「純愛志望 / おまえのベストはそんなものか」
書きためている記事がいろいろあるのだが。
物語 (のようなもの) 二本と、 戯れ言と、 考え事と、 占いネタみっつよっつと、 ボツネタ再構築と ... ?
(いや、べつに、出し惜しみなどしているわけではなく、書くのに時間がかかるので、タタキだけつくっておいて、あとで書き込もうと思いつつ、時間が過ぎ去ってしまっている。 ... こうして、「予告」 することで、じぶんにプレッシャーを)
さて、「お風呂屋さん、開業しました? / 「ニートなボク」」 という記事に trackback を送ってくださった、紳さんの記事をお読みして、いろいろ考えてしまったので、先にこちらを。
当該記事で、紳さんは、
と書かれている。
そうなのかもしれない。
NEET,いわゆる、働く意欲のない若者たちは、「本当にやりたいこと」 というものを、見出そうとしていないのではなく、見出す必要がないのでもなく、どこから、どうやって、見出していいのか、わからないのだろうか?
コップのふちいっぱいまで水が満たされているような、あやうさのなかで、身動きできなくなって ... 、 水が満たされれば、満たされるほど、こころが渇いていくような、もどかしさ、苦しさのなかにいるのだろうか ... ?
ついさいきん、『なぜベストを尽くさないのか』 という本が発売され、ちょっとした(?)話題になっていると知った。 テレビ番組から生まれたエッセイ(?)のようで、番組を観ていない私には、なんのこっちゃ、わけわからないと思うので、未読であるが。
ちょいとズキッと響くことばだ。
「ベスト」 という単語で考えるのは、私のような音楽おたくからすると、昨今、やたら 「ベスト盤」 とかいうものが出回っているな。 ということか。
個人的な感覚で言うと、「ベスト盤」 というのは、何年間、何十年間も活動したミュージシャンの作品群から、幅広く (もしくは、なにかのコンセプトに沿って)、珠玉の名曲を収めたもの、を指すものと思っているのだが、昨今の歌手は、すぐに、「ベスト盤」 を発表しているような?
デビューして 二、三年で 「ベスト盤」 て、あーた。 そんなもん、ただのシングル・コレクションか、ヒット曲のオンパレードに過ぎないじゃない。 なんて思ってしまう。
「あなたにとっての 『ベスト』 とは、そんなものなのか?」 とさえも。
簡単に達成感を得て、簡単に 「ベスト」 を尽くしたような気になってしまう。 というのもあるのかなあ。 なんて思った。
「手軽に 『ベスト』 を売り出し、手軽に 『ベスト』 を買えてしまう」
紳さんは、こうも書かれている。
ほんとうに、そうだと思う。
額に汗して、懸命になにかに打ち込まなければ、ほんとうの達成感というものを、味わえないのではないかな、と。 ベストを尽くさずにベストの結果など得られるはずがないのでは、と。
アンドレ・ジッドの 『狭き門』 に引用された、 「力を尽くして、狭き門より入れ」 ということばを、思い出す。
そして、あくまで、仮説であるが。 この、NEET といわれる若者たち。 本気の恋愛というものをしたことがないのじゃないかしら? と思ってみた。
いい意味でも、悪い意味でも、じぶんのこころに、生涯消えない傷を残すような ... ?
本気でだれかを愛したこと、本気でだれかに失恋したこと、が、ないのでないか? と。
ベストを尽くして愛したこと、ベストを尽くしてフラレたことが。
ベストを尽くすのがこわいのではないかな? ... なんて。
しかし、昨今では、なにやら 「純愛」 が流行っているとか? ここ数年、テレビを観ない生活をしているので、さだかではないのだが。
これは、ほんとうは、「純」 で、「一途」 な恋愛をしたいという願望のうらがえしなのだろうか。
ただ、その対象が見つからない、見つけられない、どうやって見つけていいかわからない、ということなのだろうか。
<!--
目もくらむほどの情報の渦のなかで、手軽な 「出会い」 で、外的世界と内的世界のスキマを埋めようとしている? 実際は、よけいに 「ひずみ」 が増すばかりなのかもしれないが。
そうして、気に入らなかったら、コロス、オカス、メチャクチャにスル。
そんなこともお手軽なのだろうか ... ?
(なお、これは、男から女へ、ということだけではない。 女から男へ、も、ありえるし、男から男へ、女から女へ、もありえるのかもしれない)
ああ。 でも、これは、私自身が情報操作に操られて、そんなふうに思い込んでいるだけかもしれない。 私にはわからない。 世のなか、なにがどうなっているのか。
-->
いろいろ個人的な暴論・空論を展開してしまったが、やはり、「愛こそすべて」 ではないけれど、もっと、もっと、恋愛すべきだ ! と、さいごのさいごまで自論で押し通してしまおうか。
もっと、たくさん、愛して。 もっと、たくさん、愛されて。
もっと、たくさん、傷ついて。 もっと、たくさん、傷つけて。
そうやって、だれかを愛するよろこび、なにかに懸命に打ち込むよろこび、なにかを達成するよろこびを知るのではないだろうか ... ? なんてね ... 。
BGM:
The Beatles ‘Eight Days a Week’
(「一週間に八日分愛してあげる」 と歌う、The Beatles のなかで、好きな曲のひとつ)
(なにかに打ち込んでいるとき、というのは、夜寝る時間も惜しいくらい、一日が二十四時間では間に合わないくらい、一週間が七日じゃ足りないくらい ... 充実した日々を送っているのかもしれない)
書きためている記事がいろいろあるのだが。
物語 (のようなもの) 二本と、 戯れ言と、 考え事と、 占いネタみっつよっつと、 ボツネタ再構築と ... ?
