グレッグ・レイク Gregory Stuart "Greg" Lake
【パート】
ベース、ギター、ボーカル
【生没年月日】
1947年11月10日~2016年12月7日(69歳没)
【出生地】
イングランド ドーセット州プール
【経 歴】
ザ・シェイム(1967)
ザ・ゴッズ(1968)
シャイ・リムス(1968)
キング・クリムゾン(1968~1970)
エマーソン・レイク & パーマー(1970~1980)
グレッグ・レイク・バンド(1981~1982)
エイジア(1983~1984)
エマーソン・レイク & パウエル(1985~1986)
エマーソン・レイク & パーマー(1991~1998)
エマーソン・レイク & パーマー(2010)
イングランドの南岸、ドーセット州プールのパークストーン地区の貧しい家に生まれ、郊外のオークデイルで育った。父ハリーはエンジニア、母パールは主婦であった。
1957年にリトル・リチャードのシングル『ルシール』を買ったことがきっかけで、ロックンロールに夢中になる。
12歳の誕生祝いに母からギターを贈られ、それがきっかけでクラシック・ギターのレッスンを受けるようになる。この時の指導者ドン・ストライクは、少年時代のロバート・フリップにもギターを教えた人物だという。ちなみにレイクもフリップも、のち「キング・クリムゾン」の創設に参加することになる。
ヘンリー・ハービン・セカンダリー・モダン・スクールを卒業するとプール港で貨物の積み降ろしに従事し、その後短期の製図工として働いたが、17歳の時にフルタイムのミュージシャンになろうと決意した。
1965年、「ユニット・フォー」という名のバンドを組む。これがレイクが初めて参加したバンドである。
その後「ザ・タイム・チェックス」などのローカルバンドを経て、1967年「ザ・シェイム」(The Shame)を結成し、同年9月にはシェイム唯一のシングル『Don't Go Away Little Girl』をリリース。
1967年の終わりにシェイムを脱退すると、1968年3月に、当時ケン・ヘンズレーとリー・カースレイク(いずれものちユーライア・ヒープ)が在籍していた「ザ・ゴッズ」(The Gods)にベーシスト兼ヴォーカリストとして参加。
1968年9月にはゴッズから離れ、「シャイ・リムス」(Shy Limbs)にギタリスト兼ヴォーカリストとして加入するが、数ヵ月で脱退する。
1968年、ロバート・フリップ(guitar)、マイケル・ジャイルズ(drums)、ピーター・ジャイルズ(bass)からなる「ジャイルズ・ジャイルズ & フリップ」にイアン・マクドナルド(keyboard, woodwins)、ピート・シンフィールド(作詞、照明)、ジュディ・ダイブル(vocal)が加わる。同年7月にこのバンドからダイブルが脱退したが、同年11月に、旧知のフリップから誘われて、レイクがダイブルの後任ヴォーカリストとしてグループに参加。同年11月に今度はピーター・ジャイルズが脱退し、これを受けてレイクはベースとヴォーカルを兼任することになる。
こうしてこのバンドのラインナップは、フリップ、レイク、マクドナルド、ジャイルズ、シンフィールドの5人に固まり、1968年12月にピート・シンフィールドによって「キング・クリムゾン」と命名された。
1969年10月に発表されたキング・クリムゾンのファースト・アルバム『クリムゾン・キングの宮殿』は、文字通りロック界に衝撃を与えた歴史的名盤として、現在でも高く評価されている。
『クリムゾン・キングの宮殿』の大成功でクリムゾンは瞬く間にロック界の寵児となった。それと同時にレイクの甘く深みのあるヴォーカルも「ロック界の至宝」と絶賛され、一躍ロック界有数のボーカリストと目されるようになった。
クリムゾンは1970年にセカンド・アルバムの制作にとりかかったが、レイクはレコーディング途中から姿を見せなくなる。これは「エマーソン・レイク & パーマー」結成に向けての準備のためであった。結局セカンド・アルバム『ポセイドンのめざめ』にはヴォーカリストとしてのみの参加となり、同年そのままクリムゾンから脱退した。
1969年、クリムゾンはアメリカ・ツアーを行い、そこでキース・エマーソン率いる「ナイス」とステージを共にする。12月14日~16日に行われたフィルモア・ウエストでのライヴでもナイスとクリムゾンは顔を合わせ、この時レイクはエマーソンと意気投合したという。ふたりはその後もコンタクトを取り合い、バンド結成へ向けて動くことで意向が一致した。
