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世界禁煙デーに想う。

2004年05月31日 23時31分49秒 | about him
 今日、五月三十一日は、『世界禁煙デー』 である。

 ただでさえ肩身の狭い思いをされているであろう喫煙者の方々を、ここぞとばかりに、さらにいじめるつもりはない。

 ない。

 ない、けど。

 今日、会社の喫煙所のまえを通ったら ...

 ―― 喫煙所とは名ばかりで、ビルの出入り口付近に灰皿が置いてあるだけである。 夏暑く、冬寒い。 雨ニモマケズ、風ニモマケズ、憩いのひとときをもとめて集う場所 ...

 今日という日をはかってか、はからずか、灰皿の周りを囲むように大きな植木が設置されていた。

 おそらく、煙りがひろがらないように、その植木に囲まれた中だけで吸うように、ということなのだろうか、と考えてしまった。

 うむゅむゅ。 それはちょっとひどいのでは ... とも思ったが、世界の流れとして、仕方がないのであろうか ... ?



 ところで、わたしの友人 (というか彼) も、たばこを吸うのだけど。

 あまり身体が丈夫ではない、と思われるため、それとなく禁煙するように言ったことがあるのだけど。

 なんとなく、お酒を呑まない彼から、たばこを取り上げるのは、かわいそうな気がしてしまう。

 彼は、いまではすっかり○○○もやめ、○遊びもせず、ギター一本の弾き語りに打ち込んでいる。

 死んでしまったバンド仲間の歌を、うたいつづけているのである。



 詩を引用したいのだが、作者に了承を得ることができないので、私のことばに置き換えてあらわそう ...



お医者さんよ、毒を、くれないか?
痛くてしょうがないんだ
いいや だれもせいでもない
おれ自身のせい
お医者さん、毒を、くれないか?
痛くてしょうがないんだ
この痛みのひどさ、だれにもわからないさ



 彼のこころにも、痛みがあるのだろう。 友だちを死なせてしまったことに対する自責の痛みが ... 。

 彼の友たちは、非常に孤独な、むごくかなしい死をむかえた、と聞いた。

 けっしてわすれることのできないような無惨な最期を。

 そんなつらいできごとを、あえて乗り越えていこうとせず、毒に毒を塗りかさねるかのように、たばこの煙りにまみれたライヴハウスで、声をしぼりだして、この歌をうたいつづけている。

 自身も吸っているたばこのために、声ががらがらになりながら ... 。

 こころからの悲痛なさけびのようで、聴いていると、むねがせつなくなる。

 まるで、天国にいる友だちに、ごめんな、ごめんな、と、あやまりながらうたっているようで ... 。

 きっと、彼は、ギターが弾けなくなるまでうたいつづけるのだと思う。

 そんな彼から、たばこは毒だから、と奪いとることが、はたして私にできるのであろうか ... ?



 BGM:
 The Platters ‘Smoke Gets in Your Eyes’
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ロックロック、こんにちは。

2004年05月31日 22時16分58秒 | 音楽
 はじまりは / I Want to Tell You

 wordblow さんの blog 『◆書く/読む/喋る/考える◆』 の記事、「はにゃんとの対話(3)/勉強」 からお送りいただいた 一件の trackback。


 たとえば、おれはロックが好きだ。ロックといえば、必ずビートルスがでてくる。古典だ、名曲だ、革命を起こしたんだってね。そうか、そうなのか? じゃって、ビートルスを聴いて勉強しようとする。ところがだ、好きになれない。ぜんぜんダメなんだ。どこが古典で名曲で革命的だといって祭り上げられているのか、まったくわからない。


 という意見に対して、見解をお求めになられた、と認識したのですが ... 。

 なぜ、ワタシに?! ― 私など、ただロックが好きで聴いていて、思い高じて勝手にいろいろ引用しているだけで、音楽的なことなどさっぱりわかっていないのに ... 、しかも The Beatles ?! と、一瞬、おそれおののきましたが、せっかくのありがたき光栄なので、思いきって、書いてみることにしました。

 ここで逃げちゃあ、女がすたります ... ?!





