3月17日・・・今日は21回目の結婚記念日です!

平成3年、結婚式の前日はすごい雪が降りまして・・・
この頃から私の 『雨女・雪女』 は本領発揮だったのか。 
のっけから問題勃発でしたね~
まず最初のミスは、結納品と共に頂いたお酒なんだけど・・・・
挙式当日、実家から嫁ぎ先に持っていくお酒だったらしくて。初めて聞く富山弁でさっぱり訳が分からなかったの。
お酒好きの父です・・・結納が済んだその日の夜、さっそく立派な水引を取り外して飲んじゃいました。
父の言い訳・・
「とても綺麗な水引で・・つい孫が取り合いをしまして・・」 (許せよ、双子ちゃん)
式の前日降りしきる雪の中、ず~っとパパさんと豪華な水引を掛けてくれる酒屋を探しまくりました
初々しい花嫁姿ですね・・・

家の数メートル先でタクシーから降ろされました。後は徒歩です
両親と仏壇参り。この時に例のお酒が必要だったみたいです

ボカシてあるけど、父も母も私も若いわ~
披露宴は地元の結婚式場です。主賓は当時パパさんが勤めていた会社の社長なんだけど・・祝辞が長くて
ド~はドーナツのド~
レ~はレモンのレ~
「ギョエー!マズイ!いい加減飽きてきたミー子が唄いだしたぞ~」 
でもね、だんだん自慢話に変更していく社長の挨拶に、来て下さった皆さんも少々うんざりしていたし
「いいぞ!いいぞ!もっと大きな声で唄え!」 心の中でそう叫んだのは花嫁の私です。(双子は当時6歳)
そんなこんなで無事に披露宴は終了です。憧れの横浜 『ホテルニューグランド』 に2泊した後、新婚旅行に出かけました
とても寒かった横浜。パパさんは案の定風邪を引き、飛行機の中でもぐったりしてたんです。
平成3年は湾岸戦争の真っ最中。危険な所には行かないようにとみんなから言われまして・・・・

「最後の楽園・タヒチ」 が旅行先です。

水上コテージがお部屋です。 ベランダの下は魚がいっぱい

なんだか夢のような場所です・・・ウエストポーチが日本人らしい?
不思議な事にタヒチに着いたとたん、パパさんの風邪は治りました。元水泳部のパパさん、ひたすら泳いでいましたね~
ここで、またもや大事件発生です!
パパさんが・・・・パパさんが・・・・
「わあ~!コンタクト落とした~!」 場所は白砂ビーチのど真ん中!
「落ち着け!絶対に動くな!ちょっとでも動いて砂を被ったらもうお終りやで~!分かった?じっとしとってや!」 
上の言葉、叫んだのは私ですよ。 ジリジリと照りつける南国の太陽の下
コンタクトを探す事30分!
「あった~!」
(それ以来、パパさんは私に頭が上がらないようです) 

このビーチでコンタクトの大捜索をしました。
両親の結婚記念日が3月15日!この日は父が亡くなった今でも母に電話で 「おめでとう」 を言います。
母も必ず 「お姉ちゃんも明後日やな~。おめでとう」 と言ってくれます。でも、先日電話した時は・・・・
「ところでお姉ちゃん、もう何回目の記念日?16回目くらい?」 って 
「あのな~私、富山に来てもう21年!21回目の結婚記念日なんやで!」
娘の結婚記念日は覚えていても、何回目だか分からないのは平和に夫婦やっている証拠なのだとか・・・・
もう無いと思っていた3ショット写真、アルバムを見ていたら見つかりました! 

夫婦喧嘩の時、私の味方になりパパさんを鼻で突いていたりんご。21年の内13年間ずっとそばにいました。
映画やドラマのように、三つ指突いて両親に挨拶・・バタバタしすぎて出来ませんでしたね~
私は両親、妹夫婦、ミー子、カー子、そして地元にいるたった1軒の叔母夫婦宛てに手紙を置いて嫁ぎました。
結婚式では泣かなかった父親ですが、式後家に戻りお酒を飲みながらその手紙を読みオンオン泣いたそうです。
「お姉ちゃんから貰った手紙な・・・今でも大事に取ってあるし・・・」
あの恥ずかしい手紙の行方がずっと気になってた私、先日の電話で母は私が聞く前にそう言ったんですよ。
22回目の記念日も、今まで通り普通に・平凡に迎えられますように・・・・
今日も長い記事になりました。最後まで読んで下さってありがとうございます。
「お父さん、お母さん、いつまでも仲良くネ!」 りんごより 
ポチよろしくです!



平成3年、結婚式の前日はすごい雪が降りまして・・・


のっけから問題勃発でしたね~

挙式当日、実家から嫁ぎ先に持っていくお酒だったらしくて。初めて聞く富山弁でさっぱり訳が分からなかったの。

お酒好きの父です・・・結納が済んだその日の夜、さっそく立派な水引を取り外して飲んじゃいました。

父の言い訳・・


式の前日降りしきる雪の中、ず~っとパパさんと豪華な水引を掛けてくれる酒屋を探しまくりました

初々しい花嫁姿ですね・・・

家の数メートル先でタクシーから降ろされました。後は徒歩です
両親と仏壇参り。この時に例のお酒が必要だったみたいです

ボカシてあるけど、父も母も私も若いわ~
披露宴は地元の結婚式場です。主賓は当時パパさんが勤めていた会社の社長なんだけど・・祝辞が長くて






でもね、だんだん自慢話に変更していく社長の挨拶に、来て下さった皆さんも少々うんざりしていたし


そんなこんなで無事に披露宴は終了です。憧れの横浜 『ホテルニューグランド』 に2泊した後、新婚旅行に出かけました

とても寒かった横浜。パパさんは案の定風邪を引き、飛行機の中でもぐったりしてたんです。

平成3年は湾岸戦争の真っ最中。危険な所には行かないようにとみんなから言われまして・・・・


「最後の楽園・タヒチ」 が旅行先です。


水上コテージがお部屋です。 ベランダの下は魚がいっぱい

なんだか夢のような場所です・・・ウエストポーチが日本人らしい?
不思議な事にタヒチに着いたとたん、パパさんの風邪は治りました。元水泳部のパパさん、ひたすら泳いでいましたね~

ここで、またもや大事件発生です!




上の言葉、叫んだのは私ですよ。 ジリジリと照りつける南国の太陽の下





このビーチでコンタクトの大捜索をしました。
両親の結婚記念日が3月15日!この日は父が亡くなった今でも母に電話で 「おめでとう」 を言います。
母も必ず 「お姉ちゃんも明後日やな~。おめでとう」 と言ってくれます。でも、先日電話した時は・・・・



娘の結婚記念日は覚えていても、何回目だか分からないのは平和に夫婦やっている証拠なのだとか・・・・



夫婦喧嘩の時、私の味方になりパパさんを鼻で突いていたりんご。21年の内13年間ずっとそばにいました。

私は両親、妹夫婦、ミー子、カー子、そして地元にいるたった1軒の叔母夫婦宛てに手紙を置いて嫁ぎました。
結婚式では泣かなかった父親ですが、式後家に戻りお酒を飲みながらその手紙を読みオンオン泣いたそうです。
「お姉ちゃんから貰った手紙な・・・今でも大事に取ってあるし・・・」
あの恥ずかしい手紙の行方がずっと気になってた私、先日の電話で母は私が聞く前にそう言ったんですよ。
22回目の記念日も、今まで通り普通に・平凡に迎えられますように・・・・
今日も長い記事になりました。最後まで読んで下さってありがとうございます。



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