「図説 大原騒動」を親戚の方から頂きました。24年前の平成4年発行です。
大原騒動とは高山陣屋の代官(後の郡代)大原彦四郎と亀五郎父子の時に前後18年間に起きた、明和騒動、安永騒動、天明騒動をまとめて大原騒動と言います。
この騒動は、江戸幕府の失政と老中 田沼意次の賄賂政治に端を発していると思われます。
明和、安永の騒動は農民側の敗北に終わっていますが、天明騒動は農民側の勝利で終わっています。
天明騒動の時は農民も過去2回の失敗を反省しての行動だったのと、老中が松平定信に代わっていたのが大きく勝利に影響したと思います。
詳細については「図説 大原騒動」を読んで頂くとして、この時代にテレビドラマに出て来るような悪代官や悪徳商人が実在したことには驚きです。
明和騒動での傘連判状、発起人が誰で有るか解らないように円を描くように署名してある。
下の写真は、飛騨一宮水無神社(ひだいちのみや みなしじんじゃ) 高山市一之宮町
今回初めて訪れた。
安永騒動の時に神社境内は農民集会の中心地となった。
これを恐れた大原代官は郡上青山藩に出兵を要請し農民に武力行使を行った。
発行時の帯
帯の記述抜粋
飛騨を揺らがせた百姓一揆の真相は!?
今なお語りつがれる犠牲者たちの悲話!!
資料を発掘し、伝承を探って、全国屈指の騒動に迫る!!
大原騒動とは大原彦四郎紹正(つぐまさ)・亀五郎正純(まさずみ)の父子二代の代官・郡代の時に起こった騒動をいいます。
前後3回の騒動で農民側には39名の尊い命が消え、島流し・追放・お叱りなどを含めると1万人以上が刑を受けました。
大原騒動とは高山陣屋の代官(後の郡代)大原彦四郎と亀五郎父子の時に前後18年間に起きた、明和騒動、安永騒動、天明騒動をまとめて大原騒動と言います。
この騒動は、江戸幕府の失政と老中 田沼意次の賄賂政治に端を発していると思われます。
明和、安永の騒動は農民側の敗北に終わっていますが、天明騒動は農民側の勝利で終わっています。
天明騒動の時は農民も過去2回の失敗を反省しての行動だったのと、老中が松平定信に代わっていたのが大きく勝利に影響したと思います。
詳細については「図説 大原騒動」を読んで頂くとして、この時代にテレビドラマに出て来るような悪代官や悪徳商人が実在したことには驚きです。
明和騒動での傘連判状、発起人が誰で有るか解らないように円を描くように署名してある。
下の写真は、飛騨一宮水無神社(ひだいちのみや みなしじんじゃ) 高山市一之宮町
今回初めて訪れた。
安永騒動の時に神社境内は農民集会の中心地となった。
これを恐れた大原代官は郡上青山藩に出兵を要請し農民に武力行使を行った。
発行時の帯
帯の記述抜粋
飛騨を揺らがせた百姓一揆の真相は!?
今なお語りつがれる犠牲者たちの悲話!!
資料を発掘し、伝承を探って、全国屈指の騒動に迫る!!
大原騒動とは大原彦四郎紹正(つぐまさ)・亀五郎正純(まさずみ)の父子二代の代官・郡代の時に起こった騒動をいいます。
前後3回の騒動で農民側には39名の尊い命が消え、島流し・追放・お叱りなどを含めると1万人以上が刑を受けました。