blueswave 's MIND DROPS

まもろう憲法9条、生かそう憲法25条!

雨の境目

2008-03-28 10:02:00 | 日記
  きのうの天気予報は午後から雨になる、所によっては雷をともないそう、というような予報でした。しかし、もう10時ごろにはひと雨降り、その後も少し日が射したかと思ったらまたにわか雨、といった状況でした。
 2時近くなって本格的に降りだし、雷もすごく、見事な蛍光灯の光のような稲妻が何度も走るほどでした。2時30分発のバスを発車しようとするころは、乗っている患者さんが、「こんなにひどくても出るんですか?」と心配するほどでした。「もしも雷に当たったら、いっしょに行きましょうね」と冗談で言ったら患者さんも「あの世にね」、と返して大笑いしました。*(ニヤ)*

 ところがそれからわずか5分ぐらいで雨の勢いが急に弱まり、西の空は青空になってきました。そしてまもなくピタッと雨がやみ、あっと言う間に青空が広がって日が照り始めたのです。稲妻を見てから青空になるまで10分ぐらいしかたっていません。
 「さっきの○○のあたりが雨の境目やったんやろね」「よかった、バスを降りてからどうしようか、と思うとった」と患者さんはニコニコ顔でバスを降りていかれました。雨傘が日傘になっていました。*(笑顔)*


ホームからの突き落とし事件に思う

2008-03-27 21:35:00 | 日記
 昨日、JR岡山駅のプラットホームで若い男性公務員の方が、いきなり見ず知らずの18歳の少年からホーム下に突き落とされ、死亡するというショッキングな事件が起きました。ここのところ連日のように殺人事件が発生し、それもなんの恨みもない見知らぬ人を殺害する、という異常な事件が続いていることに無関心ではいられません。

 犯人の少年に関する新聞記事を見る限りでは、少年はまじめでおとなしく、学業成績は優秀であった、とのことです。また一方では中学生時代からいじめを受けていた、との報道もあります。

 家庭は父親が派遣社員のしごとにつく、など、経済的に困難があり大学進学をあきらめざるをえず、かといって就職もままならず、悩んでいた、といいます。
 このような状況から少年は、いわば希望を見失い、前途をはかなんで自暴自棄な状態に陥っていた、と思われます。
 そのような少年が考えた短絡的な逃げ道として「刑務所」に入れば、就職も試験も、それまでのいじめからも解放される・・・。このように考えたのではないでしょうか。

 あまりに浅はかであり、短絡的ではありますが、この少年の小さな胸の張り裂けんばかりの絶望や不安を思うとき、私はこの少年を責める気持ちにはなれないのです。
殺害された方のこれからの人生、残されたご家族の方々の悲しみや怒り、これからの生活、など考えれば、加害少年を許すことは到底出来ません。
 でも、この少年も少年の家族もまた、庶民の暮らしを破壊しているいまの政治の被害者である、と強く思うのです。

 

ある診療所長の送別会

2008-03-26 20:55:00 | 日記
 今月末で私が勤務する診療所の所長が退職します。まだ40代の若い医師ですが、郷里・滋賀県にいるお父さんがご病気で、息子の帰郷を強く望んでいる、とのことで苦渋の選択で父親の元に帰る決意をした、というわけです。

 きょう水曜日の午後は定例の休診日ということで、2時半から5時まで、診療所のデイケア室で全職員による送別会が行われました。手作りの料理と出前でとったお寿司と皿うどん、という質素なメニューでしたが、とても感動的な送別会でした。

 ひとあたりお腹がふくらんだところで、順番にひとりひとり、先生への送る言葉を述べました。わずか1年間の赴任期間でしたが、それぞれの先生への思いはさまざまで、話しながら泣き出す職員が続出。ティッシュの箱を次の人に手渡しながらの発言となりました。

 朝、だれよりも早く出勤し、玄関の鍵を開けていた先生、朝も夜も関係なく「日銭を稼がなくちゃ」と冗談を言いながら往診に飛び回った先生、患者さんの最後を看取ったときの思い出など、とくに先生と苦楽をともにした看護師たちの惜別の思いは先生にも当然伝わって、先生も涙、涙、でした。

 実は、私の母の最期を病院で看取って下さったのもこの先生でした。私は感謝こそすれなんとも思っていなかったのに、力が及ばなかった、とその後しばらくの間、私に会うたびに「すみませんでした」と気にしておられたのです。

