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荒れる恋人たち / 五月の嵐

2004年05月13日 23時41分18秒 | 想在
 いま、ここ、東京では、雨まじりのなまぬるい風が吹き荒れている。



 きょう、五月十三日は、「メイストームデー(五月の嵐の日)」 だそうである。


 「「バレンタインデー」から88日目、「八十八夜の別れ霜」ということで、別れ話を切り出すのに最適とされる日。」


 とか。



 こんな嵐のよるに、いったい、どこで、どんな恋人たちが、荒れているのだろうか ... ?

 なんて。 じつは、わたしたちのことだったりしてね .....
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お詫び。

2004年05月13日 17時08分45秒 | goo ブログ / blog
 一週間ほど前に書いたように、blog 上での音楽作品ジャケットの無断転用について問い合わせ中ですが、いまだ回答が得られぬ状態です。

 では、回答が得られないのなら、そのままでいいのか? ... というと、そういうわけでもなく。

 じっさいのところ、私も、「OK」 という回答が得られるなどとは思っていないのです。 ただ、なんというのでしょうか。 人に指摘されて、「はい、わかりました」 と問題となっている画像を取り下げれば、それで済むのか? という気がしてなりませんでした。 すこし、じぶんのアタマで考える時間がほしかった ― そう、たんなる時間稼ぎでした。(すみません)

 また、もしかしたら、「その使用の仕方は違法だが、これこれこのようにすれば大丈夫である」 ... などというプロの立場からの意見をついでに教えていただけたら、棚からボタモチ? あるいは怪我の功名? ではないかと考えておりましたが。

 じぶんなりの結論が出たので、回答を待たずに、さっそく行動に移したいと思います。



  • 本サイト内で使用されている違法となりえるであろう すべての画像の取り外し。
  • 記事との関連性があると思われるものに関しては、参照ページへのリンクの設置。
  • 改定日の記載。




 以上を本日中に行いたいと思います。

 この件に関して、関係者の皆さま、閲覧してくださった方々に、こころよりお詫び申し上げます。



 これからも、じぶんのペースで記事の更新をつづけていきたいと思っておりますが、このような無法者のことばなど、どなたのこころにも響かないのかもしれません。 今後は失った信頼 (そんなものあったのか?!) の回復にために努力を惜しまぬ所存でおります。

 また、ばかな女もいるものだ、と笑い話の種にでもしていただければ、もっけの幸いでございます。



 さいごに。 いままで閲覧してくださり、ありがとうございました。 またコメント、trackback をお寄せくださった皆さまにも感謝いたします。

 どうもありがとうございました。

 それでは。 新たなページで、またお会いできましたら、幸いです。



拝白  沼袋 雲雀

コメント (3)
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勝訴ストリップ

2004年05月13日 03時22分19秒 | goo ブログ / blog
 椎名 林檎という歌手。 私はファンではないのだが。 (ファンの方、すみません)

 きらいでもないし、好きでもない。 じぶんのなかでは、微妙な位置づけである。

 『勝訴ストリップ』 と題された二枚目のアルバムが発売されたとき、友人が購入したので、聴かせてもらったことがある。

 (私は、ここ何年もテレビを観ない/ラジオを聴かない生活をしているので、彼女の歌を聴くのは初めてだった)

 うん。 歌い方にちょっと気になるところがあるが、曲はいいと思った。 歌詞も、いくつかむねに響くものがあった。 ふぅ~ん。 こんな人がいるのか。 と、私のなかで、その名まえが、ほんの少し特別なものになった。

 それでも、とくに追いかけるわけでもなく、とくに無視するわけでもなく、ぼんやりと聞こえてくる情報を汲み取っていくことにより、またまく間に若者の 「カリスマ」 (ふるい表現だなあ ... ) となり、結婚・出産などを経て、一気に駆け抜けていった人、という印象をもっている。



