッド・イン・タウン/New Kid in Town(US1位, UK20位)
1977年 ホテル・カリフォルニア/Hotel California(US1位, UK8位)
1977年 駆け足の人生/Life in the Fast Lane(US11位)
1978年 二人だけのクリスマス/Please Come Home for Christmas(US18位, UK30位)
1979年 ハートエイク・トゥナイト/Heartache Tonoght(US1位, UK40位)
1979年 ロング・ラン/The Long Run(US8位, UK66位)
1980年 言いだせなくて/I Can't Tell You Why(US8位)
1980年 セヴン・ブリッジズ・ロード/Seven Bridges Road(US21位)
1994年 ゲット・オーヴァー・イット/Get Over It(US31位)
1994年 ラヴ・ウィル・キープ・アス・アライヴ/Love Will Keep Us Alive(UK52位)
1994年 ザ・ガール・フロム・イエスタデイ/The Girl from Yesterday
1995年 ラーン・トゥ・ビー・スティル/Learn to Be Still
2003年 ホール・イン・ザ・ワールド/Hole in the World(US69位, UK69位)
2005年 明日はきっと晴れるから/No More Cloudy Days
2007年 ハウ・ロング/How Long(US101位, UK110位)
2008年 享楽の日々/Busy Being Fabulous
2008年 戻れない二人/What Do I Do with My Heart
2009年 もう聞きたくない/I Don't Want to Hear Any More
マイク・ハリスン Mike Harrison
【歌・演奏】
マイク・ハリスン/Mike Harrison
【リリース】
1971年10月
【録 音】
アイランド・スタジオ(ロンドン)
【プロデューサー】
マイク・ハリスン/Mike Harrison
【エンジニア】
リチャード・ディグビー・スミス/Richard Digby Smith
【レーベル】
アイランド・レコード/Island Records
【収 録 曲】
side:A
① Mother Nature(Peter Batey) 2:05
② Call It a Day(Peter Batey, Mike Harrison, Ian Herbert, Kevin Iverson) 6:25
③ Damian(Mike Harrison, Ian Herbert) 3:22
④ Pain(Ian Herbert, Kevin Iverson, Frank Kenyon) 3:30
side:B
⑤ Wait Until Morning(Griffin, Mike harrison) 4:26
⑥ Lonely People(Peter Batey) 2:33
⑦ Hard Headed Woman(Cat Stevens) 6:36
⑧ Here Comes The Queen(Luther Grosvenor) 2:29
【録音メンバー】
マイク・ハリスン/Mike Harrison(vocals, piano, organ, harmonica)
◆ジャンクヤード・エンジェル
イアン・ハーバート/Ian Herbert(guitars, piano, organ, vibes, backing-vocals)
フランク・ケニオン/Frank Kenyon(guitars, backing-vocals)
ピーター・ベイティ/Peter Batey(bass, percussions)
ケヴィン・アイヴァーソン/Kevin Iverson(drums, percussions, backing-vocals)
◆ゲスト・ミュージシャン
アーサー・ベルチャー/Arthur Belcher(tenor-sax⑦)
【チャート】
圏 外
【メ モ】
スプーキー・トゥースのリード・シンガーだったマイク・ハリスンの、ファースト・ソロ・アルバム。
スプーキー・トゥースは、1970年にアルバム「ラスト・パフ」を制作したが、リリース前に解散した。このアルバムはその後に制作された。
このアルバムでハリスンのバック・バンドを務めているのは、ハリスンの故郷カーライルのバンド「ジャンクヤード・エンジェル」である。メンバーのフランク・ケニオン(guitar)は、ハリスンのV.I.P.'s時代のバンド・メイト。またイアン・ハーバート(bass)は、1972年にスプーキー・トゥースの再結成に参加し、ハリスンのバンド・メイトとなる。
スモークスタック・ライトニング Smokestack Lightning
【歌・演奏】
マイク・ハリスン/Mike Harrison
【リリース】
1972年11月
【録 音】
マッスル・ショールズ・サウンド・スタジオ(アメリカ合衆国アラバマ州シェフィールド)
【プロデューサー】
マイク・ハリスン/Mike Harrison
クリス・ブラックウェル/Chris Blackwell
【エンジニア】
ジェリー・マスターズ/Jerry Masters
【レーベル】
アイランド・レコード/Island Records
【収 録 曲】
side:A
① Tears(Jimmy Stevens) 4:12
② Paid My Dues(Jimmy Stevens) 4:19
③ What a Price(Murphy Maddux, Jack Jessup, Fats Domino) 5:52
④ Wanna Be Free(Joe Tex) 4:14
side:B
⑤ Turning Over(Mike Harrison, Luther Grosvenor) 6:31
⑥ Smokestack Lightning(Chester Burnett) 12:28
【録音メンバー】
マイク・ハリスン/Mike Harrison(vocals, harmonica)
ピート・カー/Pete Carr(guitar)
ジミー・ジョンソン/Jimmy Johnson(guitar)
ウェイン・パーキンス/Wayne Perkins(slide-guitar)
ルーサー・グロヴナー/Luther Grosvenor(acoustic-guitar)
バリー・ベケット/Barry Beckett(keyboards)
クレイトン・アイヴィー/Clayton Ivey(keyboards)
デヴィッド・フッド/David Hood(bass)
ロジャー・ホーキンス/Roger Hawkins(drums)
ハリスン・キャロウェイ/Harrison Calloway(trumpet)
マイク・ステーシー/Mike Stacey(trumpet)
ハーヴェイ・トンプソン/Harvey Thompson(tenor-sax)
ロナルド・イーデス/Ronald Eades(baritone-sax)
チャールズ・ローズ/Charles Rose(trombone)
【チャート】
圏 外
【メ モ】
マイク・ハリスンのセカンド・ソロ・アルバムである。
この作品は、アラバマ州のマッスル・ショールズ・サウンド・スタジオで、マッスル・ショールズのリズム・セクションとともに制作された。レコーディングに参加したバリー・ベケット(keyboards)、デヴィッド・フッド(bass)、ロジャー・ホーキンズ(drums)の3人は、本作がリリースされた直後の1973年1月にトラフィックに加入している。
レインボウ・ライダー Rainbow Rider
【歌・演奏】
マイク・ハリスン/Mike Harrison
【リリース】
1975年
【録 音】
グッドイヤー・スタジオ(アメリカ合衆国テネシー州ナッシュヴィル)
【プロデューサー】
クリス・キムジー/Chris Kimsey
【エンジニア】
クリス・キムジー/Chris Kimsey
【レーベル】
アイランド・レコード/Island Records
【収 録 曲】(☆=シングル)
side:A
☆① Maverick Woman Blues(Don Nix) 3:42
② You and Me(Will Jennings, Troy Seals) 2:40
③ I'll Keep It With Mine(Bob Dylan) 4:19
④ Like a Road(Leading Home)(Don Nix, Dan Penn) 4:40
⑤ We Can Work It Out(John Lennon, Pau McCartney) 3:24
side:B
⑥ Okay Lay Lady Lay(Luther Grosvenor, Mike Harrison) 6:40
⑦ Easy(Aitkin, Brown, Mike Harrison) 4:30
