ポール・コゾフ Paul Francis Kossoff
【パート】
ギター
【生没年月日】
1950年9月14日~1976年3月19日(25歳没)
【出生地】
イングランド ロンドン ハムステッド
【経 歴】
ブラック・キャット・ボーンズ(1966~1968)
フリー(1968~1971)
コゾフ・カーク・テツ&ラビット(1971)
フリー(1972~1973)
バック・ストリート・クローラー(1973~1976)
イギリスのロック・ギタリスト。
「フリー」のギタリストとして知られている。
ブルースをベースにした「泣き」のギターが特徴で、ギブソン・レスポールがトレード・マークである。
ポール・コゾフは、俳優である父デヴィッド・コゾフと母マーガレットの子息子として、ロンドンの裕福な家庭に生まれた。
叔父は放送作家のアラン・キースであり、モデルのリンダ・キースはいとこにあたる。
9歳の時に両親の意向によってクラシック・ギターのレッスンを始めた。レッスンは15歳まで続けたが、堅苦しい雰囲気に嫌気がさしてレッスンばかりかギターまでやめてしまった。
少年時代は名門私立学校に通っていたが、不良仲間とドラッグを使用しているのを見つかって公立学校に転校する。
1965年12月、ロンドン北西部のゴルダーズ・グリーンにあるザ・リフレクトリーでジョン・メイオール&ブルースブレイカーズのライヴを見たコゾフは、当時このバンドに在籍していたエリック・クラプトンのギターを聴いて衝撃を受け、これがきっかけとなって再びギターを弾くようになる。
1966年、コゾフはロンドンのチャリングクロス街にあった「セルマーズ・ミュージック・ストア」という楽器店で働き始めた。それと並行して、同年ブルース・バンド「ブラック・キャット・ボーンズ」(Black Cat Bones)の結成に加わり、本格的な音楽活動を始める。
ブラック・キャット・ボーンズはしばしばフリートウッド・マックやピーター・グリーン(guitar)のライヴをサポートしていたが、そこでコゾフの演奏に接したグリーンによってそのギター・プレイは認められ、これがきっかけとなってコゾフの存在は徐々に知られるようになっていった。
1968年2月にはブラック・キャット・ボーンズにサイモン・カーク(drums)が加入している。
この1968年、ロンドン北部のクラブに遊びに行ったコゾフは、「ブラウン・シュガー」というバンドで歌っていたポール・ロジャースと出会う。さっそく意気投合したふたりはサイモン・カークを加えて1968年4月にバンドを結成。ベーシストには、アレクシス・コーナーの紹介で、元ジョン・メイオール・ブルースブレイカーズのベーシストであるアンディ・フレイザーが参加することになった。
メンバー全員がティーンエイジャーのこの若さあふれるバンドは、アレクシス・コーナーのバンド「フリー・アット・ラスト」にちなんで「フリー」と名乗ることになった。一説には、アレクシスが彼らにその名前を譲った、とも言われている。
フリーはアレクシス・コーナーの後押しもあって、徐々にロンドンで知名度を上げていった。そしてDJ兼音楽評論家のジョン・ピールと出会い、彼の協力もあってアイランド・レコードと契約するに至った。
1969年3月、フリーはデビュー・アルバム『トンズ・オブ・ソブス』を発表。
粗削りではあるが豊かな将来性が伺えるこのアルバムの評価は好ましいものだったが、セールス的にはいまひとつであった。
同年、フリーは当時スーパー・グループとして大きな話題となっていた「ブラインド・フェイス」のアメリカ・ツアーのサポート・バンドに抜擢され、同行する。帰国後にセカンド・アルバム『フリー』を制作したが、これは全米チャートでトップ30に入るヒットを記録した。サイケデリック全盛の当時にあって、正面からソウルフルなブルースを演奏していたフリーは、一躍期待の新進バンドとして注目されることとなった。
1970年6月に発表したサード・アルバム『ファイアー・アンド・ウォーター』によってフリーの人気は決定的なものになった。このアルバムからシングル・カットされた「オール・ライト・ナウ」は大ヒットし、全英1位を獲得している。
この年はワイト島フェスティヴァルにも出演し、そのパフォーマンスは聴衆のみならず評論家からも絶賛された。
同年12月には早くも4thアルバム『ハイウェイ』を発表。この当時メンバーはまだ20歳そこそこであったが、彼らの人気は絶頂を迎えた。
1971年には全米ツアーを成功させ、同年5月には初の日本公演を行う。しかしその直後のオーストラリア公演終了後に、フリーは突如は解散を発表してロック界を驚かせた。コゾフのドラッグ常用や、メンバー間の確執がその理由だと言われている。
解散後、コゾフはサイモン・カークとともに「コゾフ・カーク・テツ&ラビット」を結成したが、短期間活動しただけで終わった。
1972年1月、オリジナル・メンバーによってフリーは再結成。同年5月にはアルバム『フリー・アット・ラスト』を発表、ツアーも開始した。
しかしコゾフはドラッグの使用によってステージに立てないこともあり、また依然としてメンバー間の溝は埋まらず、同年7月にはアンディ・フレイザーが脱退した。ちなみにその後任としてフリーに加入したのが、「コゾフ・カーク・テツ&ラビット」のメンバーだった山内テツ(bass)とラビット(keyboard)である。
