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『ゼア・アー・バット・フォー・スモール・フェイセス』(スモールフェイセス)

2025-01-20 12:36:35 | albums

ゼア・アー・バット・フォー・スモール・フェイセス There Are But four Small Faces

【歌・演奏】
  スモール・フェイセス/Small Faces

【リリース】
  1968年2月24日

【録  音】
  1966年10月~1967年11月 
  オリンピック・スタジオ(イングランド ロンドン)
  
【プロデューサー】
  ロニー・レーン/Ronnie Lane
  スティーヴ・マリオット/Steve Marriott

【レーベル】
  コロンビア/Columbia Records (US)
  イミディエイト/Immediate Records (UK)

【収  録  曲】(☆=シングル ①⑦⑩)
  side : A
  ☆① イチクー・パーク 2:44
     Itchycoo Park(Steve Marriott, Ronnie Lane)
     *1967年8月4日リリース(US) 1967年シングル・チャート US(ビルボード)16位, UK3位, カナダ1位, ニュージーランド1位, オーストラリア2位
   ② トーク・トゥ・ユー 2:05
     Talk to You(Steve Marriott, Ronnie Lane)    
   ③ アップ・ザ・ウドゥン・ヒルズ・トゥ・ベドフォードシャー 2:00
     Up the Wooden Hills to Bedfordshire(Ian McLagan)
   ④ マイ・ウェイ・オブ・ギヴィング 1:52
     My Way of Giving(Steve Marriott, Ronnie Lane)
   ⑤ アイム・オンリー・ドリーミング 2:21
     I'm Only Dreaming(Steve Marriott, Ronnie Lane)
   ⑥ アイ・フィール・マッチ・ベター 3:55
     I Feel Much Better(Steve Marriott, Ronnie Lane, Ian McLagam)
  side : B
  ☆⑦ ティン・ソルジャー 3:16
     Tin Soldier(Steve Marriott, Ronnie Lane)
     *1967年12月2日リリース(US) 1968年シングル・チャートUK9位, US(ビルボード)73位, オーストラリア3位, ニュージーランド3位, オランダ4位
   ⑧ ゲット・ユアセルフ・トゥゲザー 2:17
     Get Yourself Together(Steve Marriott, Ronnie Lane)
   ⑨ ショウ・ミー・ザ・ウェイ 2:05
     Show Me the Way(Steve Marriott, Ronnie Lane)
  ☆⑩ ヒア・カムズ・ザ・ナイス 2:54
     Here Comes the Nice(Steve Marriott, Ronnie Lane)
     *1967年6月2日リリース(US) 1967年シングル・チャート UK12位, 西ドイツ24位, オランフダ28位
   ⑪ グリーン・サークルズ 2:34
     Green Circles(Steve Marriott, Ronnie Lane, Michael O'Sullivan)
   ⑫ ハヴ・ユー・エヴァー・シーン・ミー 2:15
     (Tell Me) Have You Ever Seen Me?(Steve Marriott, Ronnie Lane)
        
【録音メンバー】
 ◆スモール・フェイセス
   スティーヴ・マリオット/Steve Marriott(guitars, piano⑨, lead-vocals①②④⑤⑥⑦⑧⑩⑪⑫, backing & harmony-vocals)
   イアン・マクレガン/Ian McLagan(keyboards, guitar③, bass③⑨, lead-vocals③, backing & harmony-vocals)
   ロニー・レーン/Ronnie Lane(bass, lead-vocal⑥⑨⑩⑪, backing & harmony-vocals)
   ケニー・ジョーンズ/Kenney Jones(drums, percussions)

【チャート】
  1968年週間アルバム・チャート  アメリカ(ビルボード)178位

【メ  モ】
 ・スモール・フェイセスにとって、初めてアメリカでリリースされたアルバム。前年リリースされた「スモール・フェイセス」(イミディエイト盤)の修正ヴァ-ジョン(アメリカ編集)アルバムであり、北米でリリースされたスモール・フェイセス唯一のアルバムである。