 生活に根づいているのか / Do You Want to Know a Secret

 十年近くまえの話だが、たまたまアメリカやイギリスの番組を観られる環境にいたことがあった。 そのころ、たとえば、映画かなにかの授賞式だとか、バラエティ番組などを見ると。

 たまに、司会者が、 「いま、ちょうど、John と Yoko が出会ったような感じだ」 とか 「いま、ちょうど、“Abbey Road” の B 面に入ったくらいだ」 などと言っている場面に出くわすことがあった。 番組の盛り上がり具合やら進行具合を、The Beatles (および John Lennon) になぞらえているようなのだが、その当時は意味がよくわからなかった。 観客がそのジョークというのかユーモアというのかにウケて、笑い声を発しているのだが、いったいなにがおかしいのだろう、と、いぶかしくさえ思ったものだった。

 ただ、音楽番組でもないのに、そういったコメントが出てくるというのは、それだけ The Beatles がいまだに愛されていることなのだろう、という漠然とした思いをいだいた。 The Beatles が、いまだに日常生活のなかに生きているのであろう、と。

 そして、The Beatles だけでなく、きっと、ロックという音楽そのものが、生活に根ざしているのだろう、と想像した。



 映画など / The Word

 サウンドトラックが話題になった、Sean Penn 主演の 『I am Sam』 は、全編が The Beatles の曲 (権利の問題があるのか、すべて他のアーチストによるカバーであるが) に彩られ、せりふのはしばしにも The Beatles にまつわるものが散りばめられていた。

 賛否両論わかれると思うが、私は、あの映画にそれほどの感銘を受けなかった。 なんとなく、あらゆる部分において中途半端な気がして、なにかもの足りなかった。 といっても、ほろりときてしまった場面もあるので、すべてを否定するわけではないのだけれど ... 。 しいていうなら、良かったのは、音楽と、娘役を演じていた Dakota Fanning の存在感であろうか。

 しかし、もし、The Beatles の曲をひとつも知らずに、The Beatles のことをなにも知らずに観ていたら、もしかしたら、その Dakota Fanning の演技にすらも目をそむけていたかもしれない。

 それほど、The Beatles のうたが重要な位置を占めていたように思う。



 ほかに、ロックや、ミュージシャンの存在がふかく関わるもので思い浮かぶのは、『Velvet Goldmine』 や 『あの頃ペニー・レインと (Almost Famous)』 などがあるが。

 また、Coen 兄弟製作・監督の 『O, Brother ! 』 に関していうと、この映画にはギター弾きの黒人男性が登場するのだが、これが、Robert Johnson という 「伝説」 のブルースマンをモチーフにしている ... というのは、Robert Johnson を知っている人にしかわからないのだけど。 知っている人は、思わずのけぞって、笑ってしまいそうになる。



 劇場で映画を観ていると、あるせりふで、外国人だけウケていて、私(たち)には、そのおもしろさがさっぱりわからないことがある。 その背景となっているものを知っているか知らないか、で、意図された妙味が汲みとれないこともあるということであろうか。 それが、映画全体の魅力をそこなうこともあるかもしれない。

 それは、もちろん、音楽的なことだけではなく、別の映画のパロディが含まれていたり、時代背景、社会情勢などが下敷きとなっていることも多々あろう。

 そういったものを理解したうえで映画をたのしめる、というのは、ほんとうに贅沢なことだ、と思う。 じぶん自身、いまのところ、ロックに関係したもののほんの一部しか たのしめていないのだろうけれど ... 。



 畏怖 / Devil in Her Heart

 さて。 The Beatles であるが。 彼らに関して 「講釈をたれる」 のは、正直にいうと、こわい。 なんというか、彼らは、絶対的な不可侵の存在のような気がしてしまって。