⑧ Somewhere Over the Rainbow(Harold Arlen, Edgar Yipsel Harburg) 2:36
⑨ Friend(Arthur Belcher, Mike Harrison) 4:40
【録音メンバー】
マイク・ハリスン/Mike Harrison(vocals, harmonica)
ミック・ジョーンズ/Mick Jones(guitar)
ボブ・コーエン/Bob Cohen(guitar)
カーク・ロレンジ/Kirk Lorange(slide-guitar)
モーガン・フィッシャー/Morgan Fisher(keyboards, synthesizer)
ノーバート・パットナム/Norbert Putnam(bass)
ケネス・バットリー/Kenneth Buttrey(drums, percussions)
アーサー・ベルチャー/Arthur Belcher(sax)
ザ・メンフィス・ホーンズ/The Memphis Horns(Horns)
コロナ・ステージ・スクール/Corona Stage School(choir)
20センチュリー・シンガーズ/20th Century Singers(choir)
【チャート】
圏 外
【メ モ】
マイク・ハリスンのサード・ソロ・アルバムである。
ナッシュヴィルで録音されたこのアルバムには、当時モット・ザ・フープルのメンバーだったモーガン・フィッシャーや、元スプーキー・トゥースのミック・ジョーンズをはじめ、ナッシュヴィルの腕利きミュージシャンが参加している。
プロデューサーのクリス・キムジーは、ローリング・ストーンズの1971年のアルバム「スティッキー・フィンガーズ」のエンジニア、そしてビル・ワイマンの1974年のソロ・アルバム「モンキー・グリップ」のプロデューサーである。
レイト・スターター Late Starter
【歌・演奏】
マイク・ハリスン/Mike Harrison
【リリース】
2006年
【録 音】
グランジ・スタジオ/The Grange Studio(イングランド ノーフォーク州)
【プロデューサー】
マイク・ハリスン/Mike Harrison
マーク・スティーヴンス/Mark Stevens
【エンジニア】
デイヴ・ウィリアムス/Dave Williams
【レーベル】
ハロー・レコード/Halo Records
【収 録 曲】(☆=シングル)
side:A
☆① Out of the Rain(Tony Joe White)
② A Fool in Love(Frankie Miller)
③ Jealous Kind(Delbert McClinton)
④ Come Back Baby(Ray Charles)
⑤ I Can Give You Everything(Terry Anderson)
⑥ Don't Touch Me(Hank Cochran)
⑦ You Were Never Mine(Delbert McClinton, Gary Nicholson, Benmont Tench)
⑧ Night Time(Roosevelt Sykes)
⑨ You Good Thing Is About to End(Isaac Hayes, David Porter)
⑩ The Rock(Jim Varsos)
⑪ Sinner's Prayer(Lowell Fulson, Lloyd Glenn)
⑫ Drown In My Own Tears(Henry Glover)
⑬ Let's Go Get Stoned(Ashford & Simpson, Jo Armstead)
⑭ I've Got Dreams to Remember(Otis Redding)
【録音メンバー】
マイク・ハリスン/Mike Harrison(lead-vocals)
ラルフ・レーマン/Ralf Lehmann(guitars, backing-vocals)
アクセル・ファーマン/Axel Fuhrmann(organ, backing-vocals)
ミシュカ/Mischka(piano, backing-vocals)
トロッター・シュミット/Trotter Schmidt(bass, backing-vocals)
ハンス・ウォールバウム/Hans Wallbaum(drums, percussions, backing-vocals)
リエッタ・オースティン/Rietta Austin(backing-vocals)
【チャート】
圏 外
【メ モ】
マイク・ハリスンの、31年ぶり4枚目のソロ・アルバムである。
ハンブルグ・ブルース・バンドの演奏を聴いたハロー・レコードのオーナー、マイケル・マスリンは、当時同バンドのヴォーカリストだったハリスンの歌声に大きな感銘を受けた。スプーキー・トゥースのファンでもあったマスリンは、ハリスンにソロ・アルバムを制作するよう説得した。本作はこうした経緯でリリースされたものである。レコーディングには「マイク・ハリスン・トラスト」のメンバーが参加している。
このアルバムは、主にソウルやブルースのカヴァー・コレクションで、非常に好意的な評価を得ている。
マイク・ハリスン Mike Harrison
【パート】
ヴォーカル、キーボード
【生没年月日】
1942年9月30日~2018年3月25日(75歳没)
【出身地】
イングランド カンバーランド州カーライル
【活動期間】
1963~1975
1997~2018
【経歴】
ディノ&ザ・ドナウズ/Dino & The Danubes
ザ・ダコタス/The Dakotas
ザ・ラムロッズ/The Ramrods(1960~1963)
V.I.P.'s(1963~1967)
アート/Art(1967)
スプーキー・トゥース/Spooky Tooth(1967~1970)
スプーキー・トゥース/Spooky Tooth(1972~1974)
スプーキー・トゥース/Spooky Tooth(1998~1999)
ハンブルグ・ブルース・バンド/The Hamburg Blues Band(2001)
スプーキー・トゥース/Spooky Tooth(2004)
マイク・ハリスン・トラスト/Mike Harrison Trust(2005)
スプーキー・トゥース/Spooky Tooth(2008~2009)
マイク・ハリスンは、イングランド出身のキーボード奏者、ヴォーカリスト。
スプーキー・トゥースのリード・シンガーとして知られている。
1960年、学校で友人だったグレッグ・リドリー(当時はギタリスト)らと「ディノ&ドナウズ」を結成したのがハリスンの音楽活動の出発点である。その後、リドリーとともに「ザ・ダコタス」で活動したのち、同年マイク・ヘンショウ(guitar)、アラン・マーシャル(drums)とロカビリー・スタイルのバンド「ザ・ラムロッズ」を結成する。
1963年後半、リドリーがラムロッズに加入すると、それをきっかけとしてバンドは「The V.I.P.'s」と名を改めた。
その頃、当時キンクスのマネージャーだったラリー・ペイジがV.I.P.'sに注目するようになった。ペイジの尽力によって、V.I.P.'sはRCAと契約を交わし、1964年10月にデビュー・シングル「Don't Keep Shouting at Me」をリリースする。この曲は本国イギリスで注目されることはなかったが、フランスではシングル・チャート2位を記録する大ヒットとなった。
その後ペイジはV.I.P.'sから離れ、代わってアニマルズのマネージャーであるマイク・ジェフリーズがマネージメントを行うようになる。ジェフリーズの紹介により、バンドは1965年にドイツへ渡り、ハンブルグのスター・クラブに出演。1966年初頭にはCBSに移籍する。
1966年、西ドイツから帰国したV.I.P.'sは、アイランド・レーベル創設者のクリス・ブラックウェルの知己を得る。バンドの将来性を高く評価していたブラックウェルはV.I.P.'sと契約し、この年「Vipps」名義を含む3枚のシングルをリリースした。なかでも同年10月にリリースされたシングル「I Wanna Be Free」は、フランスや西ドイツなどまたも本国以外で大ヒットした。とくに西ドイツではチャート1位を獲得している。
1966年秋から冬にかけてV.I.P.'sは大幅なメンバー・チェンジを行い、ラインナップはハリスン(vocal)、キース・エマーソン(keyboard)、グレッグ・リドリー(bass)、マイク・ケリー(drums)の4人となる。1967年初頭にはルーサー・グロヴナー(guitar)が加わって5人編成となるが、間もなくエマーソンは「ナイス」を結成するためバンドを脱退する。
V.I.P.'sはサイケデリック全盛期にさしかかった当時のロック界の状況を意識して、1967年4月に「Art」と改名する。アートは同年7月にアルバム「Supernatural Fairy Tales」とシングル「What's That Sound?」を発表。
