テン・イヤーズ・アフター Ten Years After
【活動期間】
①1966~1974
②1988~
【メンバー】
①1966~1974
アルヴィン・リー/Alvin Lee(vocals, guitars) 在籍1966~1974
チック・チャーチル/Chick Churchill(keyboards) 在籍1966~1974
レオ・ライオンズ/Leo Lyons(bass) 在籍1968~1974
リック・リー/Ric Lee(drums) 在籍1968~1974
②1988~
アルヴィン・リー/Alvin Lee(guitar, vocal, harmonica) 在籍1988~2003
ジョー・グーチ/Joe Gooch(guitar, vocal) 在籍2003~2014
マーカス・ボンファンティ/Marcus Bonfanti(guitar, vocal) 在籍2014~
チック・チャーチル/Chick Churchill(keyboards) 在籍1988~
レオ・ライオンズ/Leo Lyons(bass) 在籍1988~2014
コリン・ホッジキンソン/Colin Hodgkinson(bass) 在籍2014~
リック・リー/Ric Lee(drums) 在籍1988~
1988~2003 2003~2014 2014~
アルヴィン・リー(g、vo) ジョー・グーチ(g,vo) マーカス・ボンファンティ(g、vo)
チック・チャーチル(key) チック・チャーチル(key) チック・チャーチル(key)
レオ・ライオンズ(b) レオ・ライオンズ(b) コリン・ホッジキンソン(b)
リック・リー(drs) リック・リー(drs) リック・リー(drs)
1960年代後半から1970年代前半にかけて活躍したブルース・ロック・バンド。
ブルースをベースに、ジャズやR&Bなどのエッセンスを加えたハードな演奏が特徴で、ライブ・バンドとしても名を馳せた。
1960年代に隆盛を誇ったブルースは、のちのハード・ロックへと繋がる源流のひとつへと進化していったが、テン・イヤーズ・アフターはその過程を形作ったバンドのひとつである。
また、ギタリストのアルヴィン・リーの「マシンガン・ピッキング」による速弾きは、1960年代後半のロック界において傑出した存在であり、多くのフォロワーを生んだ。
テン・イヤーズ・アフターの原型となるバンドは、1960年の終わり頃にイングランドのノッティンガム市で、アルヴィン・リー(guitar)、レオ・ライオンズ(bass)、イヴァン・ジェイ(vocal)によって結成された「イヴァン・ジェイ & ジェイキャッツ」(Ivan Jay & the Jaycats)である。
バンドは1962年に「ザ・ジェイバーズ」(The Jaybirds)と改名し、同年ドイツのハンブルグにある「スター・クラブ」に出演。
翌63年、ジェイバーズはイングランドに戻った。
その後さらに「イヴァン・ジェイ & ザ・ジェイメン」(Ivan Jay & the Jaymen)と改名したバンドは、ノッティンガムのマンスフィールド周辺でその名が知られるようになる。
1965年8月、ドラマーがリック・リー(drums、元The Mansfields)に交替し、バンドはアルヴィン・リー(guitar, vocal)、レオ・ライオンズ(bass)、リック・リーのギター・トリオ編成となる。(なおアルヴィンとリックは同姓であるが、血縁関係はない)
1966年、バンドはロンドンに進出し、「アイヴィー・リーグ」(The Ivy League)のバックを務めるなどしていたが、1966年にチック・チャーチル(keyboard)がバンドに加わると、バンド名を「Blues Trip」に変えた。(マーキー・クラブ出演時には「Blues Yard」の名を使っている)
そして同年、最終的に「テン・イヤーズ・アフター」と改名したのである。
「このバンドが10年後も続いているように」という願いがこの名の由来であるが、テン・イヤーズ・アフターは改名9年目の1974年に解散することになる。しかし1988年に再結成してからは息の長い活動を続けている。
テン・イヤーズ・アフターは、マーキー・クラブなどで演奏活動を続けていたが、1967年に出演したウィンザー・ジャズ・フェスティバルでのパフォーマンスが認められたのがきっかけとなり、デッカ・レーベルの子会社であるデラム・レコードと契約することになった。
1967年10月にデビュー・アルバム『テン・イヤーズ・アフター・ファースト』を発表すると、1968年にはスカンジナビアとアメリカでツアーを行う。