 きょうの外来送迎バスの中では、先生が退職すると聞いて泣いている患者さんもいました。先生にお別れを言って泣いたら先生も涙ぐんでくれた、というばあちゃん。定刻になって出発しようとしたら看護師が大声で「ちょっと待ってぇ。もう1人乗せてあげて」というので待っていたら、やっと乗り込んできたばあちゃんは「先生とお別れの握手ばしとったと」。
 こんなに患者さんからも職員からも慕われる医師が退職してしまうのは大きな損失です。送別会では、近い将来ぜひ戻ってきて欲しい、と言う声がしきりでした。

 ある方の日記では、「課長の送別会が社員食堂で開かれた。会場が社員食堂、というところにその課長が嫌われていたことが証明されている」というような一文がありましたが、当診療所の所長の送別会の会場が所内のデイケア室 であったことは、所長がいかに慕われていたか、のあかしである、と思った次第です。


きのうはいろいろありました。

2008-03-24 10:57:00 | 日記
 強い雨となったきのうの日曜日はいろいろありました。
 
 まず朝9時過ぎには、私は勤務先の診療所へ、昨夜遅く帰って来た長男はかみさんといっしょに孫の保育園の保育発表会兼卒園式へ、と別れて出かけました。私も孫のほうに行きたかったのですが、診療所の行事で「ひとり暮らしの方のお食事会」があり、その送迎などのお手伝いを頼まれていたのです。

 「お食事会」はひとり暮らしのお年寄りの患者さん達をお招きして職員やボランティアさんたちが心こめて料理を作って食べていただき、楽しんでもらおう、という毎年恒例の春の行事です。会場は診療所の隣にある公民館のホールと調理室をお借りして行われました。あいにくの天気で送迎も大変でしたが、みなさん楽しみにしておられ、20人あまりの患者さんが来られました。カラオケで歌ったり、職員の踊りやマジックの出し物もあってとても楽しまれたようです。もちろん食事もとてもおいしかった、と好評でした。
 私はというと、お迎えが終わってから催しには参加せず、保育園に駆けつけました。卒園式の前に、リズム体操や劇などの演技を披露する保育発表会があり、かろうじて見ることが出来ました。

 孫は卒園児ではないので卒園式には出ないでいったん家に帰り、長男と当面のことを話し合いました。就職試験に落ちて進路が決まらない長男ですが、専門学校の先生と相談した結果、先生が心当たりがあるそうで、まずは当たってみてくれる、ということのようなのでそれを期待しつつ、4月7日の国家試験合格発表を待つ。その後、内定者が不合格となり欠員ができた病院から例年再募集が学校に来るので、それに挑戦してみる、というのです。もちろん本人が合格していないと話にならないのですが。

 昼過ぎには診療所に戻り、手分けして患者さんをご自宅までお送りしたあと、後片付けなどを手伝いました。90歳のおばあちゃん患者さんがボランティアで炊事に加勢しておられたのでびっくりしました。

 夜は娘の旦那さんからの提案で、長男もふくめて街へ食事に行きました。旦那さんの「義理の弟を励まそう」、と言う気持ちがうれしく、孫は可愛いし、料理もおいしくて焼酎が進んでしまいました。
 長男は家には戻らず、そのまま柳川に帰っていきました。朝一番に学校に行き、先生にもう一度お願いしてみる、というのです。
 というわけで、あわただしく、楽しく、そしてちょっぴり不安も感じる一日でした。

 孫の写真はリンク集「カメラごっこ」に貼っておきます。



傷心の長男がまもなく帰ってきます

2008-03-22 21:16:00 | 日記
  つい先日専門学校を卒業し、就職試験を受けて結果待ちだった長男から昨日電話がありました。
 「ダメやった・・・」 希望していた病院への就職がかなわなかったのです。3月末でいまいるアパートを明け渡すことになっているのですが、とりあえず帰ってこい、と伝えておきました。本人としては、入職はほぼ間違いない、とおもっていたふしがあっただけに、ショックが大きいようで、電話の声は気落ちしているような感じがありました。

 つい先ほど長男からメールがありました。

 「いまから帰ってくるね」

 その言葉にもなにやら寂しさが感じられるようで、怒る気にも責める気にもなれません。まずは暖かく迎えて、明日にでもじっくり話し合ってみようと思います。

 こんなことを言うと「甘い!」と言われるでしょうが、まだまだ子どもなんですね。まかせっきりにしていた私たちにも責任があった、とちょっと後悔しているところです。