長い間、私達家族みなが、アメリカでおせわになったのは、旭川医大の先生だとかんちがいしていたのが、私の息子が、家族みんなが大変ごやっかいになり、楽しい思い出を残せたのは、実家が仙台といわれたので、多分仙台なら、東北大学だろうと受験して、ごうかくした。東北大の中で会えるかもしれないと東北大学に行ったのは、父親が北大だから、父越えで受けたとおもっていたのだが、それで。森崎先生のご夫妻に逢いたいといい私の脳は、想いだいてくれたのだった。たしか、森崎先生のご夫妻は、さっぽろに、一度おみえになったのではなかったdろうか。というところまで、思いだした。うれしかった。森崎先生夫妻とごいっしょに、沢山楽しい思い出を私達親子が味わった。今度、息子の家に行った時に、仙台の森崎先生のお家を訪問しよう。戦争とCoronaかが終息するまで待たねばならないが、いい思い出をおもいだせるようになってうれしかった。
旭川医大の先生は、私が、お酒の瓶のかけらをふみつけて、大けがをした時に、ていねいに、感染予防の処置もしてくれた先生夫妻と勘違いでおぼえていたのだった。よぼうしてくれたのが
旭川医大の先生は、私が、お酒の瓶のかけらをふみつけて、大けがをした時に、ていねいに、感染予防の処置もしてくれた先生夫妻と勘違いでおぼえていたのだった。よぼうしてくれたのが