 彼女に関して、思い出されるのは、知人の男性が、「おれ、シーナ・リンゴ、キライ」 と言ったときのこと。 なぜ? とたずねたら、「ビッチふうなところがヤダ」 とのこと。 ふぅ~む。

 そりゃあ、アナタは、田中 麗奈が好きなんだものね、で片づけてしまったけれど、今にして思うと、じつは重要なひとことだったのではないか、という気がする。

 椎名 林檎が好きか、きらいか。 それは、彼女の dark / dirty なイメージに、共感/憧憬をいだくか、嫌悪感/痛々しさをおぼえるか、ということが大きく関わっているのではないか、と。

 そして、椎名さん自身 (あるいは彼女のマネージメント担当者) も、それを充分わかっていて、「イメージ戦略」 として最大限にそれをに利用したのではないか? と、そんなふうに私は考えているのだが。 それとも、まったくの 「素」 であろうか?

 いずれにしても、彼女の偉大さは、そういった 「イメージ」 を受け入れにくい日本のメディア上でメジャーになったことだろうか? これまで日本で、とくに女性に関しては、そういった dark / dirty なものは、どんなにすばらしいものであっても、あくまでもアンダーグラウンドの座を強いられ、せいぜい 「カルト」 的人気が関の山だったように思えるが、椎名さんは、それを一気にメジャーなものへと押し上げてしまったのではないかという気がする。 そして、その点は評価すべきものだと思っているのだが。 (なんか、えらそうだ ... すいません。 浅川マキさんや小野洋子さんなど、ちらりと頭をかすめる人もいるのだが、それについては、またおいおい ... )



 さて。 この blog (のようなもの) 執筆者であるが。

 けっして、太陽のような陽気さ、そこぬけの明るさを持つわけではない。 clean でも clear でもない。 むしろ、どちらかというと dark / dirty であろうか。 (じぶんで言うのもなんだが)

 おまけに チョサクケン・シンガイシャ である。

 せっかくだから、ここで開き直って、そうさ、あたいはヨゴレさ、などと言ってみせ、ヨゴレを 「売り」 にしていけば、椎名さんの域まではいかなくても (あたりまえだ)、それなりの共感を得られるのだろうか?

 あるいは、反対に、「ワタシ、なにも知らなかったんですぅ~(ウルウル)」 と女の涙戦法にでも訴えでて、同情を買ったほうが良かったのだろうか。

 はたまた、逆ギレ、目には目を歯には歯を、トンズラ、ジサクジエン、 ... etc. あらゆる作戦が考えられるか。

 しかし、どんな 「作戦」 をとってみたところで、「闘う」 ということは、傷つきもし、精神をすり減らすものではないか ... ? 生半可な決意でできるものではない。 場合によっては、二度と立ち上がれないほどの損傷を受けることだって。

 そもそも、まず、じぶんを表現するということ、それ自体が、いばらの道を歩くようなものではないか、という気もする。 自己表現することで、なにかを得ようとしたら、それこそ傷だらけになる覚悟が。

 ちょっとでも下手なことを書いたり、書き方が甘かったりすれば、すぐさま四方八方から矢が飛んできて、めためたになることだって。 それをはねかえす、あるいはものともしない信念がなければ、つづけてなどいけない。

 ならば、下手な小細工はやめて、じぶんの思ったまま、素のままで、立ち向かっていったほうが、じぶんが楽であろう。 ― これからは、正々堂々と行きたい。



 さあ。 私が、「勝訴ストリップ」 することは、ほぼありえないが、このページがどうなるのか? ― それは、だれにもわからない。





 BGM:
 Fiona Apple “When the Pawn ... ”
 リンゴ つながりで。
 国内盤ボーナストラックとして収められていた、‘Across the Universe’ のカバーを思い浮かべながら ... 。


  Nothing's gonna change my world
  Nothing's gonna change my world ...

  (Lennon-McCartney)


 と、なんの迷いもなく言い切れたならば、人は、なにをもおそれなくなるのだろうか ... ?
コメント (3)
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