平成20年10月30日
特定失踪者問題調査会
(1)宮澤康男さん(昭和17年10月20日生まれ 昭和35年9月21日 都内で失踪 当時17歳 会社員)
東京都台東区上野の勤務先(製パン業者)の宿舎から失踪。不確定ではあるが複数の目撃証言がある。
(2)藤田慎さん(昭和6年9月5日生まれ 昭和35年 都内で失踪 当時29歳 会社員)
長兄に「旅行に行く」と新品の靴を借りに来る。次兄夫婦には、「結婚したい人がいる」と相談。また、弟にお金を借りに来る。その後音信不通。失踪から数年後、兄夫婦宅(川口市仲町)に年賀状が届く。字体は達筆(本人の字体に似ていた)。差出人の名前がなかった。消印は世田谷だったようである。昭和51年2月7日、埼玉県川口市で失踪した藤田進さん(次に挙げる新潟の藤田進さんとは別人)のおじにあたる。北朝鮮にいるとの不確定情報がある。
(3)藤田進さん(昭和23年3月25日生まれ 昭和40年3月26日 新潟県青海町で失踪。当時17歳 高校生 すでに1000番台リストになっている埼玉県の藤田進さんとは別人)
自宅から徒歩15分ほどの映画館で開かれる演奏会に、一人で歩いて出かけた。猛吹雪だった。
学生服の上にブルーのアノラックを着ていた。この3年後に県境を越えた富山県の入善町で屋木しのぶさん、朝日町で水島慎一さんが失踪(ともに1000番台リスト)しているほか、同時期男子高校生の失踪が多い。北朝鮮にいるとの不確定情報がある。
(4)七條一さん(昭和23年8月22日生まれ・昭和45年2月10日 石川県金沢市で失踪 当時21歳 大学生)
北陸方面を旅行。8日に能登を回って西宮市の母の実家に立ちより、徳島に帰る予定で、金沢市のユースホステルを出発し、輪島市で宿泊。9日「能登を回ってバスが遅れ、大阪行きの汽車に遅れた」と同じ金沢市のユースホステルに再度宿泊。10日朝出発し、以後消息不明。「雪が降っていたので兼六園の雪景色を見てくると言って10センチ位積もった雪の上を堤防の方に向かって歩いて行った」という証言と「東尋坊・永平寺に回ると言って宿を出る」という証言がある。2月10日は夕方のフェリーで西宮市の母の実家から祖父母を徳島に連れて帰り、翌日行われる法要に出席する約束をしていた。事前に東京の下宿から西宮の母の実家に法要出席のための背広を送ってあった。北朝鮮にいるとの不確定情報がある。
(5)三浦和彦さん(昭和27年3月28日生まれ 当時21歳)
(6)波多野幸子さん(昭和30年2月14日生まれ 当時18歳・同じ会社に勤務 昭和49年1月12日 福岡県志摩町で失踪)
二人は会社の同僚。当日会社に出勤。三浦さんは退社前に同僚に前原に行くと告げ、波多野さんの残業が終わるのを待ったと思われる。12日から帰宅せず。15日、福岡県糸島郡志摩町芥屋大門近くの海岸に車が放置されているのが見つかる。車内に三浦さんの免許証、コートが置かれたまま。両人の靴が片方ずつ落ちていた。
1970年代は男女での失踪が集中して起きている。波多野さんについては不確定な目撃情報がある。
(7)山下春夫さん(昭和21年3月25日生まれ・昭和49年8月17日 福井県小浜市で失踪 当時28歳 造船会社勤務)
8月16日会社近くで夕涼みを兼ねて夜釣りに行くと出かけたまま失踪。本人の作業靴が発見されている。失踪2か月前に小浜市の岡津(おこづ)海岸から高敬美・剛姉弟が連れ出されたとされる。後述の山下貢さん、宮内和也さん、林雅俊さんも近隣地域からの失踪だが、この地域は過去も現在も頻繁に工作員の出入りが行われている地域である。
(8)萩本喜彦さん(昭和15年1月2日生まれ 昭和50年4月4日 兵庫県高砂市で失踪 当時35歳 会社員)
夜勤で自宅から会社へ自転車で向かう途中失踪。お金も持たず仕事着のまま。失踪後無言電話や不審な電話があり不審な葉書が届く。元工作員金東赫氏が昭和50年8月に平壌サーカス劇場で目撃したとの証言をしている。
(9)峰島英雄さん(昭和27年9月2日生まれ 会社員)
(10)関谷俊子さん(昭和32年5月19日生まれ 高校生)
(11)遠山常子さん(昭和32年6月22日生まれ 高校生 昭和49年7月11日 千葉市で失踪)