ふたりはアトミック・ルースターのドラマー、カール・パーマーに声をかける。パーマーがこのオファーを承諾して1970年6月に結成されたのが、プログレッシヴ・ロック界ばかりかロック史上に大きな足跡を残すことになる「エマーソン・レイク & パーマー」である。
ナイス、キング・クリムゾン、アトミック・ルースターというブリティッシュ・ロックの重要バンドを支えた3人が集まったEL&Pは「スーパー・グループ」として大きな注目を集める。
1970年8月29日、ワイト島で開催された「第3回ワイト島ポップ・フェスティヴァル」がEL&Pの実質的デビューである。この時のエネルギッシュなパフォーマンスは聴衆から大きな喝采を浴びた。
もともとギタリストだったレイクは、キング・クリムゾンではベーシスト兼ヴォーカリストだったが、EL&Pではベース、ギター、ヴォーカルを担当。レイクがギターを弾いている時にはエマーソンがモーグ・シンセサイザーあるいはハモンド・オルガンの左手でベース・ラインを弾いていた。
またアコースティック・ギターで弾き語りをしたり、8弦エレクトリック・ベースを使用するなど、いちベーシストにとどまらない多彩な活躍を見せた。
EL&Pは1979年の活動停止までにライヴ・アルバム2枚を含む9枚のアルバムを発表したが、デビュー作から1973年『恐怖の頭脳改革』まで5作連続で全英アルバム・チャートでトップ5入りしているほか、デビュー作から1974年のライヴ・アルバム『レディース・アンド・ジェントルメン』までは7作連続で全米アルバム・チャートのトップ20に送り込んでいる。
バンドは「四大プログレッシヴ・ロック・バンド」のひとつに数えられるなど、世界的な人気を得たのはもちろん、商業的にも大きな成功を収めた。
1977年8月のアメリカ・ツアーを最後にEL&Pはいったん活動を停止。それ以後アルバム4枚(『ELP四部作』『作品第2番』『ラヴ・ビーチ』『イン・コンサート』)をリリースしたが、セールスは下降の一途をたどり、メンバーの間でも活動を継続させようとする熱意が薄れ、1980年2月にEL&Pの解散が正式に発表された。
解散後のレイクはソロ。アルバム『グレッグ・レイク & ゲイリー・ムーア』の制作に着手する。
レコーディングはイギリスとアメリカで行われたが、イギリスでのレコーディングに参加したメンバーで、1981年6月から「グレッグ・レイク・バンド」として活動を始める。メンバーはレイクのほか、ゲイリー・ムーア(guitar)、トミー・アイアー(keyboard)、ティストラム・マーゲッツ(bass)、テッド・マッケンナ(drums)の5人である。このアルバムはギター・サウンドをメインとしたロック・サウンドで、EL&Pのサウンドとは一線を画したものである。
同年秋にハマースミス・オデオンでライヴを行っているが、この模様を収めているのが、1996年に発表されたライヴ・アルバム『イン・コンサート』である。
である。
グレッグ・レイク・バンドは1982年春まで活動を続けたが、ゲイリー・ムーアがソロ・プロジェクトに取りかかったため活動を終えた。
1983年に発表したレイクのセカンド・ソロ・アルバム『マヌーヴァーズ』はファースト・アルバム制作時に録音された音源の残りを収録したものである。
1983年、ジョン・ウェットンの後任として、当時カール・パーマーが在籍していた「エイジア」に一時的に加入、ツアーのため来日も果たした。この公演の模様はライブ・ビデオ『エイジア・イン・エイジア』に収録されている。
1985年、エマーソン・レイク & パーマー再結成の話が持ち上がったが、当時カール・パーマーは「エイジア」に参加していたため合意に至らず、代わりとしてコージー・パウエルが加わり、「エマーソン・レイク & パウエル」として活動を開始した。
しかしエマーソン・レイク & パウエルは、1枚のアルバムを残しただけで、パウエルの脱退により解散。
折からカール・パーマーがエイジアから離れたため、レイクとエマーソンはパーマーに声をかけてリハーサルに入ったが、今度はレイクが脱退する。残されたふたりはロバート・ベリーを迎えて「3」を結成するが、アルバム1枚をリリースしたのみで解散した。
