事件から17年後1995年、確か11月の終わりだったと思います。
私が父と店を代わり昼食を取っていたところ、電話が鳴りました。
韓国から国際電話が入ったんです。
以前私の家に取材に来られたテレビ局の記者の方(大阪・朝日放送の石高健次氏)でした。
「韓国へ亡命した北朝鮮の元工作員・安明進さんという方に取材をすることが出来た。
何枚かの行方不明者の写真を見せたところ、その中からこの男性は何回も目撃している。
おそらく修一さんは北朝鮮で生きている可能性が強いです」
と言うお電話をいただいたんです。
お袋がその時はテレビを見ておりましたですけども、私が修一と言う言葉を出したもんですから、サッとこっちの方を見ておりました。
私が電話を切ってから「お母さん、修一が北朝鮮で生きているよ」と言った途端みるみる大きな粒の涙を流し
「どこへねおってもいい、元気でいてくれればそれでいい」
本当にね、私もびっくりするぐらいの大きな大声で泣いておりました。
私も初めてね、母親があのように大きな声で泣くのを見て、本当に母親の愛というものは海よりも深く広いなぁと理解しました。
それからお袋の顔も笑顔が戻り、修一の話をしてもそんなに悲しい顔をしなくなりました。
本当に安明進さんの証言と言うものは家族にとっては本当に大きな光が、希望の光が差し込んだような思いがしました。
それから修一が帰って来ても困らないように、着れもしない20代の頃のスーツを取り出して虫干ししている母親の姿を見ると本当にたまらない気持ちですよね。(少し声を詰まらせ涙声で語る)
それからですね、まもなく家族会が発足したんです。
私は国は国民の生命を守る義務があります。
修一たちを全員を必ずいつかは政府が取り戻してくれるだろうと。
私は期待し、絶対に取り戻してくれるんだと、いつも思っておったんです。
ところが20年間政府は何もしてくれませんでした。
拉致被害者をね、完全に見捨てていたわけなんです。
皆様方もご承知のように2002年・平成14年、世論の力で小泉総理が訪朝されました。
日朝首脳会談が行われました。
私たちは外務省の飯倉公館に集められて、「5人生存8人死亡2人が未入国」と通知されました。
家族は個別に呼ばれ、私と妻とそれと長男3人に植竹外務副大臣より
「命に関わる問題です。
政府としては慎重に確認作業をいたしました。
ところが残念なことに修一さんは死亡されております」
その時私はね、死亡というのは頭に無かったんです。
最悪でも行方不明のままだろうかなぁ?おそらくその方が強いかなぁ?と思っておりました。
ところが死亡と言われたもので、頭の中真っ白になったんです。
そこで・・・あの・・・あの・・・植竹副外務大臣に
「修一は殺されたのですか?病死なんですか?死んだのはいつなんですか?」
と矢継ぎ早にね質問したところ
「何も分かりません」
ただそれを繰り返されるばかりでした。
市川健一さんのお話 4
妻も怒って
「何も分かりませんでは、私は両親にどう説明したらいいんですか?大臣・副大臣は知っていらっしゃるんでしょ?知っているんだったらここで教えてくださいよ!」
物凄い剣幕でね、副大臣に迫っていました。
長男も目を真っ赤にして妻の肩を抱いて
「お母さん、もういいよ、もういいよ」
ってね、一生懸命ね、母親の肩を抱いておりました。(このあたり少し声を詰まらせながら語る)
私はその時安明進さんの証言がありました、っていうのもそれも頭に全然無かったんです。
「親にどう説明したらいいのか。そうだやはり行方不明のままで知らせた方がいい。高齢の90歳の身だからどういうことか何かあったら大変だ」
そう言おうと思いましたらね、なんとちゃんとテレビで放映されておりましてね。
で私は心配して電話したら、家じゃあ妹が、
「一時はしょげ込んでいたけども、元気だよ。兄ちゃん大丈夫だよ」
と言ってくれてね、やっとそれで安心しました。
それで後で分かったんですけど、政府は死亡確認はやっていなかったわけなんです。
北朝鮮の一方的通知をそのまま私たちに伝えただけだったんです。
後日政府の訪朝団が訪朝し、北朝鮮側からの聞き取り調査を行いまして、私たちにその調査書と言うのを下さいました。
その内容を見てとても納得できる内容ではありませんでした。
1979年9月4日元山海水浴場で溺死と書いてありました。
私はえっ?修一は、あの私の田舎は私のときもでしたけど修一の時も小学校・中学校もプールが無く、また山間に住んでいましたからほとんど海水浴に行ったことが無いわけなんですよ。
で家族でも海水浴に言行ったこともないし、修一が泳ぎに行ったことも全然聞いたこともありませんでした。
あぁ、これは嘘だな。
泳げない者がわざわざ海水浴に行くはずが無い。
それと9月4日、水は冷たいですよね?
