昨日夕方、私が居住する地域の「原水爆禁止網の目平和行進」が行われ、参加しました。
被爆地・長崎で20年前から自主的に取り組まれている地域ごとの平和行進です。このような運動を細々ながらも連綿と続けてきた人たちの主力部隊は高齢化がはなはだしく、きのうの私たちのコースの参加者は70歳から80歳代の人たちがほとんどでした。暑い季節ということで夕方6時半からの出発なので働いている現役世代の人たちの参加がほとんどなく、総勢10名程度の人数でした。
しかし、参加者たちは横断幕やのぼりを手にして、意気盛ん。元気よく約3kmの道のりを歩きました。幹線道路から住宅街に入り、路地裏を通るまさに網の目行進。道行く人たちはお辞儀をしたり手を振ったり。わざわざ玄関の戸をあけて、深々とお辞儀をされる方もおられます。自分が参加できない分、そのお気持ちを託されているのだと思います。きっと、原爆の悲しい体験を秘めておられる方なのでしょう。
ハンドマイクを持って訴えながら先頭を歩かれた方は、80歳を越えておられます。この方たちの思いを、いくら参加者が少なくなろうと引き継いでいかなければ、と強く思った行進でした。
被爆地・長崎で20年前から自主的に取り組まれている地域ごとの平和行進です。このような運動を細々ながらも連綿と続けてきた人たちの主力部隊は高齢化がはなはだしく、きのうの私たちのコースの参加者は70歳から80歳代の人たちがほとんどでした。暑い季節ということで夕方6時半からの出発なので働いている現役世代の人たちの参加がほとんどなく、総勢10名程度の人数でした。
しかし、参加者たちは横断幕やのぼりを手にして、意気盛ん。元気よく約3kmの道のりを歩きました。幹線道路から住宅街に入り、路地裏を通るまさに網の目行進。道行く人たちはお辞儀をしたり手を振ったり。わざわざ玄関の戸をあけて、深々とお辞儀をされる方もおられます。自分が参加できない分、そのお気持ちを託されているのだと思います。きっと、原爆の悲しい体験を秘めておられる方なのでしょう。
ハンドマイクを持って訴えながら先頭を歩かれた方は、80歳を越えておられます。この方たちの思いを、いくら参加者が少なくなろうと引き継いでいかなければ、と強く思った行進でした。