エネルギッシュなライヴ・パフォーマンス、アルヴィン・リーのギター・プレイに加え、当時のブリティッシュ・ロック界を覆っていたブルース・ブームに後押しされ、彼らへの注目は高まってゆく。
1968年8月、代表曲『アイム・ゴーイング・ホーム』が収録された2枚目のアルバム『イン・コンサート』を発表。『イン・コンサート』は、スケジュールの都合によって当時としては異例のライヴ・アルバムとして制作されており、ライヴ・バンドとしての評価が高まっていたテン・イヤーズ・アフターの魅力が詰まったものになっている。
1969年、「ニューポート・ジャズ・フェスティヴァル」にロック・バンドとしては初めて招かれる。この年はほかにも「シアトル・ポップ・フェスティヴァル」、「ウッドストック・フェスティヴァル」などの大型イベントに出演した。
特筆されるのは、8月17日に出演したウッドストックである。この夜ステージに上がったテン・イヤーズ・アフターは『アイム・ゴーイング・ホーム』を大熱演。このパワフルなパフォーマンスは「ウッドストックのハイライトのひとつ」と絶賛され、テン・イヤーズ・アフターの人気を確固たるものにした。
1970年にはワイト島で行われたポップ・フェスティヴァルにジミ・ヘンドリックスやマイルス・デイヴィスらと出演している。
テン・イヤーズ・アフターは、1969年~1970年の間に『ストーンドヘンジ』『夜明けのない朝』『クリックルウッド・グリーン』『ワット』の、4枚のアルバムを発表しているが、これらはすべて全英アルバム・チャートトップ10入りのヒットを記録しているほか、ヨーロッパ、とくに北欧圏で高い人気を誇った。また全米アルバム・チャートでも『クリックルウッド・グリーン』が14位、『スペース・イン・タイム』(1971年)が17位まで上昇するなど、アメリカでも人気を得るに至った。
なお『クリックルウッド・グリーン』からシングル・カットされた『Love Like a Man』は、テン・イヤーズ・アフターの唯一の全英トップ10シングル(全英10位、ドイツ9位、オーストリア8位)である。このシングル・レコードのA面は45回転の3分間ヴァージョン、B面は33回転の8分近くのライブ・ヴァージョンで、これはA面とB面で回転速度の異なるトラックを収めた初のレコードである。
1971年、レーベルをデラムから、コロムビア(アメリカ)、クリサリス(イギリス)に移籍し、『スペース・イン・タイム』を発表。このアルバムはミリオン・セラーとなったほか、シングル・カットされた『チェンジ・ザ・ワールド』は、全米40位(テン・イヤーズ・アフター唯一の全米トップ40シングル)、カナダ10位のヒットを記録した。
1972年5月、「プロコル・ハルム」とのジョイント・コンサートのため初来日。翌73年6月にはアルバート・ハモンドを伴って再来日している。
絶頂期にあったテン・イヤーズ・アフターだが、音楽的マンネリズムに陥った感が生じてきたうえに、ポップス路線へのシフトを企図するレーベル側と、ブルース・ロックを追求したいアルヴィン・リーとの方向性の相違が表面化するようになった。こうした中でアルヴィン・リーのソロ活動の比重は徐々に大きくなり、これらの理由が原因となってバンドは次第に低迷してゆく。
勢いを失いつつあったテン・イヤーズ・アフターは、1974年に通算8枚目のスタジオ・アルバム『バイブレーションズ』を発表したが、内容は全く精彩を欠いており、このアルバムの発表後間もなく解散した。
アルヴィン・リーはソロとして活動を続けたのち、1978年に「テン・イヤーズ・レイター」(Ten Years Later)を結成。
レオ・ライオンズはマイケル・シェンカー在籍時の「UFO」のプロデューサーを務め、『現象』『フォース・イット』『ノー・ヘヴィー・ペッティング』の3枚のアルバムをプロデュースし、UFOの飛躍に貢献した。
リック・リーとチック・チャーチルは音楽出版やマネージメントに関わり、一時演奏から遠ざかることになる。
1975年8月4日、サンフランシスコのウィンターランドでアメリカでのフェアウェル・コンサートのため一時的に再結成。
1983年は、7月1日に当夜限定で再結成してロンドンで行われた「マーキー・クラブ25周年記念コンサート」に出演したほか、8月のレディング・フェスティヴァルにも出演している。
1988年、いくつかのコンサートとレコーディングのため、本格的に再始動。
1989年8月には15年ぶりのアルバム『アバウト・タイム』を発表した。
2003年、アルヴィン・リーが脱退。後任としてジョー・グーチが加入した。
2004年、自主レーベル「Ten Years After Records」を設立し、第一弾アルバム『Now』を発表。
