今でこそジャズ好きと明言して憚らないが、トランペットを始めることにした動機は不純だ。今思い返してみても確かに不純だ。話題としておもしろくもない。それでもまだラッパを吹いているわけなので、一応経緯を素直にまとめて記録しておくことにした。
――昭和47年、高校一年の夏休み。すでに8月に入ったある日の朝。普段はバンカラを気取って下駄で通っていた高崎高校へ珍しく革靴を履き自転車をこいで向かった。所属する吹奏楽部の定期演奏会の日だ。高々生(群馬県立高崎高校生の略称)として群馬音楽センターのステージで演奏する喜びと期待と緊張感を胸に、いつもより空気の澄んだように感じる早朝の高崎市の街中を走り抜けた。自分にとって音楽は高校生活に欠かせないものになっており、とりわけ吹奏楽は伝統的なクラシック音楽に通じるだけでなく、ちょっと大人びたジャズにも繋がるところが魅力だから、管楽器を通じて自らの感性を膨らませる可能性を十分に託すことができた。――
高々に入学する時にはすでに吹奏楽部に入りフレンチホルンを吹こうと決めていた。高崎四中でブラスバンド部に入部していたし、高々のブラス(部員はわざわざ吹奏楽部とは呼ばずブラスと呼んでいた)には高崎四中のブラバンでお世話になった先輩もおり自然に先輩の吹くフレンチホルンを担当したいと思った。また当時、中学にはフレンチホルンがなかったので吹いてみたいという願望もあった。ホルンの音色は柔らかく澄んでおり複数で音合わせするとハーモニーが美しく響くところが好きだった。
ここまでの流れでは音楽を好きになった動機は管楽器が好きなんだなと感心して終わるところだが、中学校でブラスバンドに入ろうと決めた経緯があまり感心できるものではなかったことが不純なのだ。それでも音楽を始めるきっかけになったのは間違いない。
中学に入学した頃、背の高さは160cmを超えておりさらに伸び盛りだったこともあり、短絡だが背が高いのだから部活をするならバスケットボール部だろうと思い体育館で汗を流して練習する先輩たちを眺めながら入部することにした。華麗にボールを運びコートの中を跳躍しゴールする自分を想像しながら毎日部活に足を運んだ。が一週間、現実は毎日先輩たちの練習を横目で見ながら掃除と腹筋トレーニングに明け暮れていた。新入生なのだから当然といえば当然だ。それから再び一週間が過ぎたが朝練も放課後や日曜日の部活も腹筋トレーニングが続いた。しかも腹筋が苦しくなってあげている足が床につくと、先輩がそれを見つけてバスケットボールをぶつけてくる。だんだん嫌気がさし始め面白くないと思い始めた。次の日曜の部活は家族と祖母の墓参りに行く予定だったので事前に三年生の先輩に休みを申し込んだがあまりいい顔をされずなんだか強引に休む形になった。休んでみると腹筋の特訓から解放されてスッキリしたが、そのまま部活を続ける気持ちも薄れてしまい翌日先輩に退部を申し出た。退部すると身軽になった気持ちがした。しかし腹筋との戦いに負けたような虚しさも感じていたし、このまま部活をせずに帰宅部になるのは嫌だった。
すでに入学してから三週間が過ぎており、部活をしようとする新入生はだいたいそれぞれの活動の場におさまっている時期だった。やれやれ…、溜息をつきながら帰りがけの通用門を通りかかると、その脇にあった音楽室からブラスバンドの楽器の音が聴こえてきた。いつもなら気にせず通り過ぎるのだが沈んだ気持ちにその音が不意に流れ込んできた。決して上手な演奏ではないけれど楽しそうだった。金管楽器や木管楽器、打楽器などの音がぶつかり合って曲を奏でており、トランペットに魅力を感じてしばらく聴き入った。こんな部活もあるのかと思った。楽器の練習をしていてまさかバスケットボールをぶつけられることもあるまいという負け犬の声も心に聞こえた気がした。
ブラバンに入部しようかどうか一晩考えてみたが、ピカピカした金管楽器に魅力を感じ始めていた。授業が終わりブラバン部員のいる音楽室へと向かった。入部したいと三年生に伝え楽器はトランペットを希望すると話したところ、すでにトランペットの人数はいっぱいで他の楽器も足りていると言われてしまった。仕方がないので入部を諦めようと思っていると、三年生の一人が大太鼓なら空きがあると言ってくれた。それから秋に部活を終える三年生の楽器でユーフォニアムが空くので、大太鼓を担当しながら先輩の練習の合間に吹かせてもらえばいいということになった。結構なことなのでそれに賛同し入部することに決めた。
入部してみると中学のブラバンでは楽器の数や種類も少なく、部員数は22名でシンプルな行進曲くらいしか演奏できなかった。本来、大太鼓の担当と言ってもパーカッション全般の中の一担当のはずだがこの中学校にはティンパニやドラムセット、マリンバなど興味を唆られるような楽器はなかった。それゆえ大太鼓の演奏と役割は、2/2で強弱・中弱を繰り返すマーチの単調な二拍子が主たるもので凝った演奏はないに等しかった。それでも小学校の時に運動会の鼓笛隊でシンバルを担当した経験があったので、単純な演奏には慣れておりシンプルな音を出すパートも必要だし、まあいいやと思った。音楽とはみんなで合奏するものなのだと自分に言い聞かせドン・ズドンと太鼓を叩く日々を重ねた。
腹筋地獄から逃げ出せたのは良かったが、大太鼓見習いの時間が続きなかなかトランペットを手にすることはできなかった。
(つづく)