プロコル・ハルム・ライヴ~イン・コンサート・ウィズ・ザ・エドモントン・シンフォニー・オーケストラ
Procol Harum Live:In Concert with the Edmonton Symphony Orchestra
【歌・演奏】
プロコル・ハルム/Procol Harum
【リリース】
1972年4月
【録音】
1971年11月18日 ノーザン・アルバータ・ジュビリー・オーディトリアム(カナダ アルバータ州エドモントン)
【プロデューサー】
クリス・トーマス/Chris Thomas
【エンジニア】
ウォーリー・ヘイダー/Wally Heider
レイ・トンプソン/Ray Thompson
トム・スコット/Tom Scott
ケン・カイラット/Ken Caillat
ビフ・ドウズ/Biff Dawes
【レーベル】
クリサリス・レコード/Chrysalis Records(UK)
A&Mレコード/A&M Records(US)
【収録曲】(☆シングル=①)
side:A
☆① 征服者 5:02
Conquistador(words:Keith Reid music:Gary Brooker)
*1972年 UK22位 US16位
② 捕鯨物語 7:41
Whaling Stories(words:Keith Reid music:Gary Brooker)
③ ソルティ・ドッグ 5:34
A Salty Dog(words:Keith Reid music:Robin Trower)
④ 果てしなき希望 4:22
All This and More(words:Keith Reid music:Gary Brooker)
side:B イン・ヘルド・トゥワズ・イン・アイ 19:00
In Held 'Twas in I(words:Keith Reid music:Gary Brooker & Matthew Fisher)
⑤ a)グリンプシス・オブ・ニルヴァーナ
Glimpses of Nirvana
⑥ b)トゥワズ・ティータイム・アット・ザ・サーカス
Twas Teatime at the Circus
⑦ c)イン・ジ・オータム・オブ・マイ・マッドネス
In the Autumn of My Madness
⑧ d)ルック・トゥ・ユア・ソウル
Look to Your Soul
⑨ e)グランド・フィナーレ
Grand Finale
【録音メンバー】
☆プロコル・ハルム
ゲイリー・ブルッカー/Gary Brooker(piano, vocals)
クリス・コッピング/Chris Copping(organ)
デイヴ・ボール/dave Ball(guitar)
アラン・カートライト/Alan Cartwright(bass)
B.J. ウィルソン/B.J. Wilson(drums)
キース・リード/Keith Reid(lyrics)
☆with
エドモントン・シンフォニー・オーケストラ/The Edmonton Symphony Orchestra
ローレンス・レオナード/Lawrence Leonard(conductor)
ダ・カメラ・シンガーズ/Da Camera Singers
【チャート】
1972年週間アルバム・チャート アメリカ(ビルボード)5位 イギリス48位
オランダ2位 デンマーク5位 カナダ7位 オーストラリア12位 スウェーデン13位 ノルウェイ23位 ドイツ30位
【メ モ】
プロコル・ハルム6枚目のアルバム。初のライヴ・アルバムである。
ビルボードではバンド史上最高の5位を記録し、RIAAのゴールド・アルバムに認定された。
このアルバムからギターがデイヴ・ボールに、ベースがアラン・カートライトに交替し、クリス・コッピングはオルガンに専念している。
アラン・カートライト Alan George Cartwright
【パート】
ベース・ギター、コントラバス、ヴォーカル
【生没年月日】
1945年10月10日~2021年3月4日(75歳没)
【出身地】
イングランド ロンドン
【経 歴】
フレディー・マック・サウンド/Freddie Mack Sound
スウィートウォーター・キャナル/Sweetwater Canal(1969)
エヴリ・ウィッチ・ウェイ/Every Which Way(1970~1971)
プロコル・ハルム(1971~1976, 1977)
アラン・カートライトはロンドン北部で生まれた。
1960年代中頃、元ライトヘヴィー級世界3位のボクサーでシンガーのフレディ・マックのバンド「ザ・マック・サウンド」(のち「フレディー・マック・サウンド」に改名)にベーシストとして加入する。このバンドのドラマーは、のちにプロコル・ハルムで一緒にプレイすることになるB.J.ウィルソン(drums)であった。