 まるで、神やなにかに対するのと同じような、畏怖をいだいてしまう。



 反抗期 / No Reply

 その畏怖が、やがて反発心を芽生えさせることもあるのだろうか。

 幼いころは、自宅に彼らのレコードがあったので、曲はいくつかは知っていた。 たんにいい曲だなあ、くらいで聴き流すような感じだったけれど。 そのときすでに彼らは活動していなかったし、John Lennon もこの世を去ってしまっていた。

 そして、思春期を迎えるころには、The Beatles には見向きもしなくなり、さまざまな形態に進化した 「最新の」 ロックにふれるようになったいた。 意識して、The Beatles を遠ざけていたのかもしれない。

 それは、The Beatles こそすべてのロックの基本である、などと、オトナたちが口をそろえて言っていることに、反発ないしは違和感をおぼえたのかもしれない。 とにかくすごい、とか、多くのミュージシャンたちに影響を与えたのだ、と言っているけれど、どこが、どうすごいのか、具体的にどの人にどんな影響を与えたのか、ということを、きちんと説明してくれるオトナが周囲にはいなかった。 少なくとも、私が読む雑誌にも、その説明は書かれていなかった。 ただ、「基本である」 としか。 あたりまえすぎて、説明不要だと思われていたのだろうか?

 なんとなく、すごいのだろう、でも ... と思いながら、私はやがてパンク・ロックへ走ることになった。



 ここ掘れ / day after day

 そこから、さまざまな種類の音楽を、走り抜けるように、かたっぱしから聴いていったのだが、そうしていると、自然と The Beatles のアルバムも聴かざるを得ないことになった。

 じぶんは、ロック好きを公言してしまっている。 友人たちのあいだでもいちばんロックにくわしいことになっている (井の中の蛙、大海を知らず)。 だとしたら、一般的に 「古典的名作」 といわれているものを聴いていないでどうするのか? という半ば義務、のようなもので、The Beatles のアルバムを自ら買い求めるようになった。 そうして彼らの映画を観、彼らについて書かれた本を読んだ。

 すぐにはわからなかったけれど、あの時代における彼らの位置、彼らのやってきたこと(Bob Dylan に与えた影響や、英国バンドのアメリカ進出を切り開いたこと - British Invention など)、それぞれのメンバーの個性、歌詞にこめられたメッセージ、などがほんの少しわかったような気がした。

 そうして、すぐ好きになったのか、というと、そうでもなく。

 ほんとうに 「すごい」 と言えるのは、あの時代 (もしくは近い時代) に生き、実際に肌で感じとった人にしかわからないのではないか。 あるいは、大目に見ても、実際にじぶんで The Beatles の曲を演奏してみたことのある人しかわからないのではないか、という気がして、脱力してしまった。



 影法師 / a shadow hanging over me

 けれども。 好きになりたい、理解したい、という意志のあるなしに関わらず、「ロックの森」 を探索しつづけていると、自然と The Beatles という大木の存在に突き当たることになった。 私の愛するミュージシャンが、その当時よきライバル同士として彼らと競い合っていた、とか、彼らを偉大な音楽家として敬愛している、とか、彼らの影響を垣間見せている ... という事実に。 ほんの少し考えをめぐらせてみただけでも、ほとんどのミュージシャンがそのいずれかにあてはまるような気さえした。

 ‘Yesterday’ の歌詞ではないけれど、ロックを追いかけている私に、The Beatles が、まるで影のようについてくる。 そう。 逃れられないのである。

 数年前、ある音楽雑誌をたまたま見てみたら、The Beatles の特集で、彼らの作品で好きなアルバム、好きな曲は? という質問に、現在活躍している若手ミュージシャンたちがこたえていた。 そのなかには、The Beatles とは結びつかないような音楽性のアーチストもいて、なかなか興味深かったのだが。 回答者のほとんどが、なんの迷いもなく好きな作品を即答していたのではないか、と想像した。 ごく自然に、ごくふつうに The Beatles を聴いて育ってきたのではないか? だから、好きな曲は? と聴かれても、すぐにこたえが出てくるのではないか? それぞれのアーチストが、それぞれの Beatles を有しているのではないだろうか? と。