この年後半にはアルバム『ハートブレイカー』の制作が始まったが、コゾフはこの時も体調が思わしくなく、レコーディングをリタイア。これがきっかけとなって、1973年7月にコゾフはフリーから脱退する。
再びフリーを離れたコゾフは、1973年に初のソロ・アルバム『バック・ストリート・クロウラー』を発表。そして1年間の療養の後、ソロ・アルバムと同じ名前のバンド「バック・ストリート・クロウラー」を結成する。
1975年にアルバム『バンド・プレイ・オン』、76年には『2番街の悲劇』を発表するが、ヘロインを常用していたコゾフの状態は、心臓の一部の機能が停止してしまう事もあるなど幾度か生死の境をさまよったこともあるほど予断を許さないものだった。
コゾフは15歳の時からドラッグを使用していたが、精神的に非常に繊細だったため、ドラッグへの依存や逃避が深刻化したとも言われている。サイモン・カークによると、ジミ・ヘンドリックスを崇拝していたコゾフは1970年のジミによって精神的にさらに大きな打撃を受け、そのショックはついに癒えることがなかったそうである。
1976年3月19日、バック・ストリート・クロウラーのライヴ・ツアーのためにロサンゼルスからニューヨークへ移動中の飛行機の中で、コゾフは眠るように亡くなった。死因は足の血栓が肺に転移したことによる肺塞栓症であった。
遺体はロンドンに搬送され、埋葬された。コゾフの墓石には「All right Now」(いまはもう大丈夫)という文字が刻まれている。
コゾフの父で俳優のデイヴィッド・コゾフは、2005年に他界するまで熱心に薬物乱用反対の活動を続けた。
人柄の良さと個性的な演奏で、コゾフは数多くのレコーディング・セッションから声がかかっていたという。
コゾフの演奏は、ブルースをベースにしており、比較的音数が少なくシンプルである。
チョーキングや美しいヴィブラートを用いた「泣き」のギターはコゾフの代名詞とも言えるもので、愛器レスポールから生み出されるエモーショナルなサウンドは、エリック・クラプトンら多くの名手も一目置いていたそうである。
【ディスコグラフィ】(☆=ライヴ・アルバム ★=コンピレーションアルバム)
<ソロ・アルバム>
1973年 バック・ストリート・クロウラー/Back Street Crawler
★1977年 彷徨える魂/Koss
☆1983年 LIVE AT CROYDON FAIRFIELD HALLS/Live at Croydon Fairfield Halls 15/6/75
★1986年 ブルー・ソウル/Blue Soul
<フリー>
1968年 トンズ・オブ・ソブス/Tons Of Sobs US197位
1969年 フリー/Free UK22位 US177位
1970年 ファイアー・アンド・ウォーター/Fire And Water UK2位 US17位
1970年 ハイウェイ/Highway UK41位 US190位
☆1971年 フリー・ライヴ/Free Live! UK4位 US89位
1972年 フリー・アット・ラスト/Free At Last UK9位 US69位
1973年 ハートブレイカー/Heartbreaker UK7位 US47位
★1973年 The Free Story UK2位
★1974年 Best of Free US120位
★1991年 The Best of Free:All Right Now UK9位
★2000年 Songs of Yesterday UK150位
★2005年 Chronicles UK42位
☆2006年 Live at the BBC UK127位
★2010年 The Very Best of Free & Bad Company Featuring Paul Rodgers UK10位
<コゾフ・カーク・テツ&ラビット>
1972年 コゾフ/カーク/テツ/ラビット/Kossoff Kirke Tetsu Rabbit
<バック・ストリート・クロウラー>
1975年 バンド・プレイズ・オン/The Band Plays On
1976年 2番街の悲劇/2nd Street
<レコーディング・セッション>
*チャンピオン・ジャック・デュプリー
1968年 ホエン・ユー・フィール・ザ・フィーリング・ユー・ワズ・フィーリング
*Martha Veléz
1969年 Friends and Angels
*Michael Gately
1971年 Gately's Cafe
*Mike Vernon
1971年 Bring It Back Home
*Uncle Dog
1972年 Old Hat
*Jim Capaldi
1972年 Oh How We Danced
1975年 Short Cut Draw Blood
*Amazing Blondel
1974年 Mulgrave Street
*John Martyn
1975年 Live at Leeds
*Ken Hensley
1994年 From Time to Time
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