椎名 林檎という歌手。 私はファンではないのだが。 (ファンの方、すみません)
きらいでもないし、好きでもない。 じぶんのなかでは、微妙な位置づけである。
『勝訴ストリップ』 と題された二枚目のアルバムが発売されたとき、友人が購入したので、聴かせてもらったことがある。
(私は、ここ何年もテレビを観ない/ラジオを聴かない生活をしているので、彼女の歌を聴くのは初めてだった)
うん。 歌い方にちょっと気になるところがあるが、曲はいいと思った。 歌詞も、いくつかむねに響くものがあった。 ふぅ~ん。 こんな人がいるのか。 と、私のなかで、その名まえが、ほんの少し特別なものになった。
それでも、とくに追いかけるわけでもなく、とくに無視するわけでもなく、ぼんやりと聞こえてくる情報を汲み取っていくことにより、またまく間に若者の 「カリスマ」 (ふるい表現だなあ ... ) となり、結婚・出産などを経て、一気に駆け抜けていった人、という印象をもっている。
彼女に関して、思い出されるのは、知人の男性が、「おれ、シーナ・リンゴ、キライ」 と言ったときのこと。 なぜ? とたずねたら、「ビッチふうなところがヤダ」 とのこと。 ふぅ~む。
そりゃあ、アナタは、
田中 麗奈が好きなんだものね、で片づけてしまったけれど、今にして思うと、じつは重要なひとことだったのではないか、という気がする。
椎名 林檎が好きか、きらいか。 それは、彼女の dark / dirty なイメージに、共感/憧憬をいだくか、嫌悪感/痛々しさをおぼえるか、ということが大きく関わっているのではないか、と。
そして、椎名さん自身 (あるいは彼女のマネージメント担当者) も、それを充分わかっていて、「イメージ戦略」 として最大限にそれをに利用したのではないか? と、そんなふうに私は考えているのだが。 それとも、まったくの 「素」 であろうか?
いずれにしても、彼女の偉大さは、そういった 「イメージ」 を受け入れにくい日本のメディア上でメジャーになったことだろうか? これまで日本で、とくに女性に関しては、そういった dark / dirty なものは、どんなにすばらしいものであっても、あくまでもアンダーグラウンドの座を強いられ、せいぜい 「カルト」 的人気が関の山だったように思えるが、椎名さんは、それを一気にメジャーなものへと押し上げてしまったのではないかという気がする。 そして、その点は評価すべきものだと思っているのだが。 (なんか、えらそうだ ... すいません。 浅川マキさんや小野洋子さんなど、ちらりと頭をかすめる人もいるのだが、それについては、またおいおい ... )
さて。 この blog (のようなもの) 執筆者であるが。
けっして、太陽のような陽気さ、そこぬけの明るさを持つわけではない。 clean でも clear でもない。 むしろ、どちらかというと dark / dirty であろうか。 (じぶんで言うのもなんだが)
おまけに
チョサクケン・シンガイシャ である。
せっかくだから、ここで開き直って、そうさ、あたいはヨゴレさ、などと言ってみせ、ヨゴレを 「売り」 にしていけば、椎名さんの域まではいかなくても (あたりまえだ)、それなりの共感を得られるのだろうか?
あるいは、反対に、「ワタシ、なにも知らなかったんですぅ~(ウルウル)」 と女の涙戦法にでも訴えでて、同情を買ったほうが良かったのだろうか。
はたまた、逆ギレ、目には目を歯には歯を、トンズラ、ジサクジエン、 ... etc. あらゆる作戦が考えられるか。
しかし、どんな 「作戦」 をとってみたところで、「闘う」 ということは、傷つきもし、精神をすり減らすものではないか ... ? 生半可な決意でできるものではない。 場合によっては、二度と立ち上がれないほどの損傷を受けることだって。
そもそも、まず、じぶんを表現するということ、それ自体が、いばらの道を歩くようなものではないか、という気もする。 自己表現することで、なにかを得ようとしたら、それこそ傷だらけになる覚悟が。
ちょっとでも下手なことを書いたり、書き方が甘かったりすれば、すぐさま四方八方から矢が飛んできて、めためたになることだって。 それをはねかえす、あるいはものともしない信念がなければ、つづけてなどいけない。
ならば、下手な小細工はやめて、じぶんの思ったまま、素のままで、立ち向かっていったほうが、じぶんが楽であろう。 ― これからは、正々堂々と行きたい。
さあ。 私が、「勝訴ストリップ」 することは、ほぼありえないが、このページがどうなるのか? ― それは、だれにもわからない。
BGM:
Fiona Apple
“When the Pawn ... ”
リンゴ つながりで。
国内盤ボーナストラックとして収められていた、‘Across the Universe’ のカバーを思い浮かべながら ... 。
Nothing's gonna change my world
Nothing's gonna change my world ...
(Lennon-McCartney)
と、なんの迷いもなく言い切れたならば、人は、なにをもおそれなくなるのだろうか ... ?