レイクはソロ活動を始めるつもりではあったが、レコード会社がセールス面での危惧を示したため、同じくソロ活動を希望するもレコード会社の反対で暗礁に乗り上げていたエマーソンと協議した末、1991年にエマーソン・レイク & パーマーを再結成する。
1992年、アルバム『ブラック・ムーン』を発表。その後ワールド・ツアーを行い、約20年ぶりの来日公演も行った。
EL&Pは1993年に4枚組アルバム『リターン・オブ・ザ・マンティコア』を、1994年にはアルバム『イン・ザ・ホットシート』をリリース、その後もツアーを行うなどしていたが、1997年のモントルー公演を最後に活動を停止した。
2001年、リンゴ・スター & ヒズ・オール・スター・バンドのアメリカ・ツアーに参加。「クリムゾン・キングの宮殿」と「ラッキー・マン」を歌った。
2003年、「ザ・フー」のベーシスト、ピノ・パラディーノがツアーに出ていたため、依頼されてフーの新曲『リアル・グッド・ルッキング・ボーイ』のレコーディングでベースを担当。
2005年には「グレッグ・レイク・バンド」を組織してドイツとイギリスでツアーを行っている。バンドのメンバーはデヴィッド・アーチ(david Arch keyboard)、フローリアン・オパール(Florian Opahle guitar)、トレヴァー・バリー(Trevor Barry bass)、ブレット・モーガン(Brett Morgan drums)であった。
2010年、キース・エマーソンとのコンビでアメリカ・ツアーを行い、新たな編曲でナイス、キング・クリムゾン、EL&Pの曲を演奏した。エマーソン & レイクでの来日公演も予定されていたが、エマーソンの病気によりキャンセルとなった。
同年7月25日、その夜限りでEL&Pを再再結成し、ロンドンで行われた「ハイ・ボルテージ・フェスティヴァル」にメイン・アクトとして登場した。カール・パーマーは、「今後はEL&Pとしては活動しない」とコメントしたが、その言葉通りこれ以後エマーソン・レイク & パーマーとしてのライブは行われなかった。
2013年にはにソロとして来日公演を行い、キング・クリムゾンとELPの他、エルヴィス・プレスリーなどお気に入りの楽曲も交えて歌った。
柔軟な発想によるベース・ラインを創り出すベーシストであり、エマーソン・レイク & パーマーのキーボード・トリオの枠にとらわれないスケールの大きなサウンド構築に貢献している。
使用ベースは、当時としては珍しい8弦ベースであった。(ただし8本の独立した弦ではなく、ひとつの弦が2本セットになっているもの)
ヴォーカリストとしての存在感の大きさは特筆されるべきものである。「21世紀の精神異常者」のようなハード・ロックから「エピタフ」のような壮大なバラードまで歌いこなす。とくに「ラッキー・マン」「スティル・ユー・ターン・ミー・オン」などのトラッド色の濃いフォーキーな曲で一層その甘い声が映える。
2016年3月10日、キース・エマーソンが死去。訃報を知ったレイクは哀悼メッセージを送った。そして同年12月7日、レイク自身もガンのためロンドンで死去。69歳だった。
残されたカール・パーマーは悲しみに打ちひしがれたが、かつてレイクが『展覧会の絵』で歌った「死はすなわち生」という歌詞を引用したメッセージを発表してレイクの死を悼んだ。
パーマーは、2017年に自己のバンド「Carl Palmer's ELP LEGACY」でエマーソンとレイクを追悼するワールド・ツアーを行っている。
【ディスコグラフィ】
◆アルバム(☆=ライヴ・アルバム)
<キング・クリムゾン>
1969年 クリムゾン・キングの宮殿/In the Court of the Crimson King(UK5位 US28位 日本96位)
1970年 ポセイドンのめざめ/In the Wake of Poseidon(UK4位 US31位)
☆1997年 Epitaph ※1969年録音(日本42位)
☆1998年 Live at Marquee ※1969年録音
☆2000年 Live in Hyde Park ※1969年録音
☆2004年 Live at Fillmore East ※1969年録音
<エマーソン・レイク & パーマー>
1970年 エマーソン・レイク & パーマー/Emerson Lake & Palmer(UK4位 US18位 日本66位)
1971年 タルカス/Tarkus(UK1位 US9位 日本55位)
