写真中央の鞍部が中山峠。江戸時代は三国街道の難所であった。左が小野子山、右が子持山。
小学生だったころ、夏のある日、自転車で中山峠を越えた。私は自転車大好き少年で、自転車が手放せなかった。BMXのようにジャンプを繰り返し、フロントフォークを2度曲げてしまった。曲がったままでしばらく乗っていた。まるでイージーライダーのように。
しかし、遠出は始めての経験で少し悲壮感があった。自転車は5段変則。当然登りは歩いた。途中、枯れ木を燃やして持参のボンカレーを作って食べたのを憶えている。幼馴染と一緒だったが、道中の彼のことは不思議と全く憶えていない。
自分としては精一杯の冒険、まさに「スタンバイミー」だった。
自転車に、ローラーに、登山に釣りにと年甲斐も無く続けているのは、この原体験のおかげだと思う。
小学生だったころ、夏のある日、自転車で中山峠を越えた。私は自転車大好き少年で、自転車が手放せなかった。BMXのようにジャンプを繰り返し、フロントフォークを2度曲げてしまった。曲がったままでしばらく乗っていた。まるでイージーライダーのように。
しかし、遠出は始めての経験で少し悲壮感があった。自転車は5段変則。当然登りは歩いた。途中、枯れ木を燃やして持参のボンカレーを作って食べたのを憶えている。幼馴染と一緒だったが、道中の彼のことは不思議と全く憶えていない。
自分としては精一杯の冒険、まさに「スタンバイミー」だった。
自転車に、ローラーに、登山に釣りにと年甲斐も無く続けているのは、この原体験のおかげだと思う。