
人に薦めたい本として、「夜と霧」を書いたところ、ブログで仲良くなったお友達から、その本の感想を聞かれました。
私はもう40年くらい前に読んだ本なので、この本を人に薦めたいと思ってきたけれど、詳しいことは覚えていなかったのです。それで、読んでから感想を書くと伝えました。
そして、読みました。ヒットラー、ナチスがユダヤ人とナチスに反対する人たちを強制収容所に拉致し、閉じ込め、残虐な仕打ちを続け、飢えと悲惨な状況から、死に至るものも多く、それよりも、労働に向かないものは、ガス室で集団虐殺されていたのです。
ヴィクトル・E・フランクルはウィーンに生まれた、精神医学士で臨床の医者でもありました。そして、彼はユダヤ人でした。アウシュビッツに送られたフランクル教授は、過酷な労働と飢えと不潔な環境の中で、医者としての役得を使わず、一人の囚人として生き延びたのでした。
彼は、強制収容所での人々の姿を見、それを「強制収容所における一心理学者の体験」(それが「夜と霧」です) に書きました。それは、そこのすさまじい悪逆を描いたのではなく、人がどのようにその逆境を受け止めたかということが書かれていました。
どのようにも救われない環境の中で、多くの人は、「収容所の囚人」となり、でも、少しの人は、なお人間としてとどまり、人間としての尊厳を守る一人の人間になるのです。次に少し引用します。
一人の人間がどんなに彼の避けられ得ない運命とそれが彼に課する苦悩とを自らに引き受けるかというやり方の中に、すなわち人間が彼の苦悩を彼の十字架としていかに引き受けるかというやり方の中に、たとえどんな困難の状況にあってもなお、生命の最後の一分まで、声明を有意義に形づくる豊かな可能性が開かれているのである―ある人間が勇気と誇りと他人への愛を持ち続けていたか、それとも極端に尖鋭化した自己保持のための闘いにおいて彼の人間性を忘れ、収容所囚人の心理について既述したことを想起せしめるような羊群中の一匹に完全になってしまったか―その苦悩に満ちた状態と困難な運命とが彼に示した倫理的価値可能性を人間が実現したかあるいは失ったか―そして彼が「苦悩にふさわしく」あったかあるいはそうでなかったかー。
強制収容所の中の過酷な環境にあってもなお、人は人を思いやり、内的な世界を持つことができると、フランクル教授は書いています。それは本当に過酷で悪辣な残虐非道がまかり通っていたところででもです。
人は、本当にこんなところで人間的でいられるのかと思いますが、でも、そうであったというフランクル教授の言葉を感動を持って読みました。
そういう人でありたいと自分の心を見る思いでした。
人は、ナチスのようにもなれるし、内的な人にもなれるのだと、深く沈痛な思いでいます。
とても重く、またいくつものメッセージが込められた本を読みなおし、私のために感想を書いて下さって、本当にありがとうです。
beautiful-sunsetさんが引用された中にある
>彼の苦悩を彼の十字架としていかに引き受けるか
>勇気と誇りと他人への愛を持ち続けていたか
>倫理的価値可能性を人間が実現したかあるいは失ったか
の言葉から、私がまず思ったことは、
「こんなの、私にはとても無理!......」でした。
>強制収容所の中の過酷な環境にあってもなお、人は人を思いやり、内的な世界を持つことができる
私はそのような環境で「人を思いやる」ことは多分できないと思ったのです。
でも、「内的な世界を持つ」ことは少し理解できます。私のブログには書きませんでしたが、『イワン・デニーソヴィチの一日』は、ソ連の強制収容所を10年間を生き延びたデニーソヴィチの主に内的な世界を描いたものです。ただデニーソヴィチも内職稼ぎもできない不器用でお人好しのアリョーシカに自分が内職で稼いだビスケットを1枚分けるぐらいの「思いやり」は持っていましたが。
むろんデニーソヴィチの「政治犯・思想犯の強制収容所」よりも、「ユダヤ人収容所」の怖ろしさは桁違いですから、彼が「ユダヤ人収容所」に放り込まれたらどうなるか......思いやりを持てるかどうか... わかりません。
60年前に『夜と霧』を眺めた時は、写真に衝撃を受け本の言葉はまったく残っていなかったので、beautiful-sunsetさんの感想を読んだあと、初めてまじめに少し検索して解説みたいなものも読みました。
いくつか読んだ中で私なりに理解できたのは、「自然や、芸術や愛を体験することで、人生に意味が満ちてくるとフランクルは考えた」という一文でした。
これならわかります。残りの日々はそういうものを見つけ味わいながらなんとか持ちこたえよう。あらためてそう思いました。
自分の感想ばかり長々書きましたが、あなたの感想を読んで、再度自分の気持ちを確認できて、とても嬉しいし、今日は「良い日」になりました。ありがとうです。
すべての人が内的な世界を持つことができるわけではなく、ほんの限られた人だけが人間の尊厳を持ち続けるということでした。そういう人にはきっと私はなれないだろうと思いますが。でも、ナチス親衛隊や囚人から出たカポーのようにだけはならないと、強く思っています。
人は、どんなところでも、人としての尊厳を持ち続けられるのだということを、この本で知ることができます。人に薦めたいのはそのためです。