 ・リリース当初はチャート入りしていなかったが、シングル「イチクー・パーク」が1968年1月にビルボードのトップ20に入ったのちに短期間チャート入りした。結果的に、アルバム・チャートには3週ランク・インし、1968年3月には最高178位を記録した。


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ゴードン・ハスケル

2025-01-20 10:55:18 | vocal

ゴードン・ハスケル Gordon Haskell


 【出生名】
   ゴードン・ハスケル・ヒオニデス/Gordon Haskell Hionides

 【パート】

   ヴォーカル、ベース、ギター

 【生没年月日】
   1946年4月27日~2020年10月15日(74歳没)

 【出生地】
   イングランド ドーセット州ボーンマス

 【経 歴】
   ザ・リーグ・オブ・ジェントルメン/The League of Gentlemen(1964~1965)
   ザ・ダウランズ/The Dowlands(1965)
   フルール・ド・リス/The Fleur de Lys(1965~1968)
   ザ・フラワーポット・メン/The Flowerpot Men(1968)
   キューピッズ・インスピレーション/Cupid's Inspiration(1968~1969)
   キング・クリムゾン/King Crimson(1970)
   ブリン・ハワース・バンド/Bryn Haworth Band(1976)
   ジョー/Joe(1976~1977)
   グラフィティ-ハウス・バンド/Grafiti-House Band(1977)※「Joe」の変名バンド
   クリフ・リチャード・バンド/Cliff Richard Band(1977)
   

 ゴードン・ハスケルは、イングランド出身のヴォーカリスト、ベーシスト。
 キング・クリムゾンの2代目ヴォーカリストとして知られている。

 ハスケルは、1946年4月27日にイングランドのドーセット州ボーンマスの産科病院で生まれた。
 学校の友人であるロバート・フリップからギターやコード理論を教わり、1961年6月にフリップ(guitar)、ティノ・リチニオ(vocal, guitar)、グレアム・ウェイル(drums)とともに「ザ・レイヴンズ」 (The Ravens)を結成し、ベースとヴォーカルを担当する。ザ・レイヴンズは、同年9月にウィンボーンにあるウェスト・ムーア・ユース・クラブの教会で初めてライヴを行うなど地元で多少のステージに立ったが、1962年8月に解散する。

 1964年3月、セミプロ活動を続けていたフリップ、ハスケル、リチニオが再び集まり、スタンリー・レヴィ(drums)とレグ・マシューズ(vocal)を加えて「ザ・リーグ・オブ・ジェントルメン」を結成する。このローカル・バンドは、おもにビートルズ、ロイ・オービソン、フォー・シーズンズなどの当時のヒット曲をレパートリーとしていた。彼らは「地元ドーセット州ボーンマスを拠点とするバンド」として地方紙に取り上げられたこともあり、ハスケルにとってこれが本格的なプロとしての活動の始まりだった。
 しかし1965年夏にフリップが進学のため脱退する。後任としてデイヴ・アンソニー(vocal)を迎えて活動を続けたが、結局レコード・デビューすることなくバンドは1965年11月に解散した

 ザ・リーグ・オブ・ジェントルメン解散後のハスケルは警察の職員として働き始めたが、わずか一日で辞めたという。そしてハスケルと同じボーンマス出身のバンド、「ザ・ダウランズ」のツアーにメンバーとして参加した。このバンドには、1963年まではマイケル・ジャイルズピーター・ジャイルズの兄弟が在籍していたことで知られる。
 ザ・ダウランズのツアーの途中、ファンから「フルール・ド・リス(サイケデリック系のビート・バンド)がベーシストを探している」と聞かされたハスケルは、バンドにコンタクトを取って1965年12月に加入する。
 ハスケルはロンドンに出て、リンゴ・スター所有の邸宅に1966年中頃から8ヶ月間ほど住む。この時アニマルズのメンバーや、アニマルズのチャス・チャンドラーがアメリカから連れて来たジミ・ヘンドリックスとも同居している。

