ローリーが死んで2年、犬のいない生活をしました。家族3人で旅行も行けたし、気楽な生活をしたように思います。犬がいるとやはりほかの命のことを考えなくてはならないからです。
ローリーの温かさを、少しずつ過去のこととして考えられるようになったのは、2年経った頃でした。
夫に犬が欲しい、というと、「もう犬は飼わないんじゃなかったの?」と笑いながら言い、「犬を飼うのなら、早い方がいい。もう僕たちは犬を飼う年齢のぎりぎりだろうから」といいました。
ミニチュアダックスフントは、メリーとローリーだけでいいし、他の犬種を飼うことにしました。そしてやってきたのがヨークシャーテリアのチャーリーです。
チャーリーは、小さいころから活発で、怖れを知らず、私たちのほうが怖れてしまうほどの子でした (危ないことをするので)。やんちゃで、あまり素直ではなかったですが、でも本当にかわいらしくわが家の一員になりました。
チャーリーはいつも夫に遊んでもらい、ボール投げをしたり、一緒に走ったりしていました。その夫が倒れ、私も病気になり、急に家の中の2人がいなくなったのです。きっとチャーリーは、そのことを今も、心にとどめていると思います。
今も私には距離を取っていたりすることもありますし、でも、だんだん病院から家に帰ったときよりは、近づいているようです。何か安心できない人だと思われているのでしょう。いついなくなるかわからない、と思われているような気がします。
犬と人間は、お互いの命を感じあって生きています。その存在は、とても大切なものだと思って生きています。
この頃、チャーリーはとても年を取って弱ってきました。目もあまり見えません。それでも、おもちゃを持ってきて投げてといいます。投げるとどこにあるかが分からず、取りに行けません。それでも毎日おもちゃ投げをしたいのです。(私がおもちゃのところまで歩いて教えます)
耳も聞こえなくなりました。とても大きな声を出すと、聞こえますが、自分が呼ばれたこともあまり分かりません。
ベッドの上に上がるのも降りるのも、まだ何とかできますが、とても難しそうです。もう14才になり、3か月過ぎました。
これから、どういう風にチャーリーと暮らそうか、考えています。できるだけ、チャーリーの楽なようにと思っています。
メリーとローリーとピーターの最後はとてもつらいことでした。チャーリーともそういう別れがいつかやってくるでしょう。それでも、最後まで一緒に生きて、よく頑張ったねと言いながら送ってやりたいと思っています。
この絵は、2010年4月、大崎下島に行った時の写真を見て描きました。チャーリーはまだ1才になっていないころ、私は60才のころです。
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