東京には「暴走老人」と自称する迷惑な老人がいるようですが、安倍総理の暴走も歯止めがきかなくなってきたようです。
明日28日には1952年4月28日にサンフランシスコ条約が発効し、日本の主権が回復した記念すべき日だとして「主権回復の日」式典開催を、多くの国民の反対を押し切って強行しようとしています。とりわけ沖縄県民にとっては主権回復どころか、平和条約によって日本から切り離されアメリカの施政下に置かれた「屈辱の日」として全県をあげて怒りと抗議の声を上げています。にもかかわらずしゃにむに式典の実施にこだわり、しかも天皇を出席させて国家的行事に仕立て上げるという、「憲法違反ともとれる天皇の政治的利用」という二重に許しがたい暴挙となっています。
ジュネーブで行われている核不拡散条約再検討会議では、核兵器の非人道性を指摘し核兵器の不使用を求める共同声明に、賛同しない、という態度を表明しています。「いかなる状況下でも核兵器を使用しない」との表現に同意しない、とのことですが、これは核兵器の使用も認められるべきだ、と言っていることになり、被爆国としてはありえない態度だと思います。
憲法「改正」問題では憲法9条を変えて戦争ができる国にする、という自民党の方針を実現しやすくするために、憲法改定の発議には国会議員の3分の2以上の賛成が必要、と規定している「憲法96条」を、国会議員の2分の1以上の賛成で発議できるように変更しようとしています。憲法というものは時の政権の意向で安易に変更できるのは好ましくないことから条件を厳しくしてあるわけで、国家の品位にかかわるものです。正々堂々と論議することを避ける、せこいやり方と言えるでしょう。
さらに、靖国神社参拝問題では、北朝鮮の威嚇に対して、緊張緩和と対話解決のために協力すべき中国や韓国をわざわざ敵に回すような強硬な言動を行って、アメリカから苦情を出される始末です。実に機を見ない、外交能力の欠如を示す愚かな態度と思います。「国の為に尊い命を捧げた英霊たちに対して尊崇の念を表するのは当たり前のこと」、とつっぱねていますが、問題はそこにあるのではない。私はその思いを否定するものではありません。靖国神社そのものがあの太平洋戦争をアジア解放のためにたたかった聖戦である、というような、侵略戦争とは認めない思想を絶えず発信し続けている、いわば軍国主義の総本山のような神社であることが問題なのだ、と考えます。そして中国が友好国である北朝鮮の身勝手を苦々しく思うように、日本の突出ぶりをアメリカが警戒する日が来るのもそう遠くないのでは、と感じています。日本がアジア諸国から警戒され、世界各国から眉をひそめられて孤立化の道を進むようになるとしたら、それは愛国とは正反対の亡国の道となりかねません。このような愚かな道に進まぬよう、今のうちにしっかり芽を摘んで、根絶やししておかないと後悔するでしょう。
きょうの1曲。長崎市出身の若きシンガーソングライター、果里(かりん)さんの渾身の1曲。「重たい銃」。じっくりお聞きいただきたいと思います。