 1966年3月、フルール・ド・リスはセカンド・シングル「サークルズ」をリリース。これがハスケルのレコード・デビューである。
 「サークルズ」は、ザ・フーが1966年3月に発表したシングル「恋のピンチ・ヒッター」のB面に収録されていたものだが、セールスは振るわなかった。
 1967年からフルール・ド・リスのマネージャーとなったフランク・フェンターは、スタックス・レコードの欧州担当英国部門の責任者だった。この繋がりによって、ハスケルはシャロン・タンディ、ウェイグッド・エリス、ジョン・ブロムリーなどさまざまなミュージシャンのバック・バンドやセッションに参加するようになる。またこの頃ウィリアム・Eという歌手に「レイジー・ライフ」という曲を提供したが、この曲は南アフリカのシングル・チャートで最高2位を記録するヒットとなった。なおこの曲は、ハスケルが単独で他の歌手に提供した初めての曲である。

 1968年4月、ハスケルはフルール・ド・リスを脱退し、「ザ・フラワー・ポット・メン」を経て、同年10月「キューピッズ・インスピレーション」にツアー・メンバーとして参加する。
 ハスケルは作曲にも力を注いでおり、書き貯めたオリジナル曲はこの当時50曲以上あったと言われている。そのオリジナル曲をマネージャーと一緒に売り込んでいたところ、それがキューピッズ・インスピレーションのプロデューサーであるジミー・ダンカンの目にとまった。そしてダンカンの協力を得て、1969年9月にイギリスCBSよりファースト・ソロ・アルバム「セイル・イン・マイ・ボート」をリリースした。



 1969年は旧友のフリップがキング・クリムゾンを結成した年でもあるが、ハスケルはその当時からたびたびクリムゾンのリハーサルに訪れていた。
 1970年春、キング・クリムゾンからグレッグ・レイク(bass, vocal)が脱退すると、フリップからの要請でクリムゾンのセカンド・アルバム「ポセイドンのめざめ」のレコーディングに参加し、「ケイデンスとカスケイド」でヴォーカルを担当した。この頃のハスケルはリスペクトするオーティス・レディングやブッカーT & MG'sなどが在籍しているアトランティック・レコードに所属しており、それに満足していたので、「ケイデンスとカスケイド」を歌ったのは、単なる小遣い稼ぎのつもりだったという。しかしヴォーカリストを探していたフリップに誘われると、そのままベーシスト兼ヴォーカリストとして正式にクリムゾンに加入した。
 この年夏、クリムゾンはサード・アルバム「リザード」を録音。しかしハスケルは、アルバム制作終了後に行われたツアー用リハーサルで「歌のキーを自分に合わせて下げてほしい」という頼みをフリップに断られると、「自分が確信を持てない曲は歌いたくない」と言ってそのままあっさりとバンドから脱退してしまう。脱退の根底にはフリップとの音楽性の相違があり、ハスケルはのちに「キング・クリムゾンを好きだと思ったことは一度もない。私は「リザード」の録音中ずっと、クリムゾンの一部でいることが苦痛だった」「クリムゾンに一時期在籍してはいたが、自分の人生の中では何の転機にもならなかった」などと語っている。
 脱退後、ちょうどイギリスを訪れていたアトランティック・レコード会長のアーメット・アーティガンに会う機会を得る。その面接の席上、ギターの弾き語りで6曲歌ったところ、アーティガンはハスケルをとても気に入り、契約を交わすことに成功した。


キング・クリムゾン1970年9月 左からメル・コリンズ、ピート・シンフィールド、ロバート・フリップ、アンディ・マッカロック(後右)、ゴードン・ハスケル(前右)

 1971年夏、セカンド・アルバム「歳時記」を制作する。このアルバムはAORの香り漂うフォーク・ロックという趣があり、元ダウランズで同じドーセット州出身の旧友アラン・バリー(guitar)、元モーグル・スラッシュのジョン・ウェットン(bass)、同じく元モーグル・スラッシュのビル・アトキンソン(ビル・ハリソン、drums)らが録音に参加している。このアルバムは、セールス面では振るわなかったが、ファンのあいだでは好評を得ている。
 
