... といっても、Macintosh と Windows のお話ではなく。
イラクで人質となった日本人三人の方々が 「PTSD」 (Post-Traumatic Stress Disorder. 「心的外傷後ストレス障害」) の状態となってしまわれた可能性が高いとのことで、気になっていた。
PTSD について書ける時間を探していて、やや時期を逸してしまった感もあるが、書きのこしておきたい。
なお、以下は、PTSD ということばから触発されて書いたもので、人質となってしまわれた方々について言及するものではない。
数年前であるが。 一緒に暮らしていた人は、とてもやさしい人だった。 とてもこころのあたたかい人で、そのあたたかさに、何度助けられたかわからない。
ふりかえってみると、あのあたたかさは、彼の孤独感、孤立感からくる「さみしさ」の裏返しだったのだろうか、と思うことがある。
とてもやさしくて おだやかな人なのに、とつぜん電話がかかってきて、「どうしても会いたい」 「来てもらえないと、死にそうになる」 と懇願され、私はただただ困惑しながら、わけもわからず彼の元に駆けつけるのだが、ただそばに人がいるだけで気がやすらぐのか、駆けつけてみると、なんということはない、ということがあった。
おたがいにシステム開発の仕事に携わっていたため、なかなか一緒に過ごせる時間が作れないので、では いっしょに住むことにしよう、ということで、私たちはふたりのお気に入りの地域に、ある部屋を借りた。 これからはいつも一緒にいられるのだ、と、新しい生活にむねをふくらませたのだが、その夢は、引越してきた翌日にゆらぐことになった。
その日、引越しの作業でつかれていた私は、彼の 「もとめ」 を、ついそっけなく拒んでしまった。 すると彼は、とつぜん激情し、「なぜだめなんだ ! 」と部屋を飛び出し、追いかけようとする私を突き飛ばして、「いっしょに住まなきゃ良かった」と言い捨てて、夜の街へ消えてしまった。
それまでにも何度かひどく怒ることはあったのだが、そこまで激怒するのは初めてだったので、とても驚いたのだが、それよりも、突き飛ばされたことに私は恐怖した。 あやうく、すぐそばにあったテーブルの角に頭をぶつけるところだったかもしれないからである。 もし数センチずれていて、打ちどころが悪かったら、どうなっていただろう、と思うと、戦慄が走る。
結局、彼は数時間後に戻ってきたので、私は他になすすべもなく泣きながらあやまった。すると、「おれのほうこそ、ごめんね」 と、数時間前の怒りがうそであるかのように、逆にしおらしくあやまられてしまった。 そうして、とりあえず「仲直り」ということになった。
そんなふうに出鼻をくじかれながらも、日々はおだやかに過ぎていくのだが、何ヶ月に一回か、なぜそこまで、というくらい激怒されることがあった。
私は、それまでのじぶんの生活のスタイルそのままでいるだけなのであったが、じぶんの理解できない行動をとられることに怒りを感じるようで、その思いのたけをまともにぶつけられたのだ。
彼が怒る原因もわからないこともなかったのだが、おのおのの考え方の違いやちょっとしたすれ違いからくるものなので、落ち着いて話し合うべきではないか? と告げても、「じぶんの考え方が正しくて、おまえが間違ってる」 「人としておかしい」 「狂ってる」 「キチガイだ」 などと罵詈雑言を浴びせられ、私は、ただ呆然となってしまうばかりだった。
ふだんはとてもやさしい人なのに ... なぜ、激怒するとこんなふうになってしまうのだろう? と思うと、気がとおくなるような思いがした。 しかし、そのことよりも、後になって「こんなことを言われた」 「ひどい怒りようだった」と言っても、彼がそれをおぼえていないということに、ことばでは言い尽くせぬ困惑、恐怖を感じた。
そんな日々を過ごし、こころが日に日に萎縮していくようで、一緒に暮らしていくことに疑問を感じていたとき、とあるきっかけで、私は、彼とは別々の道を歩もうと決意し、別れを告げることにした。
... その直後からの数ヶ月間は、まるで地獄のような日々だった。
彼が言ったことば、「ぶっ殺してやる ! 」 は、いまもむねに突き刺さっている。