1969年、ブルースやジャズを演奏するバンド「スィートウォーター・キャナル」に加わる。メンバーはカートライトのほか、アリキ・アシュマン(vocal)、ロイ・デイヴィーズ(keyboard)、トニー・ナイト(drums)、フレッド・ダルバート(guitar)、フィル・ケンジー(alto sax)、デイヴ・コックスヒル(alto sax)、ジェフ・ドリスコール(trumpet)、パット・ヒッグス(tuba)、レイ・ドラパー(valve trombone)の計10人であった。バンドはロニー・スコッツ・クラブなどで演奏活動を行った。
1970年には、元ナイスのブライアン・デヴィソン(drums)、グラハム・ベル(vocal)、ジョン・ヘドリー(guitar)、ジェフリー・ピーチ(sax, flute)とともにジャズ・ロック・グループ「エヴリ・ウィッチ・ウェイ」を結成したが、アルバムを1枚発表しただけで、1971年春に解散。
1971年8月、プロコル・ハルムに加入。カートライトが加入したことによって、それまでオルガンとベースを兼ねていたクリス・コッピングはオルガンに専念できるようになった。
プロコル・ハルムには約5年間在籍。その間名作と名高い『グランド・ホテル』を含む3枚のスタジオ・アルバムと1枚のライヴ・アルバムの制作に参加した。
1976年、プロコル・ハルムはアルバム『輪廻』を制作するため再結成したが、ゲイリー・ブルッカーはベーシストにクリス・コッピングを指名、オルガンにピート・ソリーを迎えた。このメンバー・チェンジにより、カートライトは1976年6月に脱退した。
1977年、アルバム『輪廻』のリリース・ツアーが行われたが、ツアー終了後の5月にブルッカーを除く全員が脱退したため、ブルッカーは解散を表明した。
1977年10月、プロコル・ハルムは最後の公演を行ったが、カートライトはこの時バンドに復帰した。その後カートライトは音楽業界から離れ、長年にわたってバーを経営した。
1997年頃になってカートライトとゲイリー・ブルッカーは連絡を取り合うようになり、カートライトは同年のプロコル・ハルム30周年記念コンサートにも参加している。
カートライトは2020年に胃がんと診断され、2021年3月4日に75歳で死去した。
【ディスコグラフィ】(☆=ライヴ・アルバム ★=コンピレーションアルバム)
<エヴリ・ウィッチ・ウェイ>
1970年 エヴリ・ウィッチ・ウェイ/Brian Davison's Every Which Way
<プロコル・ハルム>
1972年 プロコル・ハルム・ライヴ~イン・コンサート・ウィズ・ザ・エドモントン・シンフォニー・オーケストラ
/Live In Concert with The Edmonton Symphony Orchestra(UK48位, US5位)
1973年 グランド・ホテル/Grand Hotel(US21位)
1974年 異国の鳥と果物/Exotic Birds And Fruit(US86位)
1975年 プロコルズ・ナインス/Procol’s Ninth(UK41位, US52位)
眩暈 Living in Fear
【歌・演奏】
テンペスト/Tempest
【リリース】
1974年1月
【録音】
1973年10月~11月 Air ロンドン・レコーディング・スタジオ(ロンドン)
【プロデューサー】
ジェリー・ブロン/Gerry Bron
【エンジニア】
ジェフ・エメリック/Geoff Emerick
【レーベル】
ブロンズ・レコード/Bronze Records
【収録曲】(☆シングル=②)
side:A
① 冥宮の葬列 4:25
Funeral Empire(Ollie Halsall)
☆② ペイパーバック・ライター 2:30
Paperback Writer(John Lennon, Paul McCartney)
③ 空想への旅 3:36
Stargazer(Mark Clarke, Suzy Bottomley)
④ ダンス・トゥ・マイ・チューン 7:30
Dance to My Tune(Mark Clarke, Suzy Bottomley)
side:B
⑤ 眩暈 4:19
Living in Fear(Ollie Halsall)
⑥ イェー・イェー・イェー 3:40
Yeah Yeah Yeah(Ollie Halsall, Jon Hiseman)
⑦ 幻の偶像 3:18
Waiting for a Miracle(Ollie Halsall)
⑧ ターン・アラウンド 6:12
Turn Around(Mark Clarke, Suzy Bottomley)
【録音メンバー】
☆テンペスト