 1972年11月、ロンドンのレインボウ・シアターで、ウィッシュボーン・アッシュやマウンテンなどと共演したが、1972年にはソロ・シンガーとしての活動にピリオドをうち、その後はおもにセッション・ベーシストとして活動を続ける。
 1974年には、スタックリッジと短期間セッションしている。正式加入には至らなかったが、スタックリッジは4枚目のアルバム「Extravaganza」でハスケルの曲「Worms」を「No One's More Important Than the Earthworm」と改題して取り上げている。
 しかし精神的疲労が蓄積していたハスケルはそれ以降一時期行方をくらます。

 その後、フルール・ド・リスでバンド・メイトだったブリン・ハワース(guitar)のバック・バンドのベーシストを務め、ハワースのファースト・ソロ・アルバム「レット・ザ・デイズ・ゴー・バイ」(1974年発表)の録音に参加。
 1976年には、ブリン・ハワース・バンドで知り合った加藤ヒロシ(guitar)、ジム・ラッセル(drums)とロック・トリオ「ジョー」を結成する。このバンドはディスコ・ミュージックの影響が強い作品を制作し、1977年にはシングル「How I Can Resist」を発表。(このシングルにはメル・コリンズも参加している)
 1977年、山口百恵のロンドン制作アルバム「GOLDEN FLIGHT」にジョーのメンバーらと参加。同年6月には、村岡実(尺八)のアルバム制作のため初来日。この時、レコーディングの合間に加藤ヒロシの故郷である関西で唯一の日本公演を行っている。
 この年、知人の紹介でクリフ・リチャード・バンドのツアー・バンドに約3ヵ月加わっている。

 1979年、RCAと2年間のソングライター契約を結び、サード・アルバムを制作する。この時のレコーディング・セッションからシングル盤を4枚リリースしたが、当時吹き荒れていたはパンク・ロックやニュー・ウェイヴの嵐のあおりを受けてアルバム自体はテスト盤止まりとなった。お蔵入りしたこの音源は、1997年になって「Serve at Room Temperature」のタイトルで発表されている。
 1984年以降は弾き語りでヨーロッパ各地の酒場を巡る。1989年には「Wilderness Records」を設立、ツアーも精力的に行った。1990年には11年ぶり通算4作目のソロ・アルバム「ハンブルドン・ヒル」を発表。



 2001年、クリスマス・ソングとしてシングル「How Wonderful You Are」をリリースしたところこれに火がつき、全英シングル・チャート2位の大ヒットを記録。翌2002年春に発表した通算9作目のアルバム「Harry's Barも全英アルバム・チャート2位まで上昇している。
 2006年、自伝「The Road to Harry's Bar:Forty Years on the Potholed Path to Stardom」を出版。
 2007年、ドーセット州の自宅から、家族とともにギリシャのスコペロスに移住する
 2015年初頭、5年ぶりのシングル「I'm letting everybody know」を発表。この年は年末から久しぶりにイギリス・ツアーを行なっている。
 2016年末に転居してイギリスに帰国。
 2020年1月24日、10年ぶりにアルバム「The Cat Who's Got The Cream」を発表したが、同年10月18日に「10月15日に癌との闘病の末に死去した」と報じられた。74歳だった。


【ディスコグラフィ】(☆=ライヴ・アルバム ★=コンピレーションアルバム)

 <ソロ・アルバム>
  1969年 セイル・イン・マイ・ボート/Sail In My Boat
  1971年 歳時記/It Is and It Isn't ルクセンブルグ8位
  1979年 サード/Serve at Room Temperature ※LPはテスト盤のみ、1997年CDにて正式発売
  1990年 ハンブルドン・ヒル/Hambledon Hill
  1992年 ドライヴ・ユー・クレイジー/It's Just a Plot to Drive You Crazy
  1994年 Voiceprint Radio Sessions ※ミニアルバム
  1996年 Butterfly in China
  2000年 オール・イン・シーム・オヴ・シングス/All In The Scheme Of Things
  2001年 Look Out
  2002年 Harry's Bar UK2位 ポーランド5位
  2002年 Shadows On The Wall UK44位 ポーランド8位
 ★2002年 All My Life UK154位
 ★2002年 The Collection:18 of His Finest Songs
 ★2002年 The Right Time:A Collection
  2003年 Look Out
 ★2003年 How Wonderful You Are (The Best Of) ポーランド15位
  2004年 The Lady Wants To Know ポーランド14位
 ☆2008年 Gordon Haskell w Szczecinie Live! ※ポーランド盤のみ
 ☆2008年 The Road To Harry's Bar, All Hits Live
  2010年 One Day Soon
  2020年 The Cat Who’s Got The Cream