2013年、アルヴィン・リーが急死。同年12月30日、「Hundred Seventy Split」の活動に専念するためグーチとライオンズが脱退する。
2014年、マーカス・ボンファンティ(guitar, vocal)とコリン・ホッジキンソン(bass)が加入。
2017年、9年ぶりに13枚目のアルバム『A Sting in the Tale』を発表。
2013年3月6日、テン・イヤーズ・アフターの代名詞でもあったアルヴィン・リーが、心房細動を治療するための「通常の外科的処置後に起きた予期せぬ合併症」のため68歳で急死した。死後、スペインの自宅から、1972年の『ロックンロール・ミュージック・トゥ・ザ・ワールド』のレコーディング・セッションで録音された音源が見つかった。これはデモ音源やリハーサル・トラックではなく、「アルバムに収まりきらなかった」という理由でお蔵入りとなった、いわば完成品であった。この音源はプロデューサーであるクリス・キムゼイによってミックス・ダウンされ、2017年にバンド結成50年を記念してリリースされたボックス・セット『1967-1974』に収録された。
【ディスコグラフィ】(☆=ライヴ・アルバム)
<アルバム>
1967年 テン・イヤーズ・アフター・ファースト/Ten Years After
☆1968年 イン・コンサート/Undead(全英26位 全米115位)
1969年 ストーンドヘンジ/Stonedhenge(全英6位 全米61位)
1969年 夜明けのない朝/Ssssh(全英4位 全米20位 ドイツ6位)
1970年 クリックルウッド・グリーン/Cricklewood Green(全英4位 全米14位 デンマーク5位 ドイツ8位 ノルウェー8位)
1970年 ワット/Watt(全英5位 全米21位 カナダ16位 ドイツ9位 イタリア8位 デンマーク7位 ノルウェー8位)
1971年 スペース・イン・タイム/A Space in Time(全英36位 全米17位 デンマーク8位 スウェーデン9位)
1972年 ロックンロール・ミュージック・トゥ・ザ・ワールド/Rock & Roll Music to the World(全英27位 全米43位 デンマーク2位 スウェーデン8位)
☆1973年 ライヴ!/Recorded Live(全英36位 全米39位 ドイツ10位 ノルウェー9位)
1974年 バイブレーションズ/Positive Vibrations(全米81位 デンマーク15位 スウェーデン11位)
1989年 アバウト・タイム/About Time(全米120位 ドイツ87位)
☆2001年 ライヴ・アット・ザ・フィルモア・イースト/Live at the Fillmore East 1970
2004年 Now
☆2005年 Roadworks
2008年 Evolution
☆2014年 The Name Remains the Same
2017年 A Sting in the Tale
<シングル>
1968年
Portable People
Rock Your Mama
I'm Going Home(Live)/Hear Me Calling(オランダ11位、ベルギー28位)
1969年
Spoonful
A Sad Song
I Woke Up This Morning
1970年
Bad Scene
Good Morning Little School Girl
Love Like a Man(全英10位、全米98位、オーストリア8位、ドイツ9位)
Working on the Road
1971年
I’m Coming On(ドイツ47位)
I'd Love to Change the World(全米40位、カナダ10位)
Baby Won't You Let Me Rock'n' Roll You(全米61位、カナダ54位)
1972年
One of These Days
You Can't Win Them All
Rock'n' Roll Music to the World
Choo Choo Mama(全米89位)
1973年
Tomorrow I'll Be Out of Town
Standing at the Station
I'm Going Home(live '73)
1974年
It's Getting Harder
Stone Me
Going Back to Birmingham
1989年
Let's Shake It Up
Highway of Love
2017年
Suranne Suranne