夜、部屋の外から物音が聞こえてくるだけで、とてもこわくなる。 むろん、彼がほんとうに「ぶっ殺す」なんてことをする人だとは思っていない。 勢いあまってつい言ってしまっただけだろうと思う。 けれども、頭ではわかっているのに、どうしても、こわくなってしまう ! まさか、彼は、私がいまだにそのひとことに恐怖をおぼえているなどとは、夢にも思っていないであろう。
何年か経つのに、いまでも思い出す。
彼が、目の前にあったりんごを手でぐしゃっと潰したことを。 ああ、次は私がぐしゃりと潰されるのか、と恐怖したこと。
彼が、窓ガラスを叩き割ったこと。 そして、手を傷めたために流した血の色。 ああ、次は私が血を流すことになるのかと、ふるえおののいたこと。
といっても、結局、彼から直接手を出されたのは、前述の、引越してきて二日目に突き飛ばされたときだけであり、彼がそんな人ではないということは充分わかっている。 わかっているのに ... 。 だって、どんなことがあっても、ぜったいに、力ではかないっこないのだ。 もし、その拳がじぶんへと向けられたら ... と、あのときに恐怖にふるえた感覚が、いまだにしこりとなって、むねにのこっているかのようだ。
その後、私は、りんごが食べられなくなった。 部屋の窓は、ずっとカーテンを閉めたままである。
もちろん、りんごを目前にしても平気なときもある。 同じように窓を見ても。 しかし、ふとしたきっかけで、記憶が鮮明によみがえり(フラッシュバック現象)、頭のなかで「なにか」がはじけるような衝撃がはしり、心臓のどきどきが止まらなくなり、人目もはばからずおいおい泣き出したくなることがある。
ある日、なにげなく見ていた web で、「PTSD」ということばを知り、調べてみると、
「外傷的体験とは、人の対処能力を超えた圧倒的な体験で、その人の心に強い衝撃を与え、その心の働きに永続的、不可逆的な変化を起こすような体験を意味します。そのような圧倒的な衝撃は、普通の記憶とは違って、単に心理的影響を残すだけではなく、脳に「外傷記憶」を形成し、脳の生理学的な変化を引きおこすことが近年の研究で明らかにされています。」
(『赤城高原ホスピタル』 内 「PTSD:心的外傷後ストレス障害」 より)
とあり、PTSD ということばを聞くだけでも、むねがちくりとするようになった。
むろん、「心的外傷後ストレス障害」というには、もっとふかい傷を負っている人がいるだけに はばかれてしまうが、なにもそれは、直接身体に危害を加えられることだけで負うものではない、ということをわかっていただきたかった。 ことばによる暴力をはじめ、目の前でものを破壊するという行為もりっぱな暴力となりえるのだ、ということを。
男性にとっては、ちょっとしたたわむれであったり、つい勢いあまって、とか、ほんの少しの力しか出していないつもりであっても、その力を見せつけること、なにげない言動が、女性にとっては脅威となりえることがあるのだ、ということを。
しかし。 彼のことは いまでも好きである。 彼がとつぜん激昂してしまう理由、また、彼も彼なりに苦しんでいたのだ、ということを後になってから知って、なぜ、彼のことをわかってあげられなかったのか? と後悔した。 じぶんが傷ついただの、じぶんが不快だ、などと、じぶんのことしか考えられず、彼の力になってあげられなかったことを思うと、いまだにむねが痛む。
いまでも、やさしかった彼の笑顔を思い出すだけで、なみだが出てくる。 そして、その数分後には、潰されたりんごが、眼前にちらつく。 そして、また笑顔がうかぶ。 ... そうして、なつかしさと恐怖とが、無限ループのように、頭のなかを回転していくのだ ... 。
彼に関して、私は、正反対の二つの傷を保有している。
彼を 「見捨てしまった」 という自責の念と後悔。 そして、彼からそのときに与えられた恐怖と衝撃とが、不可逆的な傷となって、いまものこっている。
どちらかでも、いつか、風に吹かれるように、やがて癒えていけばいいのだが ― 。
そして、同じように傷を受けたであろう彼が、その痛みを乗り越えて、しあわせに暮らしていることを、願ってやまない。
BGM:
Bob Dylan “The Freewheelin' Bob Dylan”
(‘Blowin' in the Wind’ 収録)