オリー・ハルソール/Ollie Halsall (guitars, synthesiser, piano, vocals)
マーク・クラーク/Mark Clarke(bass, vocals)
ジョン・ハイズマン/Jon Hiseman(drums, percussions)
【チャート】
1974年週間アルバム・チャート 圏外
【メ モ】
テンペストのセカンド・アルバムにして、ラスト・アルバム。
このアルバムからオリー・ハルソールが加入しており、作曲面でも共作を含め8曲中4曲を提供している。
テンペスト Tempest
【歌・演奏】
テンペスト/Tempest
【リリース】
1973年1月
【録音】
1972年10月~11月 Air ロンドン・レコーディング・スタジオ(ロンドン)
【プロデューサー】
ジョン・ハイズマン/Jon Hiseman
【エンジニア】
デニー・ブリッジス/Denny Bridges
ジョン・パンター/John Punter
【レーベル】
ブロンズ・レコード/Bronze Records
アイランド・レコード/Island Records
【収録曲】(☆シングル=⑤)
side:A
① ゴルゴン 5:41
Gorgon(Jon Hiseman, Mark Clarke, Allan Holdsworth)
② 慰みの休憩室 3:38
Foyers of Fun(Jon Hiseman, Mark Clarke, Allan Holdsworth)
③ 暗黒の家 5:00
Dark House(Jon Hiseman, Mark Clarke, Allan Holdsworth)
④ ブラザーズ 3:35
Brothers(Jon Hiseman, Allan Holdsworth)
side:B
☆⑤ アップ・アンド・オン 4:16
Up and On(John Edwards, Allan Holdsworth)
⑥ 灰色と黒色 2:26
Grey and Black(Mark Clarke, Suzy Bottomley)
⑦ ストレンジハー 4:07
Strangeher(Mark Clarke, Jon Hiseman)
⑧ アポン・トゥモロー 6:15
Upon Tomorrow(Clem Clempson, Jon Hiseman)
【録音メンバー】
☆テンペスト
ポール・ウィリアムス/Paul Williams(lead-vocals, acoustic-guitar, keyboards)
アラン・ホールズワース/Allan Holdsworth (guitars, vocals, violin)
マーク・クラーク/Mark Clarke(bass, keyboards, vocals⑥)
ジョン・ハイズマン/Jon Hiseman(drums, percussions)
【チャート】
1973年週間アルバム・チャート 圏外
【メ モ】
テンペストのファースト・アルバム。
左から マーク・クラーク(bass)、ジョン・ハイズマン(drums)、ポール・ウィリアムス(vocal)、アラン・ホールズワース(guitar)
テンペスト Tempest
【活動期間】
1972年~1974年
【メンバー】
ジョン・ハイズマン/Jon Hiseman(drums) 在籍1972~1974
アラン・ホールズワース/Allan Holdsworth(guitars) 在籍1972~1973
オリー・ハルソール/Ollie Halsall(guitars, keyboards, vocals) 在籍1973~1974
マーク・クラーク/Mark Clarke(bass, vocals) 在籍1972~1974
ポール・ウィリアムス/Paul Williams(vocals) 在籍1972~1973
ジョン・ハイズマン(drums)が率いていたコロシアムは、1971年秋に解散した。6人編成という大所帯だったバンドの維持にハイズマンがかなりの労力を要したため、とうのがその理由のひとつだったという。
解散時のコロシアムのメンバーは、ハイズマンのほかディック・ヘクストール=スミス(sax)、デイヴ・グリーンスレイド(keyboard)、クレム・クレムソン(guitar)、マーク・クラーク(bass)、クリス・ファーロウ(vocal)である。
コロシアム解散後、ハイズマンは新たなバンドを結成するべく構想を練っていた。それは、コロシアムとは対照的なスモール・バンドを編成することであった。
ハイズマンはハンブル・パイに加入したクレム・クレムソンとユーライア・ヒープに加入したマーク・クラークを呼び戻して、スリー・ピース・バンドの結成を目論んだが、クレムソンからは同意を得られなかった。そこでハイズマンは、当時彼がプロデュースしていたニュークリアスのイアン・カーから紹介されたアラン・ホールズワース(guitar)に白羽の矢を立てた。ホールズワースは当時ニュークリアスのアルバム『ベラドナ』の収録に参加しており、一部では注目されていたが、まだまだ無名の存在であった。