(いや、べつに、出し惜しみなどしているわけではなく、書くのに時間がかかるので、タタキだけつくっておいて、あとで書き込もうと思いつつ、時間が過ぎ去ってしまっている。 ... こうして、「予告」 することで、じぶんにプレッシャーを)
さて、「お風呂屋さん、開業しました? / 「ニートなボク」」 という記事に trackback を送ってくださった、紳さんの記事をお読みして、いろいろ考えてしまったので、先にこちらを。
当該記事で、紳さんは、
今の世の中、モノや情報ってすんごい溢れ返っていると思う。
で、「ニート」と呼ばれる人たちは、本当にやりたい事を、その中から見出せずにもがいているのかも知れないですね。
で、何も出来ずにただ毎日をボーっと過ごしているのかも・・・。
選択肢や情報が豊富なのも、考えものかもしれない。
と書かれている。
そうなのかもしれない。
NEET,いわゆる、働く意欲のない若者たちは、「本当にやりたいこと」 というものを、見出そうとしていないのではなく、見出す必要がないのでもなく、どこから、どうやって、見出していいのか、わからないのだろうか?
コップのふちいっぱいまで水が満たされているような、あやうさのなかで、身動きできなくなって ... 、 水が満たされれば、満たされるほど、こころが渇いていくような、もどかしさ、苦しさのなかにいるのだろうか ... ?
ついさいきん、『なぜベストを尽くさないのか』 という本が発売され、ちょっとした(?)話題になっていると知った。 テレビ番組から生まれたエッセイ(?)のようで、番組を観ていない私には、なんのこっちゃ、わけわからないと思うので、未読であるが。
ちょいとズキッと響くことばだ。
「ベスト」 という単語で考えるのは、私のような音楽おたくからすると、昨今、やたら 「ベスト盤」 とかいうものが出回っているな。 ということか。
個人的な感覚で言うと、「ベスト盤」 というのは、何年間、何十年間も活動したミュージシャンの作品群から、幅広く (もしくは、なにかのコンセプトに沿って)、珠玉の名曲を収めたもの、を指すものと思っているのだが、昨今の歌手は、すぐに、「ベスト盤」 を発表しているような?
デビューして 二、三年で 「ベスト盤」 て、あーた。 そんなもん、ただのシングル・コレクションか、ヒット曲のオンパレードに過ぎないじゃない。 なんて思ってしまう。
「あなたにとっての 『ベスト』 とは、そんなものなのか?」 とさえも。
簡単に達成感を得て、簡単に 「ベスト」 を尽くしたような気になってしまう。 というのもあるのかなあ。 なんて思った。
「手軽に 『ベスト』 を売り出し、手軽に 『ベスト』 を買えてしまう」
紳さんは、こうも書かれている。
でもね、汗もかかずにヒーローになることなんて、誰にも出来ないんですよ。
ほんとうに、そうだと思う。
額に汗して、懸命になにかに打ち込まなければ、ほんとうの達成感というものを、味わえないのではないかな、と。 ベストを尽くさずにベストの結果など得られるはずがないのでは、と。
アンドレ・ジッドの 『狭き門』 に引用された、 「力を尽くして、狭き門より入れ」 ということばを、思い出す。
そして、あくまで、仮説であるが。 この、NEET といわれる若者たち。 本気の恋愛というものをしたことがないのじゃないかしら? と思ってみた。
いい意味でも、悪い意味でも、じぶんのこころに、生涯消えない傷を残すような ... ?
本気でだれかを愛したこと、本気でだれかに失恋したこと、が、ないのでないか? と。
ベストを尽くして愛したこと、ベストを尽くしてフラレたことが。
ベストを尽くすのがこわいのではないかな? ... なんて。
しかし、昨今では、なにやら 「純愛」 が流行っているとか? ここ数年、テレビを観ない生活をしているので、さだかではないのだが。
これは、ほんとうは、「純」 で、「一途」 な恋愛をしたいという願望のうらがえしなのだろうか。
ただ、その対象が見つからない、見つけられない、どうやって見つけていいかわからない、ということなのだろうか。
<!--
目もくらむほどの情報の渦のなかで、手軽な 「出会い」 で、外的世界と内的世界のスキマを埋めようとしている? 実際は、よけいに 「ひずみ」 が増すばかりなのかもしれないが。
そうして、気に入らなかったら、コロス、オカス、メチャクチャにスル。
そんなこともお手軽なのだろうか ... ?
(なお、これは、男から女へ、ということだけではない。 女から男へ、も、ありえるし、男から男へ、女から女へ、もありえるのかもしれない)
ああ。 でも、これは、私自身が情報操作に操られて、そんなふうに思い込んでいるだけかもしれない。 私にはわからない。 世のなか、なにがどうなっているのか。
-->
いろいろ個人的な暴論・空論を展開してしまったが、やはり、「愛こそすべて」 ではないけれど、もっと、もっと、恋愛すべきだ ! と、さいごのさいごまで自論で押し通してしまおうか。
もっと、たくさん、愛して。 もっと、たくさん、愛されて。
もっと、たくさん、傷ついて。 もっと、たくさん、傷つけて。
そうやって、だれかを愛するよろこび、なにかに懸命に打ち込むよろこび、なにかを達成するよろこびを知るのではないだろうか ... ? なんてね ... 。
BGM:
The Beatles ‘Eight Days a Week’
(「一週間に八日分愛してあげる」 と歌う、The Beatles のなかで、好きな曲のひとつ)
(なにかに打ち込んでいるとき、というのは、夜寝る時間も惜しいくらい、一日が二十四時間では間に合わないくらい、一週間が七日じゃ足りないくらい ... 充実した日々を送っているのかもしれない)