スプーキー・トゥース(中央マイク・ハリスン)
1967年10月、留学のため西ドイツに滞在中だったアメリカ人のキーボード奏者兼ヴォーカリスト、ゲイリー・ライトがバンドに加わり、それを契機にバンドは「スプーキー・トゥース」と名を改めた。
スプーキー・トゥースの特色のひとつは、ハリスンとライトのふたりのヴォーカリスト兼キーボーディストを擁する、そのユニークな編成である。彼らが生み出すサイケデリック色の濃いヘヴィなサウンドは、のちのハード・ロックの源のひとつとも言われている。また、ザ・バンドの名曲「ザ・ウェイト」のカヴァー・シングルをリリースしていることからも分かるように、アメリカン・ロックへの憧れと接近を明確に打ち出しており、ブルージーでアーシーな音楽性を培って好意的な評価を得た。
ハリスンの「白いレイ・チャールズ」とも言われる、やや哀愁を帯びたブルージーな歌声は、そのスプーキー・トゥース・サウンドには欠かせないものであった。
ハリスンとライトはともにリード・シンガーであったが、しばしばお互いのヴォーカルを重ね合うというスタイルを創りだしており、その点ではブルー・アイド・ソウルの名デュオ、ライチャス・ブラザーズから影響されていると考えられている。
第1期スプーキー・トゥースは、バンド史上最高傑作と言われている1968年の作品「スプーキー・トゥー」をはじめとして、1969年までに3枚のアルバムを発表したが、ハリソンとライトが主導権を巡って争うようになり、それに端を発する感情的対立が原因となってライトが脱退する。
残ったハリソン、グロヴナー、ケリーは3人は、ジョー・コッカーのバック・バンド「グリース・バンド」のメンバーを補充し、「スプーキー・トゥース Featuring マイク・ハリスン」名義で4枚目のアルバム「ザ・ラスト・パフ」を制作したが、アルバム発表前の1970年夏にバンドは解散してしまった。
しかし解散後間もない1970年の秋に、ハリスン、グロヴナー、ケリー、元ナッシュヴィル・ティーンズ~ルネッサンスのジョン・ホウケン(keyboard)、元ジョン・メイオール&ブルース・ブレイカーズのスティーヴ・トンプソン(bass)というラインナップで、ヨーロッパ・ツアーのためにだけいったん再結成し、ツアー終了後の1970年10月に改めて解散した。
スプーキー・トゥースとしての活動に区切りをつけたハリスンは、同郷カーライルのバンドで、V.I.P.'s時代にバンド・メイトだったフランク・ケニオン(guitar)が在籍する「ジャンクヤード・エンジェル」を起用して、1971年にファースト・ソロ・アルバム「Mike Harrison」を発表する。
翌72年には米アラバマ州のマッスル・ショールズでセカンド・ソロ・アルバム「Smokestack Lightning」を制作した。
1972年秋、ハリスンはゲイリー・ライトと再会する。ふたりの関係は修復の方向へ進み、同年9月にスプーキー・トゥースの再結成が実現した。ラインナップは、ハリソン、ライトのほか元ワンダーホィールのミック・ジョーンズ(guitar)、元ジャンクヤード・エンジェルのイアン・ハーバート(bass)、元メインホースのブライソン・グラハム(drums)である。(ベースは間もなく元ロニー・レーンズ・スリム・チャンスのクリス・スチュワートに、ドラムスはのちマイク・ケリーに代わる)
新生スプーキー・トゥースは「ユー・ブローク・マイ・ハート・ソー・アイ・バステッド・ユア・ジョウ」と「ウィットネス」の2枚のアルバムを発表し、一部では「全盛期を思い起こさせるサウンド」と好意的に評価された。
しかし1973年頃には、またもハリスンとライトはバンドの主導権を巡って対立するようになり、ハリスンはケリー、スチュワートとともに1974年2月に脱退した。
ライトはメンバーを補充して1974年にアルバム「ザ・ミラー」を発表したが、セールスは低迷した。その結果ライトもソロ活動を志向するようになり、バンドを離れた。そのためスプーキー・トゥースは1974年11月に解散した。
スプーキー・トゥースを脱退したハリスンは再びソロ活動に入り、1975年に3枚目のソロ・アルバム「Rainbow Rider」を発表する。
ところが、ハリスンのソロ・アルバムの印税が「スプーキー・トゥースのアイランド・レコードに対する負債の返済」として、ハリスン本人の同意を得ることなくアイランド・レコードに渡っていることが判明した。そればかりではなく、スプーキー・トゥースのメンバーは、アイランド・レコードから受け取る週給以外には、印税等受け取るべき利益を受け取っておらず、そればかりか「アイランドに対する負債」という名目の借金が累積していたのである。これが原因でハリスンは音楽業界から離れることを決めた。
1975年から1997年までのハリスンはほとんど音楽活動を行っておらず、バーテンダーやトラックの運転手として働いていた。
この後カナダに移るなどして音楽業界から遠ざかっていたが、1990年代に入るとハリスンは再び音楽活動に対して意欲を持つようになり、いずれもスプーキー・トゥースのオリジナル・メンバーであるマイク・ケリー(drums)、ルーサー・グロヴナー(guitar)、グレッグ・リドリー(bass)とレコーディングを行う。これがきっかけとなって1998年にはこの4人でのスプーキー・トゥース再結成が実現、1999年には25年ぶりとなる新作アルバム「Cross Purpose」をリリースした。オリジナル・メンバーのうち4人がそろったのは1969年以来であった。
1999年、ハリスンは「ハンブルグ・ブルース・バンド」からオファーを受け、ドイツを拠点にブルース・ロック主体の演奏活動を活発に行った。このバンドはクリームやジャック・ブルースなどと仕事をしてきた詩人ピート・ブラウンの歌詞をフィーチャーしたものであった。
2004年6月、ハリスン、ゲイリー・ライト(vocal, keyboard)、マイク・ケリー(drums)は、新たにジョーイ・アルブレヒト(guitar)とマイケル・ベッカー(bass)を加えて3度目のスプーキー・トゥース再結成を果たし、ツアーを行う。
2006年、ハロー・レコードのオーナーであるマイケル・マスレンが、ハンブルグ・ブルース・バンドのライヴでハリスンの歌に大きな感銘を受ける。スプーキー・トゥースのファンでもあったマスレンはハリスンにソロ・アルバムを制作するよう説得し、レコーディングに漕ぎつける。こうして2006年にリリースされたのが、ハリスン31年ぶり4枚目のソロ・アルバム「Late Starter」である。
2008年2月、ハリソン(vocal, keyboard)、ライト(vocal, keyboard)、ケリー(drums)の3人のオリジナル・メンバーをフィーチャーし、スティーヴ・ファリス(guitar)とシェム・フォン・シュローク(bass)を加えた5人で4度目のスプーキー・トゥース再結成が行われ、ヨーロッパでツアーを行った。
2009年5月29日、ハリソン(vocal, keyboard)、ライト(vocal, keyboard)、アルブレヒト(guitar)、ベッカー(bass)を[、そしてケリーの代わりにトム・ブレフテリン(drums)を加え、シェパーズ・ブッシュ・エンパイアで行われたアイランド・レコード50周年記念コンサートで演奏した。
ハリスンはその後も時折り演奏活動を続けていたが、2018年3月25日に故郷のカーライルで死去した。死因は不明である。
【ディスコグラフィ】(☆=ライヴ・アルバム ★=コンピレーション・アルバム)
◆アルバム
<ソロ>
1971年 Mike Harrison
1972年 Smokestack Lightning
1975年 Rainbow Rider
2006年 Late Starter
<The V.I.P.'s>
★2007年 The Complete V.I.P.'s
<Art>
1967年 Supernatural Fairy Tales
<スプーキー・トゥース>
1968年 イッツ・オール・アバウト/It's All About
1969年 スプーキー・トゥー/Spooky Two(US44位)
1969年 セレモニー/Ceremony(US92位) *with Pierre Henry
1970年 ザ・ラスト・パフ/The Last Puff(US84位) *「Spooky Tooth featuring Mike Harrison」名義
1971年 タバコ・ロード/Tabacco Road(US152位)
1973年 ユー・ブローク・マイ・ハート・ソー・アイ・バステッド・ユア・ジョウ/You Broke My Heart So I Busted Your Jaw(US84位)
1973年 ウィットネス/Witness(US99位)
1999年 Cross Purpose