ハイズマン、クラーク、ホールズワースの3人はリハーサルを始めた。当初はクラークがヴォーカルを兼ねていたが、フロントマンとなるヴォーカリストの必要性を感じたハイズマンは、ジューシー・ルーシーで活動していたポール・ウィリアムスを迎え入れたのである。ウィリアムスはハイズマンとは旧知の仲で、ウエス・ミンスター・ファイヴやニュー・ジャズ・オーケストラで活動を共にしたことがあった。当時のジューシー・ルーシーは実質解散状態にあったので、ウィリアムスの参加はスムースにはこんだ。
こうしてハイズマン、ホールズワース、クラーク、ウィリアムスの4人がそろい、ジョン・ハイズマンズ・テンペストが誕生した。のちにバンドは名前を「テンペスト」と短縮し、1972年6月に活動を開始した。
テンペストはヨーロッパを中心にツアーを行ったのち、1973年1月にデビュー・アルバム『テンペスト』をリリース。
プログレッシヴ・ロック色の濃いハード・ロックを展開するテンペストは注目を集めるようになるが、その矢先の1973年6月、ウィリアムスが脱退。後任として、一時的に元パトゥのオリー・ハルソール(guitar, vocal)が加わり、ツイン・ギター編成となった。
ハイズマン、ホールズワース、クラーク、ハルソールのラインナップでは、1973年6月にロンドンのゴルダーズ・グリーン・ヒポドロームなどでライヴを行っている。ゴルダーズ・グリーン・ヒポドロームでのライヴは、1974年に『Live in London 1974』というタイトルの海賊版としてリリースされている。
1973年7月、今度はホールズワースが脱退したため、ハルソールが正式なメンバーとなった。ホールズワースがセカンド・ギタリストと一緒に演奏することを望まなかったのが脱退の理由だと言われている。ホールズワースは脱退後「ソフト・マシーン」に加わった。
左から オリー・ハルソール(guitar)、ジョン・ハイズマン(drums)、マーク・クラーク(bass)
ハイズマン、クラーク、ハルソールのトリオ編成となったテンペストの初ステージは、1973年8月26日のレディング・フェスティヴァルであった。1974年3月には、セカンド・アルバム『眩暈』を発表する。
ハルソールのギターは超絶テクニックを誇るホールズワースに勝るとも劣らない素晴らしいもので、卓越した演奏力を持つクラーク、ハイズマンがそれに絡むテンペストのサウンドは一部では高く評価されていたが、セールス的には苦戦が続き、1974年5月には解散を発表。
テンペスト解散後、ハルソールはケヴィン・エアーズのソポリフィクスを経て、ボクサーの結成に参加。クラークは、ジョーイ・モランド(バッドフィンガー)、ジェリー・シャーリー(ハンブル・パイ)らとナチュラル・ガスを結成。そしてハイズマンはテンペスト解散約1年後の1975年5月に、ゲイリー・ムーア(guitar)、ドン・エイリー(keyboard)、ニール・マレー(bass)、マイク・スターズ(vocal)とコロシアムⅡを結成した。
2005年、『アンダー・ザ・ブロッサム』というタイトルの2枚組コンピレーション・アルバムがリリースされた。これは2枚のスタジオ・アルバムのリマスター版、未発表曲、1973年6月のゴルダーズ・グリーン・ヒッポドロームでのBBCのライヴ音源が収録されている。
【ディスコグラフィ】(☆=ライヴ・アルバム ★=コンピレーションアルバム)
<アルバム>
1973年 テンペスト/Tempest
1974年 眩暈/Living in Fear
★2005年 アンダー・ザ・ブロッサム-ジ・アンソロジー/Under the Blossom/The Anthology
【メンバー変遷】
#1 1972.6~1973.6
ポール・ウィリアムス(vocals)ex.ジューシー・ルーシー
アラン・ホールズワース(guitars)ex.ニュークリアス
マーク・クラーク(bass, vocal)ex.コロシアム
ジョン・ハイズマン(drums, vocal)ex.コロシアム
#2 1973.6~1973.7
アラン・ホールズワース(guitars)
オリー・ハルソール(guitars)ex. パトゥ
マーク・クラーク(bass, vocal)
ジョン・ハイズマン(drums, vocal)
#3 1973.7~1974.6
オリー・ハルソール(guitars)→ボクサー
マーク・クラーク(bass, vocal)→ナチュラル・ガス
ジョン・ハイズマン(drums, vocal)→コロシアムⅡ