その水の冷たい時期に海水浴するはずが無い。
それと元山海岸から緯度をたどっていくと東北の岩手県に当たります。
岩手県でも9月になって海が冷たくて泳いでいる人はいないですよね。
それなのに海水浴で死亡としてあるわけなんです。
元山海水浴場には台風も近づいていた訳なんですよね?
私には目撃証言者の安明進さんがいらっしゃいました。
1988年から1991年、あの~修一をね、金正日政治軍事大学で何回も目撃しているわけなんです。
修一の特長なりすべて話されたこと、また赤いネクタイなんかも修一に間違い無いという証言も頂いておりましたから。
それなのに北朝鮮は拉致の次の年には死亡としているわけなんですよね。
本当に全てが矛盾と不自然な点が多く、とても信憑性があるものではなく、捏造と嘘に嘘を重ねるのが北朝鮮の常套手段だと思っております。
昨年5月22日小泉総理が訪朝されました。
私たち家族は10名の未帰還者、それから100人以上ともいわれる北朝鮮に拉致された可能性の強い特定失踪者。
この人たちの救出の道筋を立てて来られることを本当に心から強く切望しておりましたけども。
ところが総理は被害者の国・日本が、加害者の国・北朝鮮に対して、食糧支援の約束をなさる。
また国民の意思で成立した経済制裁法も発動しない、ということをね、約束されてこられたんです。
本当に唖然としてしまいました。
市川健一さんのお話 5
日本は北朝鮮から主権侵害・人権侵害され続けているのに、なぜ?
なぜ毅然とした態度で交渉が出来ないのか?
本当にね、情けない!腰抜け外交!日本はどうなっているんだ!と怒りがふつふつと湧いてきました。
日本人の拉致を指令したのは金正日なんです。
その金正日は自国民にも恐怖を与えて食料も与えずして、餓死させ続けている極悪の独裁者なんです。
だから日本政府がどんなに誠意を持って米支援しても、特定階層の人あるいは軍人などにそれがまわって国民のね、口には入らないんです。
だから祖国を捨てて脱北者がどんどんどんどん後を続いておりますよね?
独裁者には誠意は通じません。
独裁者の考えることは得か損だけなんです。
私たち家族は北朝鮮に対して経済制裁の発動をして欲しいと強く強く要請しております。
対話の出来ない相手にはもう制裁の圧力しかないと思います。
圧力と言っても軍事力ではありません。
経済封鎖でもありません。
北朝鮮の国民が困らない、金正日が困る人・物・金を止めればいいわけなんです。
それをね、総理は絶対やって欲しいと思うんです。
でなければ、ただ時間だけが過ぎ去っていきます。
私のね、両親はもう90歳なんです。
一刻でも早く弟に会わせたい。
私はその一念でね、気が張っております。
本当に時間が無いんです。
朝私は早く起きるんですけど、両親今日も元気で起きてきてくれるかなぁ?
