マイナーな城ケ丸・猿焼山
2022年の2年前に十二夜山に登った時の計画書には下山後に城ケ丸・猿焼山の登る予定だったが、十二夜山の山頂から残雪をたっぷりと抱いた富士山に御正体山に杓子岳その奥は毛無山・雨ガ岳か右奥には南アルプスの白い連なり、北方には黒嶽・雁ケ腹摺山にその奥の連なりは雲取山等の奥秩父連山が拡がっていて、この眺望からすぐに立ち去るのがしのび難く山頂に座り込んでしまって、城ケ丸・猿焼山は次のチャンスと見送ってしまっていたので急に思い立った。
・日時:2024年5月15日(水)
・メンバー:ソロ
・行程:自宅5:20=君津IC5:30=都留IC7:10=7:30月待の湯8:05…城ケ丸(878m)9:35…猿焼山(880m)9:50…城ケ丸10:00…月待の湯11:50/13:10=都留IC13:29=君津IC15:16=自宅15:30
・行動時間:3時間45分、歩行距離:6.3㎞、累積標高差:登り650m、降り644m
・記録:14日夕方、川崎市の首都高速道路湾岸線で乗用車2台にトラックが衝突した事故で、横浜方面は今朝も交通止めになっていて羽田線・山手トンネルは営業車が普段より多かったが、東名への分岐を過ぎるとスムースに流れて予定通り都留ICを降りることが出来た。高速からは生富士が何故か大きく見えた。
都留戸沢の森・和の里で持参の朝食を摂っていると、中年夫婦がラジオ体操をして出かけて行ったがズック靴にザックはなく、旦那はストックの代わりかゴルフドライバーを持っていたが私が戻ってきたときには車はまだ停まっていた。何処に行ったのか?
キャンプ場の横を過ぎて木橋を渡ると登山道の標識が、しかしこの登山道は倒木が多数あり越えたり潜ったり迂回したりとフタリシズカが点在する斜面を踏み後らしきものを探しながらと時間がかかっているが、踏み後のある尾根に出てホットする。
この尾根を進んでいると右手に小さな赤いテーピングを見つけた。ヤマレコで確認するとこの枝尾根を降ると下山できそうなので下りは見落とさないようにと思った。
この尾根も境界杭を頼りに急坂が続く曲者で、右足の膝痛は大丈夫のようだが、脹脛のヒラメ筋が悲鳴をあげてきたが、吹き抜ける緑風はさわやかで元気を頂ける。三つのピークを越えてようやく三等三角点の城ケ丸に着いた。南側の尾根がチラチラと見えているのが今倉山から十二夜山の尾根だが若葉に覆われていて視界は開けなく、富士山が見える箇所もあるとのことだったが残念なり。
猿焼山をピストンして「房総の山仲間」Grにラインで写真を送ると、なんと森内さんから上高地からの穂高連峰の写真が送られてきた。こちらは超マイナーな山なのに、向こうさんはメジャーなところからと財政の違いだろうか。
下りは登りのルートを外さないよう急坂を転ばないように注意深く、キックステップを繰り返して時々ヤマレコを確認していたがハルゼミの合唱と鹿さんと出会って、記憶にない斜面を下っているようなのでスマホを見ると大きくそれているではないか。急斜面を登り返すのは大変で、トラバース気味に登りのルートの境界杭を見つけます。約30分くらいのロスですが、精神的には落ち込んでしまって下山後大月の菊花山の登る予定していたがこの時点で諦めることにします。
境界杭に戻った 悲しきかなノンアル
登りに見つけた枝尾根への赤のマーキングを確認して降ります。こもルートにはマーキングがあり、3㎝×10㎝位の白い板の指導標識が「戸沢登山口」「猿焼山」の文字も確認でき、降りきって登るときに見つけた登山道の標識の少し先に降りてきました。このルートが正規の登山道みたいで、登るときに見落としていたのでした。
当然、今日は誰一人と会うことはありませんでした。
菊花山は諦めたので、芭蕉月待の湯に寄ることにします。風呂は相変わらず地元のお爺さんで賑わっていて、中には露天風呂の中で単行本を読んでいる御仁もいます。食堂ではやはり御婆さん達が卓を囲んで賑わっています。小生は生ビールを飲みたい心境ですがノンアルで我慢我慢、辛口カレーライスの味は今一でした。