リック・リー Richard "Ric" Lee
【パート】
ドラムス、パーカッション
【生没年月日】
1945年10月20日~
【出生地】
イングランド ノッティンガムシャー州マンスフィールド
【経 歴】
マンスフィールズ/The Mansfields(1962~1965)
イヴァン・ジェイ & ザ・ジェイメン/Ivan Jay & The Jaymen(1965~1966)
テン・イヤーズ・アフター/Ten Years After(1966~1974)
チキン・シャック/Chicken Shack(1980~1982)
テン・イヤーズ・アフター/Ten Years After(1988~ )
ブレイカーズ/The Breakers(1994~ )
リック・リー・ブルース・プロジェクト/Ric Lee Blues Project(2011)
リック・リーズ・ナチュラル・ボーン・スウィンガーズ/Ric Lee's Natural Born Swingers(2012~ )
テン・イヤーズ・アフターのドラマー。オリジナル・メンバーである。
ブルース・ロックを中心に演奏活動を続けている。
リック・リーが最初に加入したのは「ファルコンズ」(Falcons)である。バンドの創設メンバーのひとりであった。
1962年、ノッティンガム周辺を拠点に活動していた「マンスフィールズ」(The Mansfields)のメンバーとなったが、1965年8月にデイヴ・クィックマイアーに代わって「イヴァン・ジェイ & ザ・ジェイメン」(Ivan Jay & the Jaymen)に加入した。このバンドにはアルヴィン・リー(guitar)とレオ・ライオンズ(bass)が在籍していた。
当時のイヴァン・ジェイ & ザ・ジェイメンは、アルヴィン・リー(guitar, vocal)、レオ・ライオンズ(bass)、リック・リー(drums)からなるギター・トリオだった(アルヴィンとリックは同姓であるが、血縁関係はない)が、1966年にチック・チャーチル(keyboard)がバンドに加わると、バンドは「Blues Trip」名乗るようになる。このバンドが1966年秋に改名して、「テン・イヤーズ・アフター」となるのである。「このバンドが10年後も続いているように」という願いがその由来である。
テン・イヤーズ・アフターは、1967年にデビュー・アルバム『テン・イヤーズ・アフター』を発表。続いてセカンド・アルバム『イン・コンサート』(当時としては異例のライヴ・アルバム)をリリース。この2枚のアルバムによって、アルヴィン・リーのギターを中心としたパワフルな演奏が注目されるようになる。当時のブリティッシュ・ロック・シーンはブルース・ブームに沸いていたが、テン・イヤーズ・アフターはこれに押され、ブリティッシュ・ロック界のホープと見なさるようになったのである。
1969年8月にはウッドストック・フェスティヴァルに出演し、『アイム・ゴーイング・ホーム』などを演奏したが、これは今でも語り継がれるほどの大熱演であり、テン・イヤーズ・アフターの人気は確固たるものになった。
野外フェスティヴァルとしては、そのほか「ニューポート・ジャズ・フェスティヴァル」(1969年)、「シアトル・ポップ・フェスティヴァル」(1969年)、「アトランタ・ポップ・フェスティヴァル」(1969年)、「ワイト島フェスティヴァル」(1970年)などに招かれているが、これもテン・イヤーズ・アフターの人気の表われである。
リック・リーのドラミングはアルヴィン・リーのギターに呼応するかのようにパワフルであり、さらにはジャズ的アプローチも自在で、ベーシストのレオ・ライオンズとともに強力なリズム・セクションを形成し、バンドを支えた。
1980年、レッド・ツェッペリンのドラマー、ジョン・ボーナムが急死した。その後任候補として様々なドラマーが予想されたが、その中にはリック・リーの名もあった。このことからもリックのドラミングの評価の高さが窺える。
テン・イヤーズ・アフターの全盛期は1969~1972年頃で、この間にリリースしたアルバム6作はすべて全英トップ40入りしている(とくに『ストーンヘンジ』『夜明けのない朝』『クリックルウッド・グリーン』『ワット』は4作連続全英トップ10入り)ほか、うち3作は全米アルバム・チャートでトップ20入りしている。
英米ばかりでなく、北欧圏でも高い人気を誇っていたが、レーベル側とアルヴィン・リーで方向性を巡る意見の相違が顕著となってきたうえに、アルヴィン・リーがソロ活動を活発に行うようになり、バンドの勢いは失われてゆく。
1974年にリリースした通算8枚目のスタジオ・アルバム『バイブレーションズ』は全く精彩を欠いた内容であり、低迷が続くテン・イヤーズ・アフターはこのアルバムを最後に解散した。
1975年8月4日には、サンフランシスコのウィンターランドで行われたアメリカでのフェアウェル・コンサートに出演。
解散後のリックは1976年に音楽出版やレコード制作、マネージメントに関わるプロダクションを設立し、演奏からは一時から遠ざかる。
1980年、イギリスの名門ブルース・ロック・バンド「チキン・シャック」(Chicken Shack)に加入。
1983年、テン・イヤーズ・アフターは7月1日限定で再結成し、ロンドンで行われた「マーキー・クラブ25周年記念コンサート」に出演。また同年8月のレディング・フェスティヴァルにもテン・イヤーズ・アフターとして出演している。
1988年、いくつかのコンサートとレコーディングのため再始動したテン・イヤーズ・アフターに加わる。バンドは1989年8月に15年ぶりのアルバム『アバウト・タイム』を発表。
以後、アルヴィン・リーの脱退(2003年)と死去(2013年)、メンバー・チェンジなどがありながら、テン・イヤーズ・アフターのドラマーとして活動を続けている。
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テン・イヤーズ・アフター以外の活動としては、1994年には、旧友のイアン・エリス(bass 元サヴォイ・ブラウン)と「ブレイカーズ」(The Breakers)を結成。1995年7月に発表したアルバム『Milan』には、レオ・ライオンズやチック・チャーチルもゲスト参加している。
ブレイカーズは1996年3月にヨーロッパで放送されたNBCスーパー・チャンネルの番組「Talking Blues」に出演し、ブライアン・アダムス、ボニー・レイットと共演している。
また2000年にはサヴォイ・ブラウンのキム・シモンズとナサニエル・パーターソンのヨーロッパ・ツアーに加わった。
2011年には「リック・リー・ブルース・プロジェクト」(Ric Lee's Blues Project)を結成。このバンドは翌2012年には「リック・リーズ・ナチュラル・ボーン・スウィンガーズ」(Ric Lee's Natural Born Swingers)と改名。メンバーはリックのほか、ボブ・ホール(piano 元サヴォイ・ブラウン)、ダニー・ハンドリー(guitar, vocal アニマルズ)、スコット・ホイットリー(bass)だったが、ハンドリーとホイットリーがバンドを去ったのち、2015年にジョン・アイダン(guitar, vocal ヤードバーズ)が加わった。
2019年5月には、自叙伝『From Headstock To Woodstock』を出版している。