今度の日曜日は母の日だそうで、ふと思いついて、8年前になくなった母の遺品箱から短歌を書いたノートを出してみました。
私が幼いころ、母は肺結核で入院し、手術をしてからも長い間療養生活を続けていました。その間、聖書を読むことと短歌を作ることで、何もできない寂しさを紛らわせていたようです。
母が亡くなった後に見つかった遺品の中に、書き溜めた短歌を清書した1冊のノート。私は人の日記を読むようなうしろめたさもあって、これまでそのノートをあけて見たことがなかったのです。
きょう、ひとりでノートのなかの短歌を読んでみました。読み進むうちに、私がまだ小学校に上がる前や上がって間もないころの母の思いが伝わって来、胸が詰まる思いがつのってきました。そして、次の歌でついに涙が溢れ、ひとり嗚咽してしまいました。
「布団の位置 争いおりしがジャンケンにて 今宵は真理子がわが横に寝る」
真理子、とは私の妹。私たち兄妹が、どちらが母親の隣に寝るかをジャンケンで争って、勝ったほうが母親の隣に寝ていたのでしょう。私ははっきりとは覚えていませんが・・・。そんなにも母親を慕っていた私たち。そしてそんな私たちをいとおしく見ていたのであろう私の母・・・。
長かった闘病生活からようやく癒えて、子どもと一緒に寝ることができる喜びはどんなだったろう、と感無量です。
私が幼いころ、母は肺結核で入院し、手術をしてからも長い間療養生活を続けていました。その間、聖書を読むことと短歌を作ることで、何もできない寂しさを紛らわせていたようです。
母が亡くなった後に見つかった遺品の中に、書き溜めた短歌を清書した1冊のノート。私は人の日記を読むようなうしろめたさもあって、これまでそのノートをあけて見たことがなかったのです。
きょう、ひとりでノートのなかの短歌を読んでみました。読み進むうちに、私がまだ小学校に上がる前や上がって間もないころの母の思いが伝わって来、胸が詰まる思いがつのってきました。そして、次の歌でついに涙が溢れ、ひとり嗚咽してしまいました。
「布団の位置 争いおりしがジャンケンにて 今宵は真理子がわが横に寝る」
真理子、とは私の妹。私たち兄妹が、どちらが母親の隣に寝るかをジャンケンで争って、勝ったほうが母親の隣に寝ていたのでしょう。私ははっきりとは覚えていませんが・・・。そんなにも母親を慕っていた私たち。そしてそんな私たちをいとおしく見ていたのであろう私の母・・・。
長かった闘病生活からようやく癒えて、子どもと一緒に寝ることができる喜びはどんなだったろう、と感無量です。