遠山さんと友人の関谷さん、ならびに関谷さんの親戚である峰島さんの3人は、千葉市内の飲食店で食事をした。峰島さんが、「二人を家まで送ってくる。戻ってくるから、食事を用意しておいてくれ」と言い残し、車で飲食店を出たまま三人とも失踪。峰島さんの車も未発見。失踪の当日は、関谷さんの引越しの日だった。引越しが終わったあとに、三人で飲食店に食事に来た模様。失踪以降、何ら手がかりとなるものは無かった。関谷さん、遠山さんについては北朝鮮にいるとの不確定情報がある。
(12)寺島佐津子さん(昭和35年7月26日生まれ・昭和54年8月10日 神奈川県横浜市で失踪 当時19歳 銀行員)
失踪当日、勤務先の支店の親睦会で鎌倉の花火大会に行き、夜10時に現地解散。同僚と鎌倉駅で別れ、戸塚駅からバスで帰宅途中に行方不明。翌日、自宅近くの草むらからセカンドバッグが見つかる。
(13)小久保稔史さん(昭和22年8月1日生まれ・昭和55年1月13日 京都府舞鶴市で失踪 当時32歳 船員)
東舞鶴のスナックを一人で出て失踪。午後7時に「パチンコ屋の横から」と言って自宅に普通の口調で電話をしている。船室もそのままだった。コートも置いてあった。北朝鮮にいるとの不確定情報がある。
(14)長尾直子さん(昭和35年10月25日生まれ・昭和56年3月16日 北海道札幌市で失踪 当時20歳 自動車学校事務員)
いつも通り出勤したがすぐに傘を取りに引き返してきた。会社に着いたと思われる頃会社から出勤していないと連絡。普段は会社から日に1、2回電話してくる。夜になっても連絡なし、心当たりもあたったが分からず。翌日捜索願。身の回りのものは手つかずで、預金を下ろしたりもしていない。北朝鮮にいるとの不確定情報がある。
(15)松本重行さん(昭和10年7月25日生まれ・昭和58年10月17日 京都府舞鶴沖で失踪 当時48歳 漁船員)
漁船「照和丸」で刺し網漁業中に行方不明。船は同日無人の状態で漂泊していたのを発見される。べた凪、転落しにくい船の構造、ベテラン漁師であることを考えると、転落は有り得ない。
たとえ転落しても、水温も高く自力で船に戻れるはずであり、遭難しても大掛かりな捜索から遺体が発見されたはずである。出港直後、不審な船が接近している。京都府の東端に位置し、北朝鮮絡みの事件が多発する地域に隣接する。北朝鮮にいるとの不確定情報がある。
特定失踪者問題調査会
(1)宮澤康男さん(昭和17年10月20日生まれ 昭和35年9月21日 都内で失踪 当時17歳 会社員)
東京都台東区上野の勤務先(製パン業者)の宿舎から失踪。不確定ではあるが複数の目撃証言がある。
(2)藤田慎さん(昭和6年9月5日生まれ 昭和35年 都内で失踪 当時29歳 会社員)
長兄に「旅行に行く」と新品の靴を借りに来る。次兄夫婦には、「結婚したい人がいる」と相談。また、弟にお金を借りに来る。その後音信不通。失踪から数年後、兄夫婦宅(川口市仲町)に年賀状が届く。字体は達筆(本人の字体に似ていた)。差出人の名前がなかった。消印は世田谷だったようである。昭和51年2月7日、埼玉県川口市で失踪した藤田進さん(次に挙げる新潟の藤田進さんとは別人)のおじにあたる。北朝鮮にいるとの不確定情報がある。
(3)藤田進さん(昭和23年3月25日生まれ 昭和40年3月26日 新潟県青海町で失踪。当時17歳 高校生 すでに1000番台リストになっている埼玉県の藤田進さんとは別人)
自宅から徒歩15分ほどの映画館で開かれる演奏会に、一人で歩いて出かけた。猛吹雪だった。
学生服の上にブルーのアノラックを着ていた。この3年後に県境を越えた富山県の入善町で屋木しのぶさん、朝日町で水島慎一さんが失踪(ともに1000番台リスト)しているほか、同時期男子高校生の失踪が多い。北朝鮮にいるとの不確定情報がある。
(4)七條一さん(昭和23年8月22日生まれ・昭和45年2月10日 石川県金沢市で失踪 当時21歳 大学生)
北陸方面を旅行。8日に能登を回って西宮市の母の実家に立ちより、徳島に帰る予定で、金沢市のユースホステルを出発し、輪島市で宿泊。9日「能登を回ってバスが遅れ、大阪行きの汽車に遅れた」と同じ金沢市のユースホステルに再度宿泊。10日朝出発し、以後消息不明。「雪が降っていたので兼六園の雪景色を見てくると言って10センチ位積もった雪の上を堤防の方に向かって歩いて行った」という証言と「東尋坊・永平寺に回ると言って宿を出る」という証言がある。2月10日は夕方のフェリーで西宮市の母の実家から祖父母を徳島に連れて帰り、翌日行われる法要に出席する約束をしていた。事前に東京の下宿から西宮の母の実家に法要出席のための背広を送ってあった。北朝鮮にいるとの不確定情報がある。