★1999年 The Best of Spooky Tooth:That Was Only Yesterday
☆2001年 BBC Sessions
<Hamburg Blues Band>
2001年 Touch (Mike Harrison meets The Hamburg Blues Band)
<Mike Harrison Trust>
2005年 Mike Harrison Trust (no label no number)
◆シングル
<ソロ>
1975年 We Can Work It Out
1975年 Somewhere Over the Rainbow
<The V.I.P.'s>
1964年 Don't Keep Shouting at Me
1966年 Mercy, Mercy *「Vipps」名義
1966年 Wintertime *「Vipps」名義
1966年 I Wanna Be Free
1967年 Straight Down to the Bottom
<Art>
1967年 What's That Sound (For What It's Worth)
<スプーキー・トゥース>
1968年 ザ・ウェイト/The Weight
1968年 サンシャイン・ヘルプ・ミー/Sunshine Help Me(US:Cash Box126位)
1968年 ラヴ・リアリー・チェンジド・ミー/Love Really Changed Me
1969年 ザット・ワズ・オンリー・イエスタデイ/That Was Only Yesterdai(Durch13位)
1969年 ザン・オブ・ユア・ファーザー/Son of Your Father
1969年 フィーリン・バッド/Feelin' Bad(US:Bebbling Under132位)
1970年 アイ・アム・ザ・ウォルラス/I Am the Walrus(Dutch38位)
1973年 オール・ソウン・アップ/All Sewn Up
グッバイ・クリーム Goodbye
【歌・演奏】
クリーム/Cream
【リリース】
1969年2月5日
【録音】
1968年10月 IBCスタジオ(イングランド ロンドン)
1968年10月19日 ザ・フォーラム(アメリカ合衆国カリフォルニア州ロサンゼルス)
【プロデューサー】
フェリックス・パパラルディ/Felix Pappalardi
【エンジニア】
ビル・ハルバーソン/Bill Halverson
エイドリアン・バーバー/Adrian Barber
デイモン・リヨン=ショウ/Damon Lyon-Shaw
【レーベル】
UK ポリドール・レコード/Polydor Records
US アトコ・レコード/Atco Records
【収録曲】(☆シングル=④)
side:A
☆① アイム・ソー・グラッド 9:11
I'm So Glad(Skip James)
② 政治家 6:19
Politician(Jack Bruce, Pete Brown)
side:B
③ トップ・オブ・ザ・ワールド 5:01
Sitting on Top of the World(Walter Vinson, Lonnie Chatmon)
☆④ バッジ 2:45
Badge(Eric Clapton, George Harrison)
*1969年3月リリース(US 60位) 1969年4月リリース(UK 18位)
⑤ スクラップヤード 3:14
Doing That Scrapyard(Jack Bruce, Pete Brown)
⑥ ホワット・ア・ブリングダウン 3:56
What a Bringdown(Ginger Baker)
【録音メンバー】
☆クリーム
エリック・クラプトン/Eric Clapton(guitars, lead-vocals④⑥, backing-vocals①)
ジャック・ブルース/Jack Bruce(bass①~⑤, piano⑤⑥, organ⑥, lead-vocals①②③⑤⑥)
ジンジャー・ベイカー/Ginger Baker(drums, percussions⑥, backing-vocals①⑥)
☆ゲスト・ミュージシャン
フェリックス・パパラルディ/Felix Pappalardi(bass⑥, piano④, mellotron④⑤)
ジョージ・ハリスン/George Harrison(rhythm-guitar④) ※L'Angelo Misterioso名義
【チャート】
1969年週間アルバム・チャート イギリス1位 アメリカ(ビルボード)2位
フランス3位 フィンランド4位 カナダ5位 オーストラリア6位 ノルウェイ7位 ドイツ9位
1969年年間アルバム・チャート アメリカ(ビルボード)43位
【メ モ】
クリームの4枚目にして、ラスト・アルバム。RIAAからゴールド・アルバムに認定された。
クリームは1968年11月に解散しており、本作のリリースはその約3ヵ月後である。
アルバムはスタジオ録音3曲とライヴ録音3曲、計6曲を収録している。
フェアウェル・ツアー開始直前の1968年10月に、まずロンドンのIBCスタジオで3曲を録音。①「アイム・ソー・グラッド」、②「政治家」、③「トップ・オブ・ザ・ワールド」の3曲は、フェアウェル・ツアー中の1968年10月19日にロサンゼルスのザ・フォーラムで行ったライヴにおける演奏である。
ハンブル・パイ Humble Pie
【活動期間】
1969年~1975年
1979年~1983年
1988年~2000年
2001年~2002年
2018年~
【メンバー】
<Guitar, Vocal>
スティーヴ・マリオット/Steve Marriott(guitar, vocal, keyboard, harmonica) 在籍1969~1975, 1979~1983
ピーター・フランプトン/Peter Frampton(guitar, vocal, keyboard) 在籍1969~1971, 2019~
デイヴ・"クレム"・クレムソン/Dave Clem Clempson(guitar, vocal, keyboard) 在籍1971~1975
ボブ・テンチ/Bob Tench(guitar, vocals, keyboards) 在籍1979~1981, 2000~2002
トミー・ジョンソン/Tommy Johnson(guitar) 在籍1983
フィル・ディックス/Phil Dix(guitar) 在籍1983
リック・リチャーズ/Rick Richards(guitar) 在籍1983
チャーリー・ヒューン/Charlie Huhn(vocal, guitar) 在籍1988~2000
ウォーリー・ストッカー/Wally Stocker(guitar, backing-vocals) 在籍1988~1990
アラン・グリーン/Alan Greene(guitar) 在籍1990~1999
リック・クレイグ/Rick Craig(guitar) 在籍2000
パトリック・トーマス/Patrick Thomas(guitar) 在籍2000
デイヴ・コルウェル/Dave "Bucket" Colwell(guitar, backing-vocals) 在籍2000~2002, 2018~
ジョニー・ウォーマン/Johnny Warman(vocals, guitar) 在籍2002
ジミー・クーンズ/Jimmy Kunes(vocals) 在籍2018~2022
ジェームス・ロトンディ/James Volpe Rotondi(guitar, vocals, keyboards) 在籍2018~2022
ジム・ステイプリー/Jim Stapley(vocal, guitar, keyboard) 在籍2022~
<Bass>
グレッグ・リドリー/Greg Ridley(bass, vocal, guitar) 在籍1969~1975, 2000~2002
アンソニー・"スーティ"・ジョーンズ/Anthony "Sooty" Jones(bass) 在籍1979~1981, 1988~1989
ジム・レヴァートン/Jim Leverton(bass, vocals) 在籍1982~1983
キース・クリストファー/Keith Christopher(bass) 在籍1983
デイヴ・ヒューイット/Dave Hewitt(bass) 在籍1983
ショーン・ビーヴァン/Sean Beavan(bass) 在籍1988~1990
スコット・アレン/Scott Allen(bass) 在籍1990~1992
サム・ネモン/Sam Nemon(bass) 在籍1992~1996
ブラッド・ジョンソン/Brad Johnson(bass) 在籍1996~1999
エアン・エヴァンス/Ean Evans(bass) 在籍2000
ケント・ガスコイン/Kent Gascoyne(bass) 在籍2000