トゥ・サミュエル・ア・サン To Samuel a Son
【歌・演奏】
ゴッズ/The Gods
【リリース】
1969年9月
【録音】
1969年
【プロデューサー】
デヴィッド・A・パラモア/David A. Paramor
【レーベル】
コロムビア/Columbia Records
【録音メンバー】
☆ゴッズ
ケン・ヘンズレー/Ken Hensley(guitar, keyboards, vocals)
ジョー・コーナス/Joe Konas(guitars, vocals)
ジョン・グラスコック/John Glascock(bass, vocals)
リー・カースレイク/Lee Kerslake(drums, vocals)
【収録曲】
side:A
① トゥ・サミュエル・ア・サン 3:29
To Samuel a Son(Ken Hensley)
② 朝8時 3:16
Eight O'Clock in the Morning(Lee Kerslake)
③ ヒーズ・グローイング 2:25
He's Growing(Joe Konas, John Glascock)
④ スティッキング・ウイングス・オン・フライズ 2:39
Sticking Wings on Flies(Joe Konas, Ken Hensley)
⑤ レディ・レディ 3:18
Lady, Lady(Ken Hensley)
⑥ 愛しいペニー 2:34
Penny Dear(Joe Konas)
⑦ ロング・タイム、サッド・タイム、バッド・タイム 3:12
Long Time, Sad Time, Bad Time(Ken Hensley)
⑧ 3時5分前 2:59
Five to Three(Joe Konas, Ken Hensley)
⑨ 秋 3:12
Autumn(Joe Konas, Ken Hensley)
side:B
⑩ 僕が泣く 2:42
Yes I Cry(Joe Konas)
⑪ グルージー 3:41
Groozy(Harold Robertson, Paul Sugarman)
⑫ ママ・アイ・ニード 3:57
Momma I Need(Joe Konas, Ken Hensley)
⑬ キャンドルライト 2:34
Candlelight(Ken Hensley)
⑭ 可愛いアニータ 3:32
Lovely Anita(Lee Kerslake)
【チャート】
1969年週間アルバム・チャート 圏外
【メ モ】
ゴッズのセカンドにしてラストとなるアルバム。
架空の人物「サミュエルJ」の一生を描くコンセプト・アルバムである。
ジェネシス Genesis
【歌・演奏】
ゴッズ/The Gods
【リリース】
1968年10月
【録音】
1968年 アビイ・ロード・スタジオ(ロンドン)
【プロデューサー】
デヴィッド・A・パラモア/David A. Paramor
【エンジニア】
ピーター・ヴィンス/Peter Vince
【レーベル】
コロムビア/Columbia Records
【録音メンバー】
☆ゴッズ
ケン・ヘンズレー/Ken Hensley(guitar, keyboards, percussions, vocals)
ジョー・コーナス/Joe Konas(guitars, vocals)
ジョン・グラスコック/John Glascock(bass, vocals)
リー・カースレイク/Lee Kerslake(drums)
【収録曲】
side:A
① 空に向かって 3:25
Towards the Skies(Joe Konas)
② だんだん短くなるキャンドル 4:28
Candles Getting Shorter(Joe Konas, Ken Hensley)
③ 君は僕の人生 3:20
You're My Life(Joe Konas, Lee Kerslake)
④ ルッキング・グラス 4:14
Looking Glass(Joe Konas, Ken Hensley)
⑤ 心を乱す色 3:40
Misleading Colours(Lee Kerslake, Joe Konas)
side:B
⑥ レディオ・ショー 3:11
Radio Show(Harold Robertson, Paul Sugarman)
⑦ プラスティック・ホライゾン 3:26
Plastic Horizon(Harold Robertson, Paul Sugarman)
⑧ ファージング・マン 3:30
Farthing Man(Joe Konas)
⑨ アイ・ネヴァー・ノウ 5:41
I Never Know(Joe Konas, Ken Hensley)
⑩ タイム・アンド・エタニティ 2:43