☆1971年 展覧会の絵/Pictures at Exhibition(UK3位 US10位 日本2位)
1972年 トリロジー/Trilogy(UK2位 US5位 日本4位)
1973年 恐怖の頭脳改革/Brain Salad Surgery(UK2位 US11位 日本18位)
☆1974年 レディース・アンド・ジェントルメン/Welcome Back My Friends…(UK6位 US4位 日本23位)
1977年 ELP四部作/Works Volume 1(UK9位 US12位 日本13位)
1977年 作品第2番/Works Volume 2(UK20位 US37位 日本38位)
1978年 ラヴ・ビーチ/Love Beach(UK48位 US55位)
☆1979年 イン・コンサート/In Concert(UK73位)
1992年 ブラック・ムーン/Black Moon(UK78位 日本16位)
☆1993年 ライヴ・アット・ロイヤル・アルバート・ホール/Live at the Royal Albert Hall(日本90位)
☆1993年 ワークス・ライヴ/Works Live
1994年 イン・ザ・ホットシート/In the Hot Seat(日本60位)
☆1997年 Live at the Isle of Wight Festival 1970
☆1997年 Live in Poland
☆1997年 King Biscuit Flower Hour:Greatest Hits Live ※録音1973年~1974年, 1977年
☆1998年 Then and Now ※録音1974年, 1997年~1998年
☆2010年 A Time and a Place ※録音1971~1978年
☆2010年 High Voltage ※録音2010年
☆2013年 Live in Montreal 1977
☆2015年 Once Upon a Time:Live in South America 1997
☆2015年 Live at Montreux 1997
<エイジア>
☆2001年 Enso Kai:Live in Tokyo ※録音1983年
<エマーソン・レイク & パウエル>
1986年 エマーソン・レイク & パウエル/Emerson Lake & Powell(UK35位 US23位 日本44位)
☆2010年 ライヴ・イン・コンサート/Live in Concert
<ソロ・アルバム>
1981年 グレッグ・レイク & ゲイリー・ムーア/Greg Lake(UK62位 US62位)
1983年 グレッグ・レイク & ゲイリー・ムーアⅡ マヌーヴァーズ/Manoeurves
☆1995年 イン・コンサート/King Biscuit Flower Hour Presents Greg Lake in Concert ※録音1981年
☆2007年 Greg Lake ※2005年
☆2013年 ソングス・オブ・ア・ライフタイム/Songs of a Lifetime ※録音2012年
☆2017年 ライヴ・イン・ピアツェンツァ/Live in Piacenza ※録音2012年
<キース・エマーソン & グレッグ・レイク>
☆2014年 ライヴ・フロム・マンティコア・ホール/Live from Manticore Hall ※録音2010年
<グレッグ・レイク & ジェフ・ダウンズ>
2015年 ライド・ザ・タイガー/Ride the Tiger ※録音1989年~1990年
<参加アルバム>
1968年 Still(ピート・シンフィールド)
◆シングル
<ソロ・シングル>
1975年 I Believe in Father Christmas(UK2位 US95位)
1977年 セ・ラ・ヴィ/C'est La Vie(US91位 カナダ75位)
1978年 Watching Over You
1981年 Love You Too Much
1981年 Let Me Love You Once(US48位)
1981年 It Hurts
<ザ・シェイム>
1967年 Don't Go Away Little Girl
<シャイ・リムス>
1968年 Love
<エマーソン・レイク & パウエル>
1986年 Touch and Go