デヴィッド・C・グロス/David C. Gross(bass) 在籍2018
アイヴァン・ボドリー/Ivan "Funkboy" Bodley(bass) 在籍2018~
<Drums>
ジェリー・シャーリー/Jerry Shirley(drums, keyboard) 在籍1969~1975, 1979~1981, 1988~1999, 2000~2002, 2018~
ファロン・ウィリアムスⅢ世/Fallon Williams Ⅲ(drums) 在籍1982~1983
ジェイミー・ダーネル/Jamie Darnell(drums) 在籍2000
ボビー・マークス/Bobby Marks(drums, percussions) 在籍2018~
<Keyboard>
ゴールディ・マックジョン/Goldy McJohn(keyboards) 在籍1982
ズート・マネー/Zoot Money(keyboard) 在籍2001~2002
ディーン・リース/Dean Rees(keyboard) 在籍2002
【バンドの歴史】
ハンブル・パイはR&Bをバックボーンとしたイングランドのロック・バンド。1969年にエセックス州で結成され、1970年代前半に活躍した。
ロック界における初期の「スーパー・グループ」のひとつと見なされている。
<結成まで>
1968年、当時アイドル・バンド「ザ・ハード」のメンバーだったピーター・フランプトン(vocal, guitar)は、自分がアイドル扱いされることにほとほと嫌気がさしていた。同じ頃、10代の若者に人気があった「スモール・フェイセス」に在籍していたスティーヴ・マリオット(vocal, guitar)も、アイドル的存在からの脱却とリズム&ブルースの追求を切実に願っていた。
共通の願望を持っていたふたりは、1968年に出会うとさっそく意気投合し、水面下でコンタクトを取り合うようになったが、それはもともとは新たなバンドの結成を企図するものではなかった。
マリオットはフランプトンの音楽的な視野を広げるために協力するつもりだったので、フランプトンにスモール・フェイセスへの参加を提案した。フランプトンがゲストとしてスモール・フェイセスのステージに立つことはあったが、正式なメンバーとして加入することについては他のメンバーが反対したため、このプランは実現しなかった。
1968年12月31日、この夜に行われたライヴの途中でマリオットはステージから降りてしまったことで他のメンバーとの亀裂が決定的となり、スモール・フェイセスから離脱した。
フランプトンは新たなバンドの結成に向けて、1969年2月にザ・ハードから脱退する。マリオットはそれに対して全面的に協力し、元スプーキー・トゥースのグレッグ・リドリー(bass)と元アポストリック・インターヴェンションのジェリー・シャーリー(drums)をフランプトンに引き合わせた。
その後マリオットはフランプトンからの呼びかけに応え、すぐに彼の新バンドに合流した。こうして1969年4月に「ハンブル・パイ」の陣容が整ったのである。
ちなみにスモール・フェイセスがマリオットの後任として声をかけたのはフランプトンである。言うまでもなく、フランプトンはその誘いを断っている。
<デビュー~1975>
ハンブル・パイは、エセックスのマリオットの自宅で1969年初頭からリハーサルに入る。間もなくイミディエイト・レコードと契約を交わした彼らは、同年8月にシングル「あいつ」とアルバム「アズ・セイフ・アズ・イエスタディ・イズ」でデビューを果たした。
スティーヴ・マリオットとピーター・フランプトンのふたりのスターを擁するハンブル・パイは「スーパー・グループ」としてたちまち大きな注目を集めたが、「ハンブル・パイ」というバンド名(「屈辱」「謝罪」という意味がある)はこういう期待を軽視するためにあえて選んだものであるという。
デビュー・シングル「あいつ」が全英4位のヒットを記録して好調なスタートを切った彼らは、1969年11月には早くもセカンド・アルバム「タウン・アンド・カントリー」を発表し、その後初のアメリカ・ツアーを行なった。
しかしこの頃のイミディエイト・レコードは経営危機に瀕しており、ファースト・アルバムからわずか3ヵ月後にセカンド・アルバムを発表したのは、倒産前にレコードをリリースしたいという会社側の意向があったからである。しかも広告宣伝費がなかったことに加え、イギリスのみでの発売だったため、アメリカ・ツアーの効果による売り上げもなく、セカンド・アルバムはチャートには登場しなかった。しかしFM局のオンエアによってアルバムの内容は周知され、好意的な評価を得た。
ハンブル・パイは、マリオットがR&B、ロック志向、フランプトンがポップ、アコースティック志向と、フロント・マンふたりが対照的な音楽観を持っていた。そのためハンブル・パイのコンサートは、アコースティック・セットとエレクトリック・セットで構成されることが多かった。
これはバンドの特色になっていた反面、定まらないポリシーと音楽的な迷いが浮き彫りになるというデメリットがあった。マリオットはアメリカでの成功を強く願っていたが、フランプトンのアコースティックな作風は、この頃のアメリカではあまり受け入れられていなかった。
1970年、イミディエイト・レコードが破産したため、ハンブル・パイはA&Mレコードに移籍する。これを契機として、バンドはアメリカ市場をはっきり意識するようになり、マリオットの持ち味であるソウルフルな歌、ヘヴィなロック・サウンドを前面に押し出すようになっていった。この年7月にアルバム「大地と海の歌」を、1971年3月に「ロック・オン」を発表したが、これらには強まってゆくR&B色が顕著に現れている。
アメリカで存在感を増していったハンブル・パイは、1971年7月9日にグランド・ファンク・レイルロードがシェイ・スタジアムで行った歴史的なコンサートにおいて、オープニング・アクトを務めている。
1971年11月には2枚組ライヴ・アルバム「パフォーマンス~ロッキン・ザ・フィルモア」を発表。このアルバムは、同年5月にフィルモア・イーストで行われたライヴを収録したもので、ソウルフルでヘヴィなハンブル・パイの魅力が詰まっており、当時屈指の傑作ライヴ・アルバムと高く評価された。これによってバンドは初めてアメリカでの商業的な成功を手にした。しかしフランプトンが理想とする音楽からは決定的にかけ離れたものであった。
このアルバムのリリース前に、音楽性の相違を理由としてフランプトンが脱退。後任として元コロシアムのデイヴ・"クレム"・クレムソンがバンドに加わった。これによってバンドの音楽性はR&B寄りに拍車がかかることになる。
クレムソンが加わったハンブル・パイは全盛期を迎える。1972年のアルバム「スモーキン」は貫禄すら感じられる脂の乗り切った作品で、アメリカでは6位まで上昇するヒットを記録。さらに1973年にはライヴ録音やR&Bのカヴァーを収録した意欲作「イート・イット」を発表する。
1973年には初来日したが、この時同じ時期にベック・ボガート&アピスも来日したため、ハンブル・パイはその陰に隠れた形になってしまったのは惜しまれる。
ハンブル・パイはロック界屈指のライヴ・バンドに成長したが、音楽的に煮詰まるようになったうえ、度重なるツアーによってメンバーの疲労は極まり、それらを理由に1975年の「Goodbye Pie Tour」終了後に解散した。
解散後、マリオットはソロ活動を開始したほか、自己のバンド「スティーヴ・マリオット・オール・スターズ」を結成。クレムソンとリドリーはコージー・パウエル(drums)を加えて「ストレンジ・ブリュー」を結成する。シャーリーはマーク・クラーク(bass)、ジョーイ・モランド(guitar, vocal)らと「ナチュラル・ガス」の結成に参加した。
<1979~1983>
1979年末、マリオットはオリジナル・メンバーのシャーリー(drums)、元ジェフ・ベック・グループのボブ・テンチ(guitar, vocal)、シャーリーと「マグネット」というバンドで活動していたアンソニー・"スーティ"・ジョーンズ(bass)の4人でハンブル・パイを再結成する。新生ハンブル・パイは2枚のアルバムを発表したが、1981年にマリオットの病のためツアーがキャンセルされると、その後アトランティック・レーベルとの契約も失われて経済的にも苦境に立たされたため、再び解散した。さらにはバンドの機材トラックも盗難にあったという。