Time and Eternity(Joe Konas, Lee Kerslake)
【チャート】
1968年週間アルバム・チャート 圏外
【メ モ】
ゴッズのファースト・アルバム。
コート・イン・ザ・クロスファイアー Caught in the Crossfire
【歌・演奏】
ジョン・ウェットン/John Wetton
【リリース】
1980年10月
【録音】
ギャラリー・スタジオ(サリー州チャーツィー)
AIRスタジオ(ロンドン)
【プロデューサー】
ジョン・ウェットン/John Wetton
ジョン・パンター/John Punter
【エンジニア】
ジョン・パンター/John Punter
マーティン・モス/Martin Moss
リチャード・メイスン/Richard Mason
ナイジェル・ウォーカー/Nigel Walker
【レーベル】
E.G. レコード/E.G. Records
【録音メンバー】
ジョン・ウェットン/John Wetton(vocals, acoustic-guitar, electric-guitar, bass, keyboards)
マーティン・バレ/Martin Barre(electric-guitar②③⑤⑩)
フィル・マンザネラ/Phil Manzanera(electric-guitar⑦)
サイモン・カーク/Simon Kirke(drums, percussions)
マルコム・ダンカン/Malcolm Duncan(saxophone⑦⑨)
【収録曲】(☆シングル=①⑨)
side:A
☆① ターン・オン・ザ・レディオ 3:47
Turn On the Radio(John Wetton)
*1980年リリース
② ベイビー・カム・バック 3:24
Baby Come Back(John Wetton)
③ ホエン・ウィル・ユー・リアライズ? 4:34
When Will You Realize?(John Wetton)
④ コールド・イズ・ザ・ナイト 5:22
Cold Is the Night(John Wetton)
⑤ ペーパー・トーク 4:00
Paper Talk(John Wetton)
side:B
⑥ ゲット・アウェイ 4:30
Get Away(John Wetton)
⑦ コート・イン・ザ・クロスファイアー 5:30
Caught in the Crossfire(John Wetton)
⑧ ゲット・ホワット・ユー・ウォント 3:18
Get What You Want(Pete Sinfield, John Wetton)
☆⑨ アイル・ビー・ゼア 3:33
I'll Be There(John Wetton)
*1980年リリース
⑩ ウーマン 4:33
Woman(John Wetton)
【チャート】
1980年週間アルバム・チャート 圏外
【メ モ】
ジョン・ウェットンのファースト・ソロ・アルバム。UK解散後、ウィッシュボーン・アッシュ加入以前の1980年にリリースされた。
レコーディング・メンバーは、マーティン・バレ(guitar ジェスロ・タル)、フィル・マンザネラ(guitar ロキシー・ミュージック)、サイモン・カーク(drums バッド・カンパニー)、マルコム・ダンカン(sax アヴェレイジ・ホワイト・バンド)である。
③『ホエン・ウィル・ユー・リアライズ?』は1979年にシングル『ナイト・アフター・ナイト』のB面としてリリースされている。
このアルバムのオリジナル・ジャケットはヒプノシスの手によるものである。
チアフル・インサニティ・オブ・ジャイルズ・ジャイルズ & フリップ The Cheerful Insanity of Giles Giles & Fripp
【歌・演奏】
ジャイルズ・ジャイルズ & フリップ/Giles Giles & Fripp
【リリース】
1968年9月13日
【録音】
1968年2月26日~5月18日
デッカ・スタジオ No.2(ロンドン)
【プロデューサー】
ウェイン・ビッカートン/Wayne Bickerton
【エンジニア】
ビル・プライス/Bill Price ①,②,④~⑧,⑨~⑬
マーティン・スミス/Martin Smith ③
【レーベル】
デラム・レコード/Deram Records
【収録曲】(☆シングル=③⑧)
side:A ロドニー・トーディ物語/The Saga of Rodney Toady(Robert Fripp)
① 北国の草原 2:29
North Meadow(Peter Giles)
② 新婚さん 2:07
Newly‐weds(Peter Giles)
☆③ どこにもいる男 2:25
One in a Million(Michael Giles)
*1968年5月リリース
