今日。嬉しい新聞記事を読みました。やっと、北海道新幹線の工事が始まったよ。というお知らせでした。思い起こせば、第二次世界大戦に、父は赤紙が来て、生きてかえってくると、すぐにまた召集され、五度戦地に向かいました。そのたびに留萌線に乗って石狩沼田まで、見送りにゆきました。 悲しい思い出でしたが、無事に5度目の戦争から帰ってきましたが、お土産などを入れたリュックが、トイレに行っている間に盗まれて、探しているあい間に高熱を出し、病院にいったところ。マラリアの三日熱ダッタかとおもい、ますが、苦しんでつらそうでした。まだ小学校前でしたので、病気の詳しいことは分かりません。その苦痛を和らげるつもりなのかさけびたりにになって、アル中そして血圧が高くなったんでしょう。父は、出稼ぎ先で脳卒中で、亡くなりました。この時お医者さんは、僕に「お父さんは亡く前に息子が医学部に入ったと言っていた。自慢の息子さんだね。医師になる前に、見る死者の一第一番目が父親なんてかわいそうだね、お医者さんになっていたなら、助けられたかもしれないのに、本当に残念だね、悲しいねと一緒に涙をながしてくれました。この後、医学部を卒業し、医師になり最初は、検査技師学校の教務主任でした。3年制の学校が4年制となり、大学になり、検査技師や薬剤師、歯科医師。看護婦さんなどの医療に携わる人たちがパラメじかるとよばれて、悔しい想いがするのですと、当時の北海道知事の堂垣内さんにはなしたところ、それは、可哀そうだ、医療に携わる命に関わる大事な仕事をする人たちだ。
よし、医療大学。そして北海道にあるから、北海道医療大学と名づけよう。この名前なら、日本の各地で同じような集団がマネをして皆何とか医療大学になるはずだ。そうなって、みんなが切磋琢磨すると、北海道そして日本の医療が進歩発展する。病気の診断から治療までの新しい情報や知識が世界中から集まってくるかもしれない。
ああ、いい時に、北海道知事になっていて良かった。うれしい。医療の進歩に貢献できるんだから、「さあ、文部省に陳情にに行くぞ。と堂垣内さんがおっしゃっておりました。関係各位の皆さん方、なまけないでね、みんな仲良く、敵をつくらずに、頑張りましょう。堂垣内さんが、あのよから皆さんのご活躍をご覧になっておられますよ。私は、いつもの歌って踊りだしそうになるデイサービスの施設で筋トレ脳トレに励んで体力づくりをを続けております。ブログも毎日更新して行く積もりです。