1982年、マリオットはジム・レバートン(bass)、ゴールディ・マックジョン(keyboard 元ステッペンウルフ)、ファロン・ウィリアムスⅢ世(drums)のランナップでツアーに復帰したが、このバンドはプロモーターによって「ハンブル・パイ」と名乗ることになった。1983年にはアメリカ合衆国のアトランタを本拠地として、レバートンとマックジョンの代わりにトミー・ジョンソン(guitar)、キース・クリストファー(bass)をメンバーとして補充した。その後ジョンソンの代わりにフィル・ディックス(guitar)が参加し、さらに元ジョージア・サテライツのリック・リチャーズ(guitar)を新メンバーとして迎えた。しかしデモ音源の収録にリックとキースが遅れたことからマリオットはふたりを解雇、マリオットのほかフィル・ディックス(guitar)、デイヴ・ヒューイット(bass)、ファロン・ウィリアムスⅢ世(drums)のメンバーで収録を行ったが、レコードのリリースには至らなかった。その後いくつかのライヴ・ステージに立ったのち、マリオットはバンドを解散し、1983年末にイギリスに戻った。
<1988~2002>
1988年には、「ファストウェイ」を脱退したのち活動の拠点をアメリカに移したシャーリーが、「ハンブル・パイ」名義の使用権を得て、ゲイリー・ムーアとの活動で知られるチャーリー・ヒューン(元テッド・ニュージェント)をヴォーカルに据えて再々結成した。シャーリーとヒューン以外のメンバーは流動的で、「ニュー・ハンブル・パイ」あるいは「ハンブル・パイ・フィーチャリング・ジェリー・シャーリー」などと名乗った。
1991年、マリオットとフランプトンが再会し、アルバムの共同制作を計画する。ハンブル・パイの再結成も期待された。しかしマリオットが海外旅行からエセックスの自宅に帰宅した4月20日、寝タバコが原因で発生した火災のため、就寝中に焼死した。このためアルバムの制作は実現しなかった。
1999年8月、シャーリーは自動車事故のため重傷を負い、その後イギリスに帰国した。残ったヒューンは2000年も「ハンブル・パイ」として活動した。メンバーはリック・クレイグ(guitar 元ハロウィン)、ケント・ガスコイン(bass)、ジェイミー・ダーネル(drums)である。同年後半にクレイグの代わりとしてパトリック・トーマス(guitar)が、ガスコインの代わりにイアン・エヴァンス(bass 元アウトロウズ)が加入してツアーを終えた後、彼らは解散した。その後ヒューンはフォガットに参加する。
イギリスに戻ったシャーリーは、2000年にリドリー、テンチ、デイヴ・コルウェル(guitar 元バッド・カンパニー)というメンバーでハンブル・パイを再結成し、通算13枚目のスタジオ・アルバム「バック・オン・トラック」を制作。この収録にはズート・マネー(keyboard)、ヴィクター・マーティン(keyboard)が参加している。
2001年には、マリオットの没後10年を記念してロンドンで「スティーヴ・マリオット・メモリアル・コンサート」が開催された。このコンサートにフランプトン、リドリー、シャーリー、クレムソンが一時的に再結成して出演している。しかし2002年後半にリドリーが体調を崩したことで、バンドは解散した。
<2018~>
2018年現在、ジェリー・シャーリーは「ハンブル・パイ」の名前の所有権を持っており、シャーリー自身はツアーには参加しないが、新たなラインナップを組んだ。そのメンバーは、ジミー・クーンズ(vocals)、デイヴ・コルウェル(guitar)、ジェームス・ロトンディ(guitar)、デヴィッド・C・グロス(bass)、ボビー・マークス(drums)である。間もなくベーシストがアイヴァン・ボドリーに交替すると、同年8月に15公演を行うアメリカ・ツアーを開始した。
2023年現在のツアー・ラインナップは、デイヴ・コルウェル(guitar)、ジム・ステイプリー(vocal, guitar, organ, harmonica)、アイヴァン・ボドリー(bass)、ボビー・マークス(drums)で、「ハンブル・パイ・レガシー」として活動している。
【ディスコグラフィ】(☆=ライヴ・アルバム ★=コンピレーション・アルバム)
<アルバム>
1969年 アズ・セイフ・アズ・イエスタディ・イズ/As Safe as Yesterday Is(UK32位)
1969年 タウン・アンド・カントリー/Town And Country
1970年 大地と海の歌/Humble Pie
1971年 ロック・オン/Rock On(US118位)
☆1971年 パフォーマンス~ロッキン・ザ・フィルモア/Performance Rockin' the Fillmore(UK32位 US21位)
1972年 スモーキン/Smokin' (UK20位 US6位)
1973年 イート・イット/Eat It(UK34位 US13位)
★1973年 Lost and Found(US Billboard37位 CashBox41位)※「アズ・セーフ・アズ・イエスタディ・イズ」「タウン・アンド・カントリー」を2枚組アルバムとしたもの
1974年 サンダーボックス/Thunderbox(US52位)
1975年 ストリート・ラッツ/Street Rats(US100位)
★1976年 Back Home Again
★1977年 Greatest Hits
1980年 オン・トゥ・ヴィクトリー/On to Victory(US60位)
1981年 ゴー・フォー・ザ・スロート/Go for the Throat(US154位)
★1982年 Best of Humble Pie
★1987年 ベストCDコレクション/A&M Classics Volume 14
★1993年 A Piece of the Pie
★1994年 Early Years
★1994年 Hot n' Nasty:The Anthology
☆1996年 ライヴ・イン・コンサート/King Biscuit Flower Hour Presents- Humble Pie In Concert ※旧邦題「キング・ビスケット・ライヴ」
★1997年 The Scrubbers Sessions
★1999年 The Immediate Years:Natural Born Boogie
★1999年 Running with the Pack
☆2000年 Extended Versions ※「King Biscuit Flower Hour Presents- Humble Pie In Concert」のリイシュー盤
☆2000年 ナチュラル・ボーン・ブギ/Natural Born Boogie:The BBC Sessions ※旧邦題「BBCセッションズ」
★2000年 Twentieth Century Masters:The Millennium Collection
2002年 バック・オン・トラック/Back on Track
☆2002年 ライヴ・アット・ザ・ウィスキー・ア・ゴー・ゴー ’69/Live At The Whisky A Go-Go '69
★2005年 アトランタ・イヤーズ/Atlanta Years
★2006年 The Definitive Collection
★2006年 One More for the Old Tosser
☆2012年 Live '73
☆2013年 Live '81 ※「King Biscuit Flower Hour Presents- Humble Pie In Concert」のリイシュー盤
☆2013年 パフォーマンス〜ロッキン・ザ・フィルモア コンプリート・レコーディングス/Performance Rockin' the Fillmore: The Complete Recordings
☆2017年 オフィシャル・ブートレッグ・ボックス Vol.1/Official Bootleg Vol. 1 ※3CDボックス・セット
☆2018年 オフィシャル・ブートレッグ・ボックス Vol.2/Official Bootleg Vol. 2 ※5CDボックス・セット
☆2019年 アップ・アワ・スリーヴ~オフィシャル・ブートレッグ・ボックス Vol.3/Up Our Sleeve Official Bootleg Vol. 3 ※5CDボックス・セット
☆2019年 トゥアーリン~オフィシャル・ブートレッグ・ボックス Vol.4/Tourin’ Official Bootleg Vol. 4 ※4CDボックス・セット
2019年 ジョイント・エフォート/Joint Effort
<シングル>
1969年 あいつ/Natural Born Bugie(UK4位)
1969年 The Sad Bag of Shaky Jake
1970年 Big Black Dog
1971年 Shine On
1971年 ノー・ドクター/I Don't Need No Doctor(US73位)
1972年 ホット・アンド・ナスティ/Hot 'n' Nasty(US52位)
1972年 ほら穴の30日間/30Days in the Hole
1973年 ブラック・コーヒー/Black Coffee(US113位)
1973年 ゲット・ダウン・トゥ・イット/Get Down to It
1973年 シャット・アップ/Shut Up and Don't Interrupt Me