 <ソロ・シングル>
  1969年 Boat Trip / Time Only Knows
  1970年 Oo La Di Doo Da Day / Born To Be Together
  1972年 Sitting By The Fire ※アメリカ盤のみ
  1979年 People Don't Care / Silhouettes
  1980年 I Need Your Love So Much / Living In The Attic
  1980年 Castles In The Sky / My Baby
  1981年 5-10-15 / Whisky
  1990年 Hambledon Hill / Mystical Allusion
  1991年 The Right Time
  1996年 More Yin Than Yang
  2001年 How Wonderful You Are / A Little Help From You UK2位 ポーランド1位
  2002年 There Goes My Heart Again UK133位
  2002年 All the Time in the World ポーランド15位
  2003年 The Music Played ※「Gordon Haskell & Maarit」名義。シングルはドイツ盤のみ。
  2003年 Whole Wide World ポーランド38位
  2004年 The Lady Wants To Know / Tell Me All About It (Edit)
  2005年 All in the Scheme of Things ※「Kasia Skrzynecka & Gordon Haskell」名義
  2006年 Everybody Wants To Go To Heaven
  2008年 Take My Breath Away
  2010年 Forevermore
  2013年 My Bike
  2015年 I'm letting everybody know
  2016年 W Rio ※with Pitor Salata
  2018年 It's Me and You and Them and Us
  2019年 I'm Still Mad About You ハンガリー19位
  2019年 How Wonderful You Are 2019
  2020年 I'm Still Trying to Figure Out

 <キング・クリムゾン>
  1970年 ポセイドンのめざめ/ In the Wake of Poseidon UK4位 US31位
  1970年 リザード/Lizard UK26位 US113位

 <フルール・ド・リス>
 ★1996年 Les Fleurs De Lys
 ★1997年 Reflections ※1965~1969年にリリースされたバンド関連のシングル集
  2013年 ユーヴ・ゴット・トゥ・アーン・イット/You've Got To Earn It ※未発表曲を含む

 <レコーディング・セッション>(◎=シングル)
 ◎1967年 Lazy Life(ウィリアム・E) ※初シングルA面提供楽曲
 ◎1967年 Reflections Of Charles Brown(Rupert's People)※UK20位、豪13位。バンドはフルール・ド・リスの変名。
 ◎1967年 Stay With Me(Sharon Tandy)※UKではB面の「Hold On」をA面にして1968年に再発。
  1968年 Tribute To A King(Donnie Elbert)
  1969年 Sing(John Bromley)
  1969年 Yesterday Has Gone(Cupid's Inspiration)※同名シングルではなくアルバムのみ。
  1974年 Let The Days Go By(Bryn Haworth)
  1976年 Love Song For The Earth(Garth Hewitt)
 ◎1976年 ファンキー・アップ・ダウン(イースト・サイド・シャッフル)※日本のみ発売のディスコシングル。メル・コリンズ(sax)参加。
  1977年 GOLDEN FLIGHT(山口百恵)
 ◎1977年 How Can I Resist(Joe)※シングル両面ともハスケル作品。メル・コリンズ(sax)参加。
  1977年 The Golden Twist Party(Graffiti-House Band)※Joeの変名バンドによるツイストカバー集。
  1978年 メモリーズ・オブ・チヨ(村岡実グループ with Joe)
  1991年 オフェーリアズ・シャドウ/Ophelia's Shadow(トーヤ・ウィルコックス)※1曲目イントロ部分のキーボードのみ参加。


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