10月1日は、8月23日に亡くなった夫の誕生日です。この何年かは、バースデイカードを贈るくらいの誕生日でしたが、それでも、毎年、この日は特別の日でした。夫が生まれた日、私が夫に会えたのは、この日があったからでした。
でも、今年はとても寂しい日です。普段、母や妹と一緒に何かしているときに、ああこれは夫の好きな果物だったねとか、お肉好きだったよね、とか。チャーリーと一脚の椅子を分け合って座っていたねーとか、みんなが嫌がることをなんでも引き受けてくれていたとか、そんなことを思い出して話しています。
今も、施設に夫はいて、コロナが落ち着けば、会えるようになるのだと錯覚しています。施設にいたので、いつも会えなかったし、夫は、肉体を備えた人ではなく、夫という存在の人だったのです。今も生きているように思えるのは、そのせいもあるのでしょう。
私は、夫が亡くなったとき、とてもきれいな顔で、穏やかな様子だったのを、嬉しく思いました。長い寝たきりの状態を過ごし、家族にも会えないままに、弱っていったことを辛く悲しいと思っている様子ではなかったからです。
夫の顔をさすりながら、「お父さん、よく頑張ったねー」といいながら、「もうこれ以上頑張らなくてもいいので、良かったねー」と話しかけました。
8年の間の辛い寝たきりの生活は、もういいよと思いました。だから、亡くなったことは、夫にとっての安心だったと思います。コロナがはやらなかったら、きっと、家族と楽しい日々を過ごせただろうと思い、その時は、もっと長生きしてくれればいいと思ったでしょうが。
夫は、人に触られるのも嫌いな人だったのですから、体を触られなければならない日々はとても辛い日々だったと思います。それを思うともういいよとやっぱり思います。
私は、夫が亡くなったことをとてもやりきれない気持ちでいますが、でも、夫は私にとって、いなくならない人です。今もずっとそばにいて、私が書いている文章に、文句を付けているような気もします。夫という存在は無くならないで、私のそばにいるのが見えるように思います。
私は、本当に小さなお葬式をしました。家族だけのお葬式です。お友達も呼びたいと思ったのですが、私の気持ちが夫から離れてしまうことが怖くて、後で連絡しました。お友達は、みんな、よく頑張ったねと言ってくれました。
あまり人に伝えなかったことで、人からいろいろな態度をとられます。どんなことも、いつも情けないことが多くて、あきれてしまいます。お葬式についてや、人の生死について、苦情を表すことのすごい心の状態を考えると、多くの人は、幸せではないのだなと感じています。
でも、私は小さな私たち家族だけのお葬式を、良かったと思っています。夫とゆっくりとお別れができて、そして、今も夫がそばにいることを、感じることができているからです。
beautiful-sunset さんにとっては、ご主人が無くなられてほんのわずかな時しか経て無いのでまだまだ思いは切ないことでしょう。 私が思うに、 自分の両親とよりも、連れ合いとの心のふれあい、気持ちをたくさん伝え合ってきたこと、により連れ合いとの思いが深いのではないでしょうか。 これからもことある度に、思い出されて話かられたら。
私の叔母ですが、ご主人の介護をじたくで10年され、亡くなられて5年ほどたちますが、先日彼女の話してくれたこと、 ベッドの横にご主人の遺骨を置いて毎朝、毎晩話しかけているのよ、と。
昨年亡くなった母も、来週一周忌を迎えその時にお墓に納骨する予定です。
昨日庭に スパニッシュビューティーを地に下ろしました。これまでは鉢植えでしたがいまいち成長が悪かったので。来春どうなるかな?
夫が亡くなってからよく思います。私が生きているうちは、夫もいるのだと。親しい人が亡くなっても、思い出す人がいれば、無くなったことにはなりませんよね。寂しい日々ですが、何とか頑張っています。
スパニッシュ・ビューティー楽しみですね。この花は、夫が一番好きな薔薇でした。来年きれいに咲きますように。
こんなに思って貰えてご主人様はお幸せと思いますとしか言えない自分が情け無いです。
お身体大切になさってお過ごし下さいませ。
私はご主人様が今ゆっくりとお幸せにしておられます事を心からお祈りしています。
またお訪ねします。
Rayさんも、お忙しくされていらっしゃるのですね。周りの方のご健康を願っています。Rayさんもお元気でいらっしゃいますように。
私も同じように家族だけのちいさなちいさな葬式でした。夫の死を自分だけで、抱きしめていたいと、いう思いでした。今もその気持ちは変わりません。夫の肉体は消えたけれども、夫がこの世で生きて育てた人格は消えることはない、という確信をもって、夫を思い一緒に生きている日々です。悲しみ、喪失感を背負って生きることは辛いですが、きっと、ご主人と過ごされた人生を、眩しく見つめることの出来る時は訪れますよ。
私も同じように家族だけのちいさなちいさな葬式でした。夫の死を自分だけで、抱きしめていたいと、いう思いでした。今もその気持ちは変わりません。夫の肉体は消えたけれども、夫がこの世で生きて育てた人格は消えることはない、という確信をもって、夫を思い一緒に生きている日々です。悲しみ、喪失感を背負って生きることは辛いですが、きっと、ご主人と過ごされた人生を、眩しく見つめることの出来る時は訪れますよ。
なぜか、こうなってしまいました。
日にちがたてば、きっと喪失感も薄れていき、感情が滑らかになっていくのだと思いますが、今は、ぼおっと毎日が過ぎていきます。そのうち、夫と私の位置が決まってくるのだろうと思います。
同じコメントをくださっても、大丈夫です。お気になさらないように。私もよく変なことをしてしまい、冷や汗ということがあります。
では季節の変わり目ですから、ご自愛ください。