いつごろのことだろう? わたしの右ほほから、白くて長い毛が生えているのに気がついたのは。
さいしょ、繊維か、ねこの毛がくっついているのかと思って、何度も何度も、払おうとして、結局、取れなくて、じぶんのほほから生えているのだと知ったときの、あの、衝撃だけは、いまでもはずかしいくらい、鮮明におぼえている。
思春期の女の子には、あまりにもショッキングな事実だった。
仙人さまじゃあるまいし、顔からこんな毛が生えていたら、お嫁にも行けないわ、と、嘆いて、いきおいで思わず抜いてしまった。
しかし。 ふと気がつくと、また生えてきた。 白い毛が。 ひょっこりと。
抜いても、抜いても、また。
仕方ないので、そのまま放っておくことにした。
十七歳のとき、はじめて彼氏ができた。
理想のタイプとは、ちょっとちがったけれど、とっても繊細で、とっても優しい人だった。
何度目かのデートをしたとき。 いつものように彼は、わたしの家の最寄りの駅まで送ってくれた。 名残惜しそうに、またね、と言う彼の顔をのぞき込んだら、彼が、はっとわたしの顔を見つめ返したので、わたしは、どきどきしながら、「その瞬間」 を待った。 じっと、じっと。 ほほを焼けるように熱くさせながら。 目を閉じて、ただ、じっと。 けれど、なかなか 「その瞬間」 が訪れなかったので、うすく目を開いてみると、彼が、凍りついたようにわたしの顔を凝視していた。 いや、正確には、わたしの右ほほからぴょこんと飛び出している 「毛」 を見つめていたのだ。
それが、とても、ショックで、わたしは、なにも言わず、自宅へと転がるように帰っていった。 そして、ひとり、泣きながら、力任せにその毛を抜いた。
その後、その彼とデートをすることは、二度となかった。
それからしばらくして、その毛が再び生えてくるころ、あたらしい彼氏ができた。
けれど、やはり、さいしょの彼と同じように、白い毛に目を奪われて、キスすることもままならないまま、二度目の恋も失敗に終わった。
同じようなことを繰り返し、にがい思いを何度も味わったわたしは、あらたな彼氏ができたら、目を光らせて、その毛を抜くのを怠らないことを心に誓った。
顔を洗うとき、お風呂に入りながら、トイレの鏡のまえで。 厳しいチェックによって、白い毛が彼氏に気づかれることはなかった。
しかし。 あとになって、じつは、二股をかけられていた、ということがわかったり、浮気をされてしまったり、で、結局、長続きはしなかった。
二十五歳のときには、もう、その毛は放っておくことにしていたのだけれど、そのとき付き合っていた彼氏と、ほんの小さないさかいごとがあったとき、こんなふうに言われて、わたしのプライドは、ずたずたに引き裂かれた。
「なんだよ、顔から白毛のくせに!」
それ以来、男の人と付き合うのがこわくなって、しばらく、独り身の女をしていたのだけど、三十歳の誕生日まぢかに、新しい彼ができた。
もう、そのころには、わたしには女の子らしいところがなくなっていたから、白い毛のことをなにか言われたって気にしやしないつもりでいた。
彼と、はじめてキスしたときのこと。 彼が、「あれ?」 と言うので、ああ、また白い毛のことか、と思い、わたしが、「これ、むかしから生えてるのよ」 と言ったら、
「これ、福毛じゃん」 と言われた。
「なにそれ?」
「顔とか身体から一本だけ生えてくる、長くて白い毛って、福を呼ぶ毛なんだぜ」
「そうなの?」
「うん。 おれも腕に生えてるぜ、ほら」
「あ、ほんとだ。 長いね」
「まあね。 ずっと、生やしっぱなしだから」
「あたし、何回も抜いちゃってた」
「だめだよ。 福毛なんだから。 しっかし、顔から生えてるやつにははじめて会ったよ。 ずっと生やしておけば、ものすごい幸運に恵まれるぜ」
ああ。 いままで、どうしてわたしは、福の毛を抜いてしまっていたのだろう! そんなことも知らず、きっと、みすみす幸福を逃してきてしまったのだ。
このために、多くのものを失ってしまった。 若さ、女らしさ、素直な気持ち ... 。
けれど、きっと、いままでの三十年間は、彼と出会うための、準備期間だったのだ、と思うことにしよう。 彼と出会うために与えられた、試練だったのだと。
そう、わたしは、彼と付き合いはじめて、はじめて、人を愛するよろこびを知った。 愛されるよろこびも。 こんな幸福を用意してもらっていたことに、感謝しなければ。
今日、これから、わたしは、彼と結婚する。 着付け室で白いドレスを見に纏ったわたし。メイクをしてくれる人が、ファンデーションをぬりながら、不思議そうにわたしの顔を見つめるので、わたしは、
「あ、これ、むかしから生えてるんですよ」 と、白い毛のことを言った。
メイクさんが、「抜いちゃいます?」 と訊くので、わたしは、
「とんでもない」 とこたえた。
「だって、これは、福の毛なんです」 と。
goo 辞書より 「宝毛」
BGM:
The Apples in Stereo ‘Lucky Charm’