(revised 13 May, 2004) (CD ジャケット画像削除)
イラクで人質となった日本人三人の方々が 「PTSD」 (Post-Traumatic Stress Disorder. 「心的外傷後ストレス障害」) の状態となってしまわれた可能性が高いとのことで、気になっていた。
PTSD について書ける時間を探していて、やや時期を逸してしまった感もあるが、書きのこしておきたい。
なお、以下は、PTSD ということばから触発されて書いたもので、人質となってしまわれた方々について言及するものではない。
数年前であるが。 一緒に暮らしていた人は、とてもやさしい人だった。 とてもこころのあたたかい人で、そのあたたかさに、何度助けられたかわからない。
ふりかえってみると、あのあたたかさは、彼の孤独感、孤立感からくる「さみしさ」の裏返しだったのだろうか、と思うことがある。
とてもやさしくて おだやかな人なのに、とつぜん電話がかかってきて、「どうしても会いたい」 「来てもらえないと、死にそうになる」 と懇願され、私はただただ困惑しながら、わけもわからず彼の元に駆けつけるのだが、ただそばに人がいるだけで気がやすらぐのか、駆けつけてみると、なんということはない、ということがあった。
おたがいにシステム開発の仕事に携わっていたため、なかなか一緒に過ごせる時間が作れないので、では いっしょに住むことにしよう、ということで、私たちはふたりのお気に入りの地域に、ある部屋を借りた。 これからはいつも一緒にいられるのだ、と、新しい生活にむねをふくらませたのだが、その夢は、引越してきた翌日にゆらぐことになった。
その日、引越しの作業でつかれていた私は、彼の 「もとめ」 を、ついそっけなく拒んでしまった。 すると彼は、とつぜん激情し、「なぜだめなんだ ! 」と部屋を飛び出し、追いかけようとする私を突き飛ばして、「いっしょに住まなきゃ良かった」と言い捨てて、夜の街へ消えてしまった。
それまでにも何度かひどく怒ることはあったのだが、そこまで激怒するのは初めてだったので、とても驚いたのだが、それよりも、突き飛ばされたことに私は恐怖した。 あやうく、すぐそばにあったテーブルの角に頭をぶつけるところだったかもしれないからである。 もし数センチずれていて、打ちどころが悪かったら、どうなっていただろう、と思うと、戦慄が走る。
結局、彼は数時間後に戻ってきたので、私は他になすすべもなく泣きながらあやまった。すると、「おれのほうこそ、ごめんね」 と、数時間前の怒りがうそであるかのように、逆にしおらしくあやまられてしまった。 そうして、とりあえず「仲直り」ということになった。
そんなふうに出鼻をくじかれながらも、日々はおだやかに過ぎていくのだが、何ヶ月に一回か、なぜそこまで、というくらい激怒されることがあった。
私は、それまでのじぶんの生活のスタイルそのままでいるだけなのであったが、じぶんの理解できない行動をとられることに怒りを感じるようで、その思いのたけをまともにぶつけられたのだ。
彼が怒る原因もわからないこともなかったのだが、おのおのの考え方の違いやちょっとしたすれ違いからくるものなので、落ち着いて話し合うべきではないか? と告げても、「じぶんの考え方が正しくて、おまえが間違ってる」 「人としておかしい」 「狂ってる」 「キチガイだ」 などと罵詈雑言を浴びせられ、私は、ただ呆然となってしまうばかりだった。
ふだんはとてもやさしい人なのに ... なぜ、激怒するとこんなふうになってしまうのだろう? と思うと、気がとおくなるような思いがした。 しかし、そのことよりも、後になって「こんなことを言われた」 「ひどい怒りようだった」と言っても、彼がそれをおぼえていないということに、ことばでは言い尽くせぬ困惑、恐怖を感じた。
そんな日々を過ごし、こころが日に日に萎縮していくようで、一緒に暮らしていくことに疑問を感じていたとき、とあるきっかけで、私は、彼とは別々の道を歩もうと決意し、別れを告げることにした。
... その直後からの数ヶ月間は、まるで地獄のような日々だった。
彼が言ったことば、「ぶっ殺してやる ! 」 は、いまもむねに突き刺さっている。
