自立の姿「北」に伝えたい
家族会が結成されて6年目。2002年10月、拉致被害者の蓮池薫さん(49)、祐木子さん(51)夫妻と地村保志さん(52)、富貴恵さん(52)夫妻、曽我ひとみさん(48)が帰国した。蓮池さんによると、家族会が結成され、親やきょうだいが救出を訴えて講演会や署名活動を行っていることは、北朝鮮にも伝わっていたという。
蓮池さんは「北朝鮮の労働新聞で、家族会を非難する内容の記事を読んだことがある」と証言する。「その時はどう言っていいのか、複雑な気持ちだった」。記憶をたどり、ゆっくりつぶやいた。
蓮池さんの両親は、1997年に家族会が結成された当時からのメンバー。父の秀量さん(79)は、横田滋さん(74)、早紀江さん(71)夫妻と初めて、顔を合わせた際、「これからは頑張りましょう」と励まし合った。
拉致問題のことが書かれていれば、どんなに小さな新聞記事でも切り抜きをし、有力国会議員らへ自筆の手紙を300通以上送り続けた。講演会では横田滋さん夫妻とともに壇上に登り、救出を訴えた。
それだけに、2002年9月、日朝首脳会談で薫さんの生存が判明した一方、横田めぐみさんが「死亡」とされた時は、「何も声をかけられなかった」(秀量さん)。
蓮池さん夫妻は地元である新潟県柏崎市に住み、04年5月に帰国した子ども2人も、大学院と都内の大学にそれぞれ通っている。
蓮池さんは新潟産業大職員を務める傍ら、翻訳家としても活動。今年5月には、韓国のベストセラー小説「私たちの幸せな時間」(新潮社)を翻訳した。大学での仕事に加え、翻訳の作業はピーク時には週末だけで計14時間以上に及ぶ。
兄の透さん(52)は「家族の生活は政府の支援でまかなわれているというイメージがあるが、決してそうではない」として、「薫は家族を食べさせなければならないから、本気になって仕事をしている。生活の基盤を作ろうと必死なんです」と話す。
地村さんも帰国後、地元の福井県小浜市で観光PRの仕事をしていたが、昨年からは正職員として仕事を始めた。曽我さんも、今年4月から新潟県佐渡市の正職員となり、看護老人ホームで准看護師として働いている。各自が自活の道を歩んでいる。
5人と子どもたちの帰国は、家族会の大きな成果だ。ただ、子どもが帰国した04年5月以降、大きな進展がないのも事実だ。
現在、5人は、自分たちが被害者である拉致事件に関し、忌まわしい記憶をたどりながら、捜査機関に証言している。蓮池さんも「私なりにできることを考え、やっている」と言葉に力を込める。実際、警察当局は、蓮池さん夫妻ら帰国した拉致被害者に関しては、実行犯3人と指示役2人の国際手配にこぎ着けた。蓮池さんたちの証言も大きな支えになっているとされる。
蓮池さんは「自立のために頑張っている。この姿を向こうに残っている人が見ることができれば、残された人たちにも伝わると思う」と、身を乗り出して語った。胸元には、家族会のメンバーと同様、拉致被害者の救出を訴えるブルーリボンのバッジが輝いていた。
(読売新聞 2007年7月5日朝刊 社会部・石間俊充
電脳補完禄
より
家族会が結成されて6年目。2002年10月、拉致被害者の蓮池薫さん(49)、祐木子さん(51)夫妻と地村保志さん(52)、富貴恵さん(52)夫妻、曽我ひとみさん(48)が帰国した。蓮池さんによると、家族会が結成され、親やきょうだいが救出を訴えて講演会や署名活動を行っていることは、北朝鮮にも伝わっていたという。
蓮池さんは「北朝鮮の労働新聞で、家族会を非難する内容の記事を読んだことがある」と証言する。「その時はどう言っていいのか、複雑な気持ちだった」。記憶をたどり、ゆっくりつぶやいた。
蓮池さんの両親は、1997年に家族会が結成された当時からのメンバー。父の秀量さん(79)は、横田滋さん(74)、早紀江さん(71)夫妻と初めて、顔を合わせた際、「これからは頑張りましょう」と励まし合った。
拉致問題のことが書かれていれば、どんなに小さな新聞記事でも切り抜きをし、有力国会議員らへ自筆の手紙を300通以上送り続けた。講演会では横田滋さん夫妻とともに壇上に登り、救出を訴えた。
それだけに、2002年9月、日朝首脳会談で薫さんの生存が判明した一方、横田めぐみさんが「死亡」とされた時は、「何も声をかけられなかった」(秀量さん)。
蓮池さん夫妻は地元である新潟県柏崎市に住み、04年5月に帰国した子ども2人も、大学院と都内の大学にそれぞれ通っている。
蓮池さんは新潟産業大職員を務める傍ら、翻訳家としても活動。今年5月には、韓国のベストセラー小説「私たちの幸せな時間」(新潮社)を翻訳した。大学での仕事に加え、翻訳の作業はピーク時には週末だけで計14時間以上に及ぶ。
兄の透さん(52)は「家族の生活は政府の支援でまかなわれているというイメージがあるが、決してそうではない」として、「薫は家族を食べさせなければならないから、本気になって仕事をしている。生活の基盤を作ろうと必死なんです」と話す。
地村さんも帰国後、地元の福井県小浜市で観光PRの仕事をしていたが、昨年からは正職員として仕事を始めた。曽我さんも、今年4月から新潟県佐渡市の正職員となり、看護老人ホームで准看護師として働いている。各自が自活の道を歩んでいる。
5人と子どもたちの帰国は、家族会の大きな成果だ。ただ、子どもが帰国した04年5月以降、大きな進展がないのも事実だ。
現在、5人は、自分たちが被害者である拉致事件に関し、忌まわしい記憶をたどりながら、捜査機関に証言している。蓮池さんも「私なりにできることを考え、やっている」と言葉に力を込める。実際、警察当局は、蓮池さん夫妻ら帰国した拉致被害者に関しては、実行犯3人と指示役2人の国際手配にこぎ着けた。蓮池さんたちの証言も大きな支えになっているとされる。
蓮池さんは「自立のために頑張っている。この姿を向こうに残っている人が見ることができれば、残された人たちにも伝わると思う」と、身を乗り出して語った。胸元には、家族会のメンバーと同様、拉致被害者の救出を訴えるブルーリボンのバッジが輝いていた。
(読売新聞 2007年7月5日朝刊 社会部・石間俊充
電脳補完禄
より