1974年 ナインティー・ナイン・パウンズ/Ninety-Nine Pounds
1974年 オー・ラ・ディ・ダ/Oh la de Da
1975年 ロックンロール・ミュージック/Rock and Roll Music(US105位)
1980年 Fool for a Pretty Face(US52位)
1981年 Tin Soldier(US58位)
【メンバー変遷】
#1 1969~1971
スティーヴ・マリオット(guitar, vocal)←Small Faces
ピーター・フランプトン(guitar, vocal)←The Herd
グレッグ・リドリー(bass)
ジェリー・シャーリー(drums)
#2 1971~1975
スティーヴ・マリオット(guitar, vocal)
デイヴ・"クレム"・クレムソン(guitar)
グレッグ・リドリー(bass)
ジェリー・シャーリー(drums)
#3 1979~1981
スティーヴ・マリオット(guitar, vocal)
ボビー・テンチ(guitar, vocal)
アンソニー・ジョーンズ(bass)
ジェリー・シャーリー(drums)
#4 1982
スティーヴ・マリオット(guitar, vocal)
ジム・レバートン(bass)
ゴールディ・マックジョン(keyboard)
ファロン・ウィリアムスⅢ世(drums)
#5 1983
スティーヴ・マリオット(guitar, vocal)
トミー・ジョンソン(guitar)
キース・クリストファー(bass)
ファロン・ウィリアムスⅢ世(drums)
#6 1983
スティーヴ・マリオット(guitar, vocal)
フィル・ディックス(guitar)
リック・リチャーズ(guitar)
キース・クリストファー(bass)
ファロン・ウィリアムスⅢ世(drums)
#7 1983
スティーヴ・マリオット(guitar, vocal)
フィル・ディックス(guitar)
デイヴ・ヒューイット(bass)
ファロン・ウィリアムスⅢ世(drums)
#8 1988~1989
チャーリー・ヒューン(vocal, guitar)
ウォーリー・ストッカー(guitar, backing-vocals)
アンソニー・"スーティ"・ジョーンズ(bass)
ジェリー・シャーリー(drums)
#9 1989~1990
チャーリー・ヒューン(vocal, guitar)
ウォーリー・ストッカー(guitar, backing-vocals)
ショーン・ビーヴァン(bass)
ジェリー・シャーリー(drums)
#10 1990~1992
チャーリー・ヒューン(vocal, guitar)
アラン・グリーン(guitar, backing-vocals)
スコット・アレン(bass)
ジェリー・シャーリー(drums)
#11 1992~1996
チャーリー・ヒューン(vocal, guitar)
アラン・グリーン(guitar, backing-vocals)
サム・ネモン(bass)
ジェリー・シャーリー(drums)
#12 1996~1999
チャーリー・ヒューン(vocal, guitar)
アラン・グリーン(guitar, backing-vocals)
ブラッド・ジョンソン(bass)
ジェリー・シャーリー(drums)
#13 2000
チャーリー・ヒューン(vocal, guitar)
リック・クレイグ(guitar)←ハロウィン
ケント・ガスコイン(bass)
ジェイミー・ダーネル(drums)
#14 2000
チャーリー・ヒューン(vocal, guitar)
パトリック・トーマス(guitar)
イアン・エヴァンス(bass)
ジェイミー・ダーネル(drums)
#15 2000~2001
ボビー・テンチ(vocal, guitar)
デイヴ・コルウェル(guitar)
グレッグ・リドリー(bass)
ジェリー・シャーリー(drums)
#16 2001~2002
ボビー・テンチ(vocal, guitar)
デイヴ・コルウェル(guitar)
ズート・マネー(keyboard)
グレッグ・リドリー(bass)
ジェリー・シャーリー(drums)
#17 2002
ボビー・テンチ(vocal, guitar)
ジョニー・ウォーマン(vocals, guitar)
ディーン・リース(keyboard)
グレッグ・リドリー(bass)
ジェリー・シャーリー(drums)
#18 2018
ジミー・クーンズ(vocals)
デイヴ・コルウェル(guitar)
ジェームス・ロトンディ(guitar)
デヴィッド・C・グロス(bass)
ボビー・マークス(drums)
ジェリー・シャーリー(director)
#19 2018~2022
ジミー・クーンズ(vocals)
デイヴ・コルウェル(guitar)
ジェームス・ロトンディ(guitar)
アイヴァン・ボドリー(bass)
ボビー・マークス(drums)
ジェリー・シャーリー(director)
#20 2023~
ジム・ステイプリー(vocal, guitar, organ, harmonica)
デイヴ・コルウェル(guitar)
アイヴァン・ボドリー(bass)
ボビー・マークス(drums)
ジェリー・シャーリー(director)
クリームの素晴らしき世界 Wheels of Fire
【歌・演奏】
クリーム/Cream
【リリース】
US 1968年7月14日
UK 1968年8月9日
【録音】
イングランド ロンドン IBCスタジオ 1967年7月、8月
アメリカ合衆国ニューヨーク州ニューヨーク市 アトランティック・スタジオ 1967年9月~10月、1968年1月~2月、6月
アメリカ合衆国カリフォルニア州サンフランシスコ ウィンターランド 1968年3月8日、3月10日
アメリカ合衆国カリフォルニア州サンフランシスコ ザ・フィルモア 1968年3月7日
【プロデューサー】
フェリックス・パパラルディ/Felix Pappalardi
【エンジニア】
トム・ダウド/Tom Dowd(Disc 1)
エイドリアン・バーバー/Adrian Barber(Disc 1、re-mix engineer Disc 2)
【レーベル】
UK ポリドール・レコード/Polydor Records
US アトコ・レコード/Atco Records
【収録曲】(☆シングル=①⑩)
<Disc 1>
side:A
☆① ホワイト・ルーム 4:58
White Room(Jack Bruce, Pete Brown)
*1968年11月リリース UK28位 US6位
② トップ・オブ・ザ・ワールド 4:58
Sitting on Top of the World(Walter Vinson, Lonnie Chatmon)
③ 時は過ぎて 4:37
Passing the Time(Ginger Baker, Mike Taylor)
④ おまえの言うように 4:20
As You Said(Jack Bruce, Pete Brown)
side:B
⑤ ねずみといのしし 3:13
Pressed Rat and Warthog(Ginger Baker, Mike Taylor)
⑥ 政治家 4:12
Politician(Jack Bruce, Pete Brown)
⑦ ゾーズ・ワー・ザ・デイズ 2:53
Those Were the Days(Ginger Baker, Mike Taylor)
⑧ 悪い星の下に 3:09
Born Unde a Bad Sign(Booker T. Jones, William Bell)
⑨ 荒れ果てた街 3:38
Deserted Cities of the Heart(Jack Bruce, Pete Brown)
<Disc 2>
side:C
☆⑩ クロスロード 4:13
Crossroads(Robert Johnson) Recorded at Winterland 1968.3.10
*1969年1月リリース US28位
⑪ スプーンフル 16:43
Spoonful(Willie Dixon) Recorded at Winterland 1968.3.10
side:D
⑫ 列車時刻 7:01
Traintime(Jack Bruce) Recorded at Winterland 1968.3.8
⑬ いやな奴 16:15
Toad(ginger Baker) Recorded at The Fillmore 1968.3.7
【録音メンバー】
☆クリーム
エリック・クラプトン/Eric Clapton(guitars, vocals)
ジャック・ブルース/Jack Bruce(bass, cello, harmonica, calliope, acoustic-guitar, recorder, vocals)
