実生活を架空の国とするのは、 何も実生活を逃避する事を意味しない。 逃避しょうとしても附纏うものが実生活というものだからだ。 例えば実生活中の最大事件たる死というものを人間はいかにしても逃避出来ない事を考えてみればよい。 その意味で死は実生活の象徴である。 若し人間に思想の力がなかったならば、 人間は死を怖れる事すら出来ないのである。 というのは思想は死すら架空事とする力を持っているという証拠である。
「文学者の思想と実生活」 7 - 一三一 小林秀雄 (人生の鍛錬 P.52)
「文学者の思想と実生活」 7 - 一三一 小林秀雄 (人生の鍛錬 P.52)
神経質で、 敏感で、 いつも自分がいい子になりたいと思っている奴は、 時とすると実によく相手の心持ちを見抜くものだ。 然し、 自分に関係のない事柄、 つまり、どっちにしたつて自分はいい子になってられるという場合には、 恐ろしく鈍感になるものだ。
「批評家失格Ⅱ」3-35 小林秀雄 (人生の鍛錬 P.26)
「批評家失格Ⅱ」3-35 小林秀雄 (人生の鍛錬 P.26)