④ コール・トゥモロウ 2:31
Call Tomorrow(Peter Giles)
⑤ ディギング・マイ・ローン 1:50
Digging My Lawn(Peter Giles)
⑥ リトル・チルドレン 2:48
Little Children(Robert Fripp)
⑦ クラクスター 1:35
The Crukster(Michael Giles)
☆⑧ 木曜日の朝 2:50
Thursday Morning(Michael Giles)
*1968年10月リリース
side:B ジャスト・ジョージ/Just George(Michael Giles)
⑨ ハウ・ドゥ・ゼイ・ノウ 2:14
How Do They Know(Michael Giles)
⑩ 象の歌 3:15
Elephant Song(Michael Giles)
⑪ 陽は輝いても 3:06
The Sun is Shining(Michael Giles)
⑫ 組曲第1番 5:33
Suite No.1(Robert Fripp)*instrumental
⑬ エリュダイト・アイズ 5:05
Erudite Eyes(Robert Fripp)
【録音メンバー】
☆ジャイルズ・ジャイルズ & フリップ
ロバート・フリップ/Robert Fripp(guitars, mellotron, spoken-word)
ピーター・ジャイルズ/Peter Giles(bass, lead-vocals②④⑤, backing-vocals)
マイケル・ジャイルズ/Michael Giles(drums, percussions, lead-vocals①~③,⑥~⑪,⑬, backing-vocals, spoken-word)
☆ゲスト・ミュージシャン
テッド・バーカー/Ted Barker(trombone)
クリフ・ハーディ/Cliff Hardy(trombone)
レイモンド・コーエン/Raymond Cohen(violin)
ジェリー・フィールズ/Gerry Fields(violin)
ケリー・アイザックス/Kelly Isaccs(violin)
ボリス・ペッカー/Boris Pecker(violin)
ウィリアム・リード/William Reid(violin)
G. ソールスベリー/G. Salisbury(violin)
ジョン・コウリング/John Coulling(viola)
レベッカ・パッテン/Rebecca Patten(viola)
アラン・フォード/Alan Ford(cello)
チャールズ・トンネル/Charles Tunnell(cello)
マイク・ヒル/Mike Hill(keyboards)
ニッキー・ホプキンス/Nicky Hopkins(keyboards)
ザ・ブレイクアウェイズ/The Breakaways(backing-vocals)
【チャート】
1968年週間アルバム・チャート 圏外
【メ モ】
ジャイルズ・ジャイルズ & フリップが残した唯一のアルバムである。
レコードの売上枚数は、当時全世界でわずか約600枚だったという。これはこの年のデラム・レコードの売上枚数最少記録だった。
ステレオ録音だが、イギリスではモノラルLPもリリースされた。
アメリカ盤およびカナダ盤は、イギリス盤と異なるジャケットが採用された。
ジャイルズ・ジャイルズ & フリップ Giles Giles & Fripp
【活動期間】
1967年~1968年
【メンバー】
ロバート・フリップ/Robert Fripp(guitars) 在籍1967~1968
ピーター・ジャイルズ/Peter Giles(bass, vocals) 在籍1967~1968
マイケル・ジャイルズ/Michael Giles(drums, vocals) 在籍1967~1968
ジュディ・ダイブル/Judy Dyble(vocal) 在籍1968
イアン・マクドナルド/Ian McDonald(sax, flute, keyboards, vocals) 在籍1968
ドーセット州ボーンマスを中心に活動していたマイケル(drums)とピーター(bass)のジャイルズ兄弟は、1963年にボーンマスのビート・バンド「トレンドセッターズ・リミテッド」に加入した。
このバンドは1967年1月に「ザ・トレンド」、同年6月には「ザ・ブレイン」と名を改めながら活動を続けていたが、1967年8月に解散。
ジャイルズ兄弟は新たなバンドを結成するため、新聞に「歌えるオルガニスト」募集の広告を出した。これに応募してきたのが、ジャイルズ兄弟と同じくドーセット州出身のロバート・フリップである。