ジンジャー・ベイカー/Ginger Baker(drums, percussions, bells, glockenspiel, timpani, vocals, spoken-word)
☆ゲスト・ミュージシャン
フェリックス・パパラルディ/Felix Pappalardi(viola, bells, organ-pedals, trumpet, tonette)
【チャート】
1968年週間アルバム・チャート イギリス3位 アメリカ(ビルボード)1位
オーストラリア1位 カナダ1位 フランス2位 フィンランド3位 ドイツ15位 ノルウェイ16位
1968年年間アルバム・チャート アメリカ(ビルボード)45位
【メ モ】
クリームのサード・アルバム。スタジオ・アルバムとライヴ・アルバムから成るダブル・アルバムである。
このアルバムはRIAAプラチナ・アルバムに認定されたが、ダブル・アルバムがプラチナ・アルバムに認定されたのは世界で初めて。
「ローリング・ストーン誌が選ぶオールタイム・ベストアルバム500」において、2003年版は203位、2012年版は205位にランクされた。
アルバムのアート・ワークは、前作と同じくマーティン・シャープが担当している。
カラフル・クリーム Disraeli Gears
【歌・演奏】
クリーム/Cream
【リリース】
1967年11月2日
【録音】
1967年5月11日~5月15日 アトランティック・スタジオ(アメリカ合衆国ニューヨーク州ニューヨーク市)
【プロデューサー】
フェリックス・パパラルディ/Felix Pappalardi
【エンジニア】
トム・ダウド/Tom Dowd
【レーベル】
リアクション・レコード/Reaction Records (UK)
アトコ・レコード/Atco Records (US)
【収録曲】(☆シングル=①②)
side:A
☆① ストレンジ・ブリュー 2:46
Strange Brew(Eric Clapton, Felix Pappalardi, Gail Collins)
*1967年シングル・チャート UK17位
☆② サンシャイン・ラヴ 4:10
Sunshine of Your Love(Jack Bruce, Pete Brown, Eric Clapton)
*1968年シングル・チャート UK25位 US6位 カナダ3位
③ 苦しみの世界 3:03
World of Pain(Eric Clapton, Felix Pappalardi, Gail Collins)
④ 夜通し踊ろう 3:34
Dance the Night Away(Jack Bruce, Pete Brown)
⑤ ブルー・コンディション 3:29
Blue Condition(Ginger Baker)
side:B
⑥ 英雄ユリシーズ 2:46
Tales of Brave Ulysses(Eric Clapton, Martin Sharp)
⑦ スーラバー 2:32
SWLABR(Jack Bruce, Pete Brown)
⑧ 間違いそうだ 3:26
We're Going Wrong(Jack Bruce)
⑨ アウトサイド・ウーマン・ブルース 2:24
Outside Woman Blues(Blind Joe Reynolds)
⑩ テイク・イット・バック 3:05
Take It Back(Jack Bruce, Pete Brown)
⑪ マザーズ・ラメント 1:47
Mother's Lament(Traditional)
【録音メンバー】
☆クリーム
エリック・クラプトン/Eric Clapton(guitars, 12st-guitar④, vovals①②③④⑨⑪)
ジャック・ブルース/Jack Bruce(bass①~⑩, piano⑤⑪, harmonica⑩, vocals②③④⑥⑦⑧⑩⑪)
ジンジャー・ベイカー/Ginger Baker(drums①~⑩, percussions①~⑩, vocals⑤⑪)
【チャート】
1968年週間アルバム・チャート イギリス5位 アメリカ(ビルボード)4位
オーストラリア1位 フィンランド1位 フランス2位 カナダ10位 ノルウェイ16位
1968年年間アルバム・チャート アメリカ(ビルボード)3位
【メ モ】
クリームのセカンド・アルバム。
ブルースをルーツとするクリームの音楽性は、この作品ではブルースを基盤としつつもサイケデリックな方向へシフトされている。
アルバム・タイトルは、競技用自転車についてクラプトンとベイカーが話していた時、ローディーのミック・ターナーが「ディレイラー・ギア」(変速機)を「ディズレーリ(19世紀のイギリスの首相ベンジャミン・ディズレーリ)・ギア」と言い間違えたことによる。これをふたりが面白って、アルバムのタイトルに採用した。
レコーディングは1967年5月にニューヨークで行われた。バンドは「Music in the 5th Dimension」での公演を終えてスタジオ入りし、3日半で録音を終えたが、バンドのビザは録音最終日が期限だったという。
①「ストレンジ・ブリュー」、③「苦しみの世界」で作者のひとりにクレジットされているゲイル・コリンズは、本作のプロデューサーであるフェリックス・パパラルディの妻。
サイケデリック調のアルバム・ジャケットはマーティン・シャープによる。彼はオーストラリア人の芸術家で、クラプトンが住んでいたロンドンのチェルシー地区の「ザ・フェアサントリー」の住人でもあった。シャープは、クリームの次作「クリームの素晴らしき世界」のジャケットも担当しているほか、⑥「英雄ユリシーズ」では歌詞も提供している。
アルバム用の写真は、ビートルズの写真で有名なボブ・ウィテカーが撮影した。
このアルバムはRIAA認定のゴールド・アルバムを獲得。1999年にはグラミーの殿堂入りした。またローリング・ストーン誌の「ローリング・ストーン誌が選ぶオールタイム・ベストアルバム500」2003年版で第114位にランクされている。
フレッシュ・クリーム Fresh Cream
【歌・演奏】
クリーム/Cream
【リリース】
1966年12月9日
【録音】
1966年7月~10月
イングランド ロンドン ライリック・スタジオ
イングランド ロンドン ライミューズ・スタジオ
【プロデューサー】
ロバート・スティグウッド/Robert Stigwood
【エンジニア】
ジョン・ティムパーリー/John Timperley
【レーベル】
リアクション・レコード/Reaction Records (UK)
アトコ・レコード/Atco Records (US)
【収録曲】(☆シングル=⑤)
side:A
① N.S.U. 2:43
N.S.U.(Jack Bruce)
② スリーピー・タイム 4:20
Sleepy Time(Jack Bruce, Janet Godfrey)
③ ドリーミング 1:58
Dreaming(Jack Bruce)
④ スウィート・ワイン 3:17
Sweet Wine(Ginger Baker, Janet Godfrey)
☆⑤ スプーンフル 6:30
Spoonful(Willie Dixon)
*1967年リリース
side:B
⑥ 猫とリス 3:03
Cat's Squirerel(Doctor Ross)
⑦ フォー・アンティル・レイト 2:07
Four Until Late(Robert Johnson)
⑧ ローリン・アンド・タンブリン 4:42
Rollin' and Tumblin'(Hambone Willie Newbern)
⑨ アイム・ソー・グラッド 3:57
I'm So Glad(Skip James)
⑩ いやな奴 5:11
Toad(Ginger Baker)
【録音メンバー】
☆クリーム
エリック・クラプトン/Eric Clapton(guitars, vovals)
ジャック・ブルース/Jack Bruce(bass, harmonica, piano, vocals)
ジンジャー・ベイカー/Ginger Baker(drums, percussions, vocals)
【チャート】
1967年週間アルバム・チャート イギリス6位 アメリカ(ビルボード)39位
フィンランド4位 オーストラリア10位 フランス20位
1967年年間アルバム・チャート アメリカ(ビルボード)32位
【メ モ】
クリームのファースト・アルバム。
この作品が「のちのヘヴィ・メタル・ロックとジャム・ロックの誕生に大きく影響している」と評価する向きもある。
1966年12月9日、アルバムのステレオ・ヴァージョン、同モノラル・ヴァージョン、そしてシングル「アイ・フィール・フリー」(アメリカ盤に収録)が同時にリリースされた。1967年1月にはアメリカ盤がリリースされている。
このアルバムは、ローリング・ストーン誌の「ローリング・ストーン誌が選ぶオールタイム・ベストアルバム500」2012年版の第102位にランクされている。