それだけが毎日心配しております。
今父は足が痛くて、自宅と店は隣同士なんですけど。
私なんかが歩けば何歩かで店に着くのに、親父はそこまで来るのに30分も時間がかかるわけなんです。
本当に歩けば歩くほど足が痛い痛いと言ってね、ほとんど寝ているわけなんです。
あんまり寝ているとボケてしまいますんで心配しております。
北朝鮮の国民もね、金正日の独裁から解放されることを信じております。
皆様方もこの拉致問題を忘れないで下さい。
関心を持ち続けてください。
世論の力ほどね、強いものはありません。
5人の被害者、まずはその家族が帰って来られたのも世論の力です。
私たち10人の未帰還者、また400人以上と言われる特定失踪者、この人たちが全員が祖国の土を踏むまでは戦わなくてはいけません。
頼りにしているのはね、皆様方のね、世論の力なんです。
どうかね、私たちと一緒に戦ってください。
そしてね友達、友人なんかにこの拉致問題の話をしてください。
悪いのはね、金正日です。
よろしくお願いします。(拍手)
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私が父と店を代わり昼食を取っていたところ、電話が鳴りました。
韓国から国際電話が入ったんです。
以前私の家に取材に来られたテレビ局の記者の方(大阪・朝日放送の石高健次氏)でした。
「韓国へ亡命した北朝鮮の元工作員・安明進さんという方に取材をすることが出来た。
何枚かの行方不明者の写真を見せたところ、その中からこの男性は何回も目撃している。
おそらく修一さんは北朝鮮で生きている可能性が強いです」
と言うお電話をいただいたんです。
お袋がその時はテレビを見ておりましたですけども、私が修一と言う言葉を出したもんですから、サッとこっちの方を見ておりました。
私が電話を切ってから「お母さん、修一が北朝鮮で生きているよ」と言った途端みるみる大きな粒の涙を流し
「どこへねおってもいい、元気でいてくれればそれでいい」
本当にね、私もびっくりするぐらいの大きな大声で泣いておりました。
私も初めてね、母親があのように大きな声で泣くのを見て、本当に母親の愛というものは海よりも深く広いなぁと理解しました。
それからお袋の顔も笑顔が戻り、修一の話をしてもそんなに悲しい顔をしなくなりました。
本当に安明進さんの証言と言うものは家族にとっては本当に大きな光が、希望の光が差し込んだような思いがしました。
それから修一が帰って来ても困らないように、着れもしない20代の頃のスーツを取り出して虫干ししている母親の姿を見ると本当にたまらない気持ちですよね。(少し声を詰まらせ涙声で語る)
それからですね、まもなく家族会が発足したんです。
私は国は国民の生命を守る義務があります。
修一たちを全員を必ずいつかは政府が取り戻してくれるだろうと。
私は期待し、絶対に取り戻してくれるんだと、いつも思っておったんです。
ところが20年間政府は何もしてくれませんでした。
拉致被害者をね、完全に見捨てていたわけなんです。
皆様方もご承知のように2002年・平成14年、世論の力で小泉総理が訪朝されました。
日朝首脳会談が行われました。
私たちは外務省の飯倉公館に集められて、「5人生存8人死亡2人が未入国」と通知されました。
家族は個別に呼ばれ、私と妻とそれと長男3人に植竹外務副大臣より
「命に関わる問題です。
政府としては慎重に確認作業をいたしました。
ところが残念なことに修一さんは死亡されております」
その時私はね、死亡というのは頭に無かったんです。
最悪でも行方不明のままだろうかなぁ?おそらくその方が強いかなぁ?と思っておりました。
ところが死亡と言われたもので、頭の中真っ白になったんです。
そこで・・・あの・・・あの・・・植竹副外務大臣に
「修一は殺されたのですか?病死なんですか?死んだのはいつなんですか?」
と矢継ぎ早にね質問したところ
「何も分かりません」
ただそれを繰り返されるばかりでした。
市川健一さんのお話 4
妻も怒って
「何も分かりませんでは、私は両親にどう説明したらいいんですか?大臣・副大臣は知っていらっしゃるんでしょ?知っているんだったらここで教えてくださいよ!」
物凄い剣幕でね、副大臣に迫っていました。
長男も目を真っ赤にして妻の肩を抱いて
「お母さん、もういいよ、もういいよ」
ってね、一生懸命ね、母親の肩を抱いておりました。(このあたり少し声を詰まらせながら語る)
私はその時安明進さんの証言がありました、っていうのもそれも頭に全然無かったんです。
「親にどう説明したらいいのか。そうだやはり行方不明のままで知らせた方がいい。高齢の90歳の身だからどういうことか何かあったら大変だ」
そう言おうと思いましたらね、なんとちゃんとテレビで放映されておりましてね。
で私は心配して電話したら、家じゃあ妹が、
「一時はしょげ込んでいたけども、元気だよ。兄ちゃん大丈夫だよ」
と言ってくれてね、やっとそれで安心しました。
それで後で分かったんですけど、政府は死亡確認はやっていなかったわけなんです。
北朝鮮の一方的通知をそのまま私たちに伝えただけだったんです。
後日政府の訪朝団が訪朝し、北朝鮮側からの聞き取り調査を行いまして、私たちにその調査書と言うのを下さいました。
その内容を見てとても納得できる内容ではありませんでした。
1979年9月4日元山海水浴場で溺死と書いてありました。
私はえっ?修一は、あの私の田舎は私のときもでしたけど修一の時も小学校・中学校もプールが無く、また山間に住んでいましたからほとんど海水浴に行ったことが無いわけなんですよ。
で家族でも海水浴に言行ったこともないし、修一が泳ぎに行ったことも全然聞いたこともありませんでした。
あぁ、これは嘘だな。
泳げない者がわざわざ海水浴に行くはずが無い。
それと9月4日、水は冷たいですよね?