 また、こんなこともあった。 数年前、あるシンガーソング・ライターのライヴを観に行ったとき ― ちょうど、George Harrison が亡くなって間もないころだった ― 、自身のオリジナル曲のあいまに、とつぜん、「George に捧げる」 と言って、George Harrison 作の The Beatles の曲 (‘I Need You’) を歌いはじめた ... なんてことが。 それまでそのシンガーは、The Beatles が好きだとか、影響を受けたなどとは直接的に表明していなかったのだけれど、それでも哀悼の意を表するというのは、やはり当然のように己が根として The Beatles があるということ意味しているのかもしれない、と思った。 そして、それは、決してめずらしいことではなく、多くのミュージシャンが George Harrison の訃報に、おどろき、かなしんだのではないか、と。

 これが、The Beatles が 「すごい」 ということではないか? と思うのである。 そう思うようになるまで、時間はかかった。 しかし、そんなに 「すごい」 のであるなら、やはり聴くしかない、と、聴いて聴いて聴きまくった。 耳鳴りがするくらい、脳みそが溶けそうなくらい ... 。 そして、いまでは、好きだ、と言える曲もできた ... と思う。



 なりゆきに / Let It Be

 そんなに無理してまで聴かなくても ... 。 好きなものだけ聴いていればいいじゃないか ... という気もする。 けれども、じぶんでは意味のある模索だったように思っている。

 ロックの歴史を語るうえで、どんなことがあっても、外せない存在なのだから ... 。

 けれど。 ロックはいやいや聴くものではない。 その歴史を知るために、仕方なく聴くものでもなく。 ロックはそもそも自由な音楽であるはず。

 パンク・ロックが、商業化したロックへの反逆であったなら、ロックンロールそしてロックは、既成のポップスに飽き足らなくなった若者による、若者のための音楽だったはず。 まさに Elvis Presley が、The Beatles が、そうであったと聞く。 いまとなってはそのさまを想像してみることしかできないが。

 The Beatles は、八年の活動期間中にオリジナル・アルバム十二枚を残した。 また、録音した曲数は二百十三あると言われている。

 もしかすると、これらの曲のなかに、その当時の若者が熱狂したような新鮮なおどろきを与えてくれるようなものが潜んでいるかもしれない。 そして、ふとしたきっかけで 「その一曲」 ―― こころから好きだ、と言えるものに出会えることもあるかもしれない。 そう考えると、私は、わくわくするのである ... 。 私は、まだまだ The Beatles という大きな地図のうえを模索しているのかもしれない。



 おわりに / The End

 音楽評論家の中山康樹氏は、著書 『超ビートルズ入門』 で、まず The Beatles を聴くには、なにから聴いていけばいいか、ということで “Past Masters Volume 2” を挙げられていた。 なるほど。 名曲ぞろいである。 いきなり、ヴォリュームのある “White Album” や、サイケな “Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band” などからは入らずに、まずはアルバム未収録のシングル・コレクション第二集から、ということのようである。

 では、こんな私であるが、じぶんならば、なにからすすめるだろう? 私も、あえてアルバムではなく、すっと入りやすいシングル集ということで赤盤か青盤を ... とも思ったが、それでは中山氏のまねに過ぎないので、やはりアルバムから選ぶことにしようか ... 。 音づくりや詩世界に、その後の深みがまだ感じられないのかもしれないが、すなおに 「いいうた」 だと思える粒よりの曲がぎゅっとつまった “Rubber Soul” をおすすめしてみようか。



 ちなみに私は、アルバムでは、“Sgt. Pepper” から入った。 それを言うと、たいていは驚かれるが。 だって、「歴史的名盤」 だなんて言われているんだもの。 そりゃあ、聴いてみたくなる、さ。



 BGM:
 Ramones ‘Rock 'n' Roll High School’
コメント (8)
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