『歳を重ねただけでは人は老いない、情熱(理想)を失う時に初めて人は老いる・・・』
サミュエル・ウルマンにこんな詩の一節がある。
”情熱”を失った人に悔しさは無い。
未明までソチ五輪の放送に、頑張って起きて観戦した。
しかし、”頑張って”起きていたことに後悔を感じたことは初めて。
観ないで早く寝てれば良かった!
そう、女子フィギュアの真央ちゃんの演技です。
彼女の未完成ながらの特技、トリプルアクセスで転んだからではない。
転倒後の精彩を欠く演技・・・そして演技終了後の冷めた無表情。
なによりキス&クライで点数と順位を聞いたあとの、”悔しさ”さえも表さない無表情に冒頭の『情熱の無さ』を感じたからです。
きっとジャッジの方々も同じことを感じ、点数に表わしたのではないでしょうか。
”悔しさ”は次回へのリベンジを連想させます。
そう、事前に五輪後の『引退』を示唆した彼女に”次回”は無いのです。
したがって”悔しさ”は無く、情熱も消え果たのでしょうか。
私は元来、ヤル気(情熱)の無い人はあまり好きになりません、投げやりな言動をする人たちのことです。
ジャンプの葛西や沙羅ちゃん、その他悔しさをバネに何年も掛けてステージアップを追い求めている人・・・・・彼らを鏡に自分たちに元気を貰えます。
それがあらゆるメディアに登場する人たちの宿命ではないでしょうか。
我が家は日本国中の誰もがそうであるように、真央ちゃんの大フアンです。
どうか明日のフリースケーティングでは意地で、貴女の最高点の演技で最上位を目指してください。
もしくは葛西選手のように『金メダル』を取るまで歳を重ねてもやると、引退を撤回してください。
逆に、あまり好きではなかったキム・ヨナにプロ根性を見て、敵ながらアッパレと思ってしまいました。