その水の冷たい時期に海水浴するはずが無い。
それと元山海岸から緯度をたどっていくと東北の岩手県に当たります。
岩手県でも9月になって海が冷たくて泳いでいる人はいないですよね。
それなのに海水浴で死亡としてあるわけなんです。
元山海水浴場には台風も近づいていた訳なんですよね?
私には目撃証言者の安明進さんがいらっしゃいました。
1988年から1991年、あの~修一をね、金正日政治軍事大学で何回も目撃しているわけなんです。
修一の特長なりすべて話されたこと、また赤いネクタイなんかも修一に間違い無いという証言も頂いておりましたから。
それなのに北朝鮮は拉致の次の年には死亡としているわけなんですよね。
本当に全てが矛盾と不自然な点が多く、とても信憑性があるものではなく、捏造と嘘に嘘を重ねるのが北朝鮮の常套手段だと思っております。
昨年5月22日小泉総理が訪朝されました。
私たち家族は10名の未帰還者、それから100人以上ともいわれる北朝鮮に拉致された可能性の強い特定失踪者。
この人たちの救出の道筋を立てて来られることを本当に心から強く切望しておりましたけども。
ところが総理は被害者の国・日本が、加害者の国・北朝鮮に対して、食糧支援の約束をなさる。
また国民の意思で成立した経済制裁法も発動しない、ということをね、約束されてこられたんです。
本当に唖然としてしまいました。
市川健一さんのお話 5
日本は北朝鮮から主権侵害・人権侵害され続けているのに、なぜ?
なぜ毅然とした態度で交渉が出来ないのか?
本当にね、情けない!腰抜け外交!日本はどうなっているんだ!と怒りがふつふつと湧いてきました。
日本人の拉致を指令したのは金正日なんです。
その金正日は自国民にも恐怖を与えて食料も与えずして、餓死させ続けている極悪の独裁者なんです。
だから日本政府がどんなに誠意を持って米支援しても、特定階層の人あるいは軍人などにそれがまわって国民のね、口には入らないんです。
だから祖国を捨てて脱北者がどんどんどんどん後を続いておりますよね?
独裁者には誠意は通じません。
独裁者の考えることは得か損だけなんです。
私たち家族は北朝鮮に対して経済制裁の発動をして欲しいと強く強く要請しております。
対話の出来ない相手にはもう制裁の圧力しかないと思います。
圧力と言っても軍事力ではありません。
経済封鎖でもありません。
北朝鮮の国民が困らない、金正日が困る人・物・金を止めればいいわけなんです。
それをね、総理は絶対やって欲しいと思うんです。
でなければ、ただ時間だけが過ぎ去っていきます。
私のね、両親はもう90歳なんです。
一刻でも早く弟に会わせたい。
私はその一念でね、気が張っております。
本当に時間が無いんです。
朝私は早く起きるんですけど、両親今日も元気で起きてきてくれるかなぁ?
それだけが毎日心配しております。
今父は足が痛くて、自宅と店は隣同士なんですけど。
私なんかが歩けば何歩かで店に着くのに、親父はそこまで来るのに30分も時間がかかるわけなんです。
本当に歩けば歩くほど足が痛い痛いと言ってね、ほとんど寝ているわけなんです。
あんまり寝ているとボケてしまいますんで心配しております。
北朝鮮の国民もね、金正日の独裁から解放されることを信じております。
皆様方もこの拉致問題を忘れないで下さい。
関心を持ち続けてください。
世論の力ほどね、強いものはありません。
5人の被害者、まずはその家族が帰って来られたのも世論の力です。
私たち10人の未帰還者、また400人以上と言われる特定失踪者、この人たちが全員が祖国の土を踏むまでは戦わなくてはいけません。
頼りにしているのはね、皆様方のね、世論の力なんです。
どうかね、私たちと一緒に戦ってください。
そしてね友達、友人なんかにこの拉致問題の話をしてください。
悪いのはね、金正日です。
よろしくお願いします。(拍手)
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