(5)三浦和彦さん(昭和27年3月28日生まれ 当時21歳)
(6)波多野幸子さん(昭和30年2月14日生まれ 当時18歳・同じ会社に勤務 昭和49年1月12日 福岡県志摩町で失踪)
二人は会社の同僚。当日会社に出勤。三浦さんは退社前に同僚に前原に行くと告げ、波多野さんの残業が終わるのを待ったと思われる。12日から帰宅せず。15日、福岡県糸島郡志摩町芥屋大門近くの海岸に車が放置されているのが見つかる。車内に三浦さんの免許証、コートが置かれたまま。両人の靴が片方ずつ落ちていた。
1970年代は男女での失踪が集中して起きている。波多野さんについては不確定な目撃情報がある。
(7)山下春夫さん(昭和21年3月25日生まれ・昭和49年8月17日 福井県小浜市で失踪 当時28歳 造船会社勤務)
8月16日会社近くで夕涼みを兼ねて夜釣りに行くと出かけたまま失踪。本人の作業靴が発見されている。失踪2か月前に小浜市の岡津(おこづ)海岸から高敬美・剛姉弟が連れ出されたとされる。後述の山下貢さん、宮内和也さん、林雅俊さんも近隣地域からの失踪だが、この地域は過去も現在も頻繁に工作員の出入りが行われている地域である。
(8)萩本喜彦さん(昭和15年1月2日生まれ 昭和50年4月4日 兵庫県高砂市で失踪 当時35歳 会社員)
夜勤で自宅から会社へ自転車で向かう途中失踪。お金も持たず仕事着のまま。失踪後無言電話や不審な電話があり不審な葉書が届く。元工作員金東赫氏が昭和50年8月に平壌サーカス劇場で目撃したとの証言をしている。
(9)峰島英雄さん(昭和27年9月2日生まれ 会社員)
(10)関谷俊子さん(昭和32年5月19日生まれ 高校生)
(11)遠山常子さん(昭和32年6月22日生まれ 高校生 昭和49年7月11日 千葉市で失踪)
遠山さんと友人の関谷さん、ならびに関谷さんの親戚である峰島さんの3人は、千葉市内の飲食店で食事をした。峰島さんが、「二人を家まで送ってくる。戻ってくるから、食事を用意しておいてくれ」と言い残し、車で飲食店を出たまま三人とも失踪。峰島さんの車も未発見。失踪の当日は、関谷さんの引越しの日だった。引越しが終わったあとに、三人で飲食店に食事に来た模様。失踪以降、何ら手がかりとなるものは無かった。関谷さん、遠山さんについては北朝鮮にいるとの不確定情報がある。
(12)寺島佐津子さん(昭和35年7月26日生まれ・昭和54年8月10日 神奈川県横浜市で失踪 当時19歳 銀行員)
失踪当日、勤務先の支店の親睦会で鎌倉の花火大会に行き、夜10時に現地解散。同僚と鎌倉駅で別れ、戸塚駅からバスで帰宅途中に行方不明。翌日、自宅近くの草むらからセカンドバッグが見つかる。
(13)小久保稔史さん(昭和22年8月1日生まれ・昭和55年1月13日 京都府舞鶴市で失踪 当時32歳 船員)
東舞鶴のスナックを一人で出て失踪。午後7時に「パチンコ屋の横から」と言って自宅に普通の口調で電話をしている。船室もそのままだった。コートも置いてあった。北朝鮮にいるとの不確定情報がある。
(14)長尾直子さん(昭和35年10月25日生まれ・昭和56年3月16日 北海道札幌市で失踪 当時20歳 自動車学校事務員)
いつも通り出勤したがすぐに傘を取りに引き返してきた。会社に着いたと思われる頃会社から出勤していないと連絡。普段は会社から日に1、2回電話してくる。夜になっても連絡なし、心当たりもあたったが分からず。翌日捜索願。身の回りのものは手つかずで、預金を下ろしたりもしていない。北朝鮮にいるとの不確定情報がある。
(15)松本重行さん(昭和10年7月25日生まれ・昭和58年10月17日 京都府舞鶴沖で失踪 当時48歳 漁船員)
漁船「照和丸」で刺し網漁業中に行方不明。船は同日無人の状態で漂泊していたのを発見される。べた凪、転落しにくい船の構造、ベテラン漁師であることを考えると、転落は有り得ない。
たとえ転落しても、水温も高く自力で船に戻れるはずであり、遭難しても大掛かりな捜索から遺体が発見されたはずである。出港直後、不審な船が接近している。京都府の東端に位置し、北朝鮮絡みの事件が多発する地域に隣接する。北朝鮮にいるとの不確定情報がある。