夜、部屋の外から物音が聞こえてくるだけで、とてもこわくなる。 むろん、彼がほんとうに「ぶっ殺す」なんてことをする人だとは思っていない。 勢いあまってつい言ってしまっただけだろうと思う。 けれども、頭ではわかっているのに、どうしても、こわくなってしまう ! まさか、彼は、私がいまだにそのひとことに恐怖をおぼえているなどとは、夢にも思っていないであろう。
何年か経つのに、いまでも思い出す。
彼が、目の前にあったりんごを手でぐしゃっと潰したことを。 ああ、次は私がぐしゃりと潰されるのか、と恐怖したこと。
彼が、窓ガラスを叩き割ったこと。 そして、手を傷めたために流した血の色。 ああ、次は私が血を流すことになるのかと、ふるえおののいたこと。
といっても、結局、彼から直接手を出されたのは、前述の、引越してきて二日目に突き飛ばされたときだけであり、彼がそんな人ではないということは充分わかっている。 わかっているのに ... 。 だって、どんなことがあっても、ぜったいに、力ではかないっこないのだ。 もし、その拳がじぶんへと向けられたら ... と、あのときに恐怖にふるえた感覚が、いまだにしこりとなって、むねにのこっているかのようだ。
その後、私は、りんごが食べられなくなった。 部屋の窓は、ずっとカーテンを閉めたままである。
もちろん、りんごを目前にしても平気なときもある。 同じように窓を見ても。 しかし、ふとしたきっかけで、記憶が鮮明によみがえり(フラッシュバック現象)、頭のなかで「なにか」がはじけるような衝撃がはしり、心臓のどきどきが止まらなくなり、人目もはばからずおいおい泣き出したくなることがある。
ある日、なにげなく見ていた web で、「PTSD」ということばを知り、調べてみると、
「外傷的体験とは、人の対処能力を超えた圧倒的な体験で、その人の心に強い衝撃を与え、その心の働きに永続的、不可逆的な変化を起こすような体験を意味します。そのような圧倒的な衝撃は、普通の記憶とは違って、単に心理的影響を残すだけではなく、脳に「外傷記憶」を形成し、脳の生理学的な変化を引きおこすことが近年の研究で明らかにされています。」
(『赤城高原ホスピタル』 内 「PTSD:心的外傷後ストレス障害」 より)
とあり、PTSD ということばを聞くだけでも、むねがちくりとするようになった。
むろん、「心的外傷後ストレス障害」というには、もっとふかい傷を負っている人がいるだけに はばかれてしまうが、なにもそれは、直接身体に危害を加えられることだけで負うものではない、ということをわかっていただきたかった。 ことばによる暴力をはじめ、目の前でものを破壊するという行為もりっぱな暴力となりえるのだ、ということを。
男性にとっては、ちょっとしたたわむれであったり、つい勢いあまって、とか、ほんの少しの力しか出していないつもりであっても、その力を見せつけること、なにげない言動が、女性にとっては脅威となりえることがあるのだ、ということを。
しかし。 彼のことは いまでも好きである。 彼がとつぜん激昂してしまう理由、また、彼も彼なりに苦しんでいたのだ、ということを後になってから知って、なぜ、彼のことをわかってあげられなかったのか? と後悔した。 じぶんが傷ついただの、じぶんが不快だ、などと、じぶんのことしか考えられず、彼の力になってあげられなかったことを思うと、いまだにむねが痛む。
いまでも、やさしかった彼の笑顔を思い出すだけで、なみだが出てくる。 そして、その数分後には、潰されたりんごが、眼前にちらつく。 そして、また笑顔がうかぶ。 ... そうして、なつかしさと恐怖とが、無限ループのように、頭のなかを回転していくのだ ... 。
彼に関して、私は、正反対の二つの傷を保有している。
彼を 「見捨てしまった」 という自責の念と後悔。 そして、彼からそのときに与えられた恐怖と衝撃とが、不可逆的な傷となって、いまものこっている。
どちらかでも、いつか、風に吹かれるように、やがて癒えていけばいいのだが ― 。
そして、同じように傷を受けたであろう彼が、その痛みを乗り越えて、しあわせに暮らしていることを、願ってやまない。
BGM:
Bob Dylan “The Freewheelin' Bob Dylan”
(‘Blowin' in the Wind’ 収録)
(revised 13 May, 2004) (CD ジャケット画像削除)