# [追記]:
# わたしは、肩に一本、ぴょこたん、と生えております。
さいしょ、繊維か、ねこの毛がくっついているのかと思って、何度も何度も、払おうとして、結局、取れなくて、じぶんのほほから生えているのだと知ったときの、あの、衝撃だけは、いまでもはずかしいくらい、鮮明におぼえている。
思春期の女の子には、あまりにもショッキングな事実だった。
仙人さまじゃあるまいし、顔からこんな毛が生えていたら、お嫁にも行けないわ、と、嘆いて、いきおいで思わず抜いてしまった。
しかし。 ふと気がつくと、また生えてきた。 白い毛が。 ひょっこりと。
抜いても、抜いても、また。
仕方ないので、そのまま放っておくことにした。
十七歳のとき、はじめて彼氏ができた。
理想のタイプとは、ちょっとちがったけれど、とっても繊細で、とっても優しい人だった。
何度目かのデートをしたとき。 いつものように彼は、わたしの家の最寄りの駅まで送ってくれた。 名残惜しそうに、またね、と言う彼の顔をのぞき込んだら、彼が、はっとわたしの顔を見つめ返したので、わたしは、どきどきしながら、「その瞬間」 を待った。 じっと、じっと。 ほほを焼けるように熱くさせながら。 目を閉じて、ただ、じっと。 けれど、なかなか 「その瞬間」 が訪れなかったので、うすく目を開いてみると、彼が、凍りついたようにわたしの顔を凝視していた。 いや、正確には、わたしの右ほほからぴょこんと飛び出している 「毛」 を見つめていたのだ。
それが、とても、ショックで、わたしは、なにも言わず、自宅へと転がるように帰っていった。 そして、ひとり、泣きながら、力任せにその毛を抜いた。
その後、その彼とデートをすることは、二度となかった。
それからしばらくして、その毛が再び生えてくるころ、あたらしい彼氏ができた。
けれど、やはり、さいしょの彼と同じように、白い毛に目を奪われて、キスすることもままならないまま、二度目の恋も失敗に終わった。
同じようなことを繰り返し、にがい思いを何度も味わったわたしは、あらたな彼氏ができたら、目を光らせて、その毛を抜くのを怠らないことを心に誓った。
顔を洗うとき、お風呂に入りながら、トイレの鏡のまえで。 厳しいチェックによって、白い毛が彼氏に気づかれることはなかった。
しかし。 あとになって、じつは、二股をかけられていた、ということがわかったり、浮気をされてしまったり、で、結局、長続きはしなかった。
二十五歳のときには、もう、その毛は放っておくことにしていたのだけれど、そのとき付き合っていた彼氏と、ほんの小さないさかいごとがあったとき、こんなふうに言われて、わたしのプライドは、ずたずたに引き裂かれた。
「なんだよ、顔から白毛のくせに!」
それ以来、男の人と付き合うのがこわくなって、しばらく、独り身の女をしていたのだけど、三十歳の誕生日まぢかに、新しい彼ができた。
もう、そのころには、わたしには女の子らしいところがなくなっていたから、白い毛のことをなにか言われたって気にしやしないつもりでいた。
彼と、はじめてキスしたときのこと。 彼が、「あれ?」 と言うので、ああ、また白い毛のことか、と思い、わたしが、「これ、むかしから生えてるのよ」 と言ったら、
「これ、福毛じゃん」 と言われた。
「なにそれ?」
「顔とか身体から一本だけ生えてくる、長くて白い毛って、福を呼ぶ毛なんだぜ」
「そうなの?」
「うん。 おれも腕に生えてるぜ、ほら」
「あ、ほんとだ。 長いね」
「まあね。 ずっと、生やしっぱなしだから」
「あたし、何回も抜いちゃってた」
「だめだよ。 福毛なんだから。 しっかし、顔から生えてるやつにははじめて会ったよ。 ずっと生やしておけば、ものすごい幸運に恵まれるぜ」
ああ。 いままで、どうしてわたしは、福の毛を抜いてしまっていたのだろう! そんなことも知らず、きっと、みすみす幸福を逃してきてしまったのだ。
このために、多くのものを失ってしまった。 若さ、女らしさ、素直な気持ち ... 。
けれど、きっと、いままでの三十年間は、彼と出会うための、準備期間だったのだ、と思うことにしよう。 彼と出会うために与えられた、試練だったのだと。
そう、わたしは、彼と付き合いはじめて、はじめて、人を愛するよろこびを知った。 愛されるよろこびも。 こんな幸福を用意してもらっていたことに、感謝しなければ。
今日、これから、わたしは、彼と結婚する。 着付け室で白いドレスを見に纏ったわたし。メイクをしてくれる人が、ファンデーションをぬりながら、不思議そうにわたしの顔を見つめるので、わたしは、
「あ、これ、むかしから生えてるんですよ」 と、白い毛のことを言った。
メイクさんが、「抜いちゃいます?」 と訊くので、わたしは、
「とんでもない」 とこたえた。
「だって、これは、福の毛なんです」 と。
goo 辞書より 「宝毛」
BGM:
The Apples in Stereo ‘Lucky Charm’
# [追記]:
# わたしは、肩に一本、ぴょこたん、と生えております。