フリップはヴォーカリストでもオルガニストでもなく、ギタリストであったが、オーディションの結果ジャイルズ兄弟はフリップを採用し、3人は1967年8月にボーンマスで「ジャイルズ・ジャイルズ & フリップ」を結成した。
彼らは1967年の終わり頃にロンドンへ進出し、デモ音源を作成したが、これがデッカ・レコード傘下のデラム・レコードに認められた。
1968年2月にデッカとレコーディング契約を結んだジャイルズ・ジャイルズ & フリップは、1968年6月にデビュー・シングル『One in a Million』をリリースした。
1968年6月、「インフィニティ」のメンバーだったイアン・マクドナルド(sax, keyboard)、マクドナルドの恋人で、元フェアポート・コンヴェンションのジュディ・ダイブル(vocal)のふたりが加入する。ただし間もなくマクドナルドと破局したダイブルは、7月にはバンドから離脱している。その後、マクドナルドとの繋がりで、やはりインフィニティのメンバーだったピート・シンフィールド(作詞, 照明)が歌詞を提供するようになる。
9月9日、BBCラジオで放送された番組「My Kind of Folk」で、ジャイルズ・ジャイルズ & フリップはアル・スチュワートのバックを務め、5曲を演奏した。
同年9月13日、デビュー・アルバム『チアフル・インサニティ・オブ・ジャイルズ・ジャイルズ & フリップ』が発表される。
このアルバムは、ロバート・フリップがビートルズの『サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』に影響されてものだとも言われており、約3ヵ月の制作期間を費やしたが、セールスは全世界でわずか600枚だった。これはこの年のデラム・レコードの売上枚数最少記録である。
ジャイルズ・ジャイルズ & フリップは、ポップ・ミュージックはもちろん、フォーク、サイケデリック、ジャズなど多様な音楽性を持ち合わせていた。いわゆるプログレッシヴ・ロックの源流のひとつと言えるバンドである。
オリジナルな音楽を追求し、数多くの自主録音を残しているが、当時は全く陽の目を見ることがなかった。
1968年10月、マクドナルドがヴォーカル・パートを多重録音したセカンド・シングル『Thursday Morning』をリリース。
1968年11月、BBCテレビに出演。この直後、フリップとの関係に生じた軋轢が原因でピーター・ジャイルズが脱退。翌12月に、フリップとは旧知の間柄であるグレッグ・レイク(bass, vocal)が後任として加入し、バンドの陣容はフリップ、マクドナルド、マイケル・ジャイルズ、レイク、シンフィールドの5人に落ち着いた。
こうしてジャイルズ・ジャイルズ & フリップは一度もライヴでの演奏をすることがないまま、1968年12月バンド名を改めて再出発することになる。
シンフィールドの提案によって付けられた新たなバンド名が、「キング・クリムゾン」である。
2001年、ジャイルズ・ジャイルズ & フリップが録音していた未発表音源の編集にピーター・ジャイルズが携わり、LPレコードは『Metaphormosis』、CDは『The Brondesbury Tapes』というタイトルで発表された。
【ディスコグラフィ】(☆=ライヴ・アルバム ★=コンピレーションアルバム)
<アルバム>
1968年 チアフル・インサニティ・オブ・ジャイルズ・ジャイルズ & フリップ/The Cheerful Insanity of Giles, Giles & Fripp
★2001年 Metaphormosis
★2001年 The Brondesbury Tapes
<シングル>
1968年 どこにもいる男/One in a Million
1968年 木曜日の朝/Thursday Morning
左から イアン・マクドナルド、ピーター・ジャイルズ、ロバート・フリップ、マイケル・ジャイルズ
【メンバー変遷】
#1 1967.8~1968.6
ロバート・フリップ(guitars)
ピーター・ジャイルズ(bass, vocal)
マイケル・ジャイルズ(drums, vocal)
#2 1968.6~1968.7
ロバート・フリップ(guitars)
ピーター・ジャイルズ(bass, vocal)
マイケル・ジャイルズ(drums, vocal)
イアン・マクドナルド(sax, flute, keyboard, vocal)ex. Infinity
ジュディ・ダイブル(vocal)ex. Infinity
#3 1968.7~1968.12
ロバート・フリップ(guitars)
ピーター・ジャイルズ(bass, vocal)
マイケル・ジャイルズ(drums, vocal)
イアン・マクドナルド(sax, flute, keyboard, vocal)