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追憶のハイウェイ61

2004年07月20日 23時45分54秒 | 現実と虚構のあいだに
 おれが、チビだったころ、おれたちは、山のなかの掘っ立て小屋に住んでいた。

 その山は、まるで 「姥捨て山」 のような、人の寄りつかない さみしい山だった。

 おれたち家族は、まるで、世間からうち捨てられたかのように、隔絶されて生きていた。 ... ような気がする。 うちには、テレビもなく、ラジオもなく、新聞もなく、本もなく、「姥捨て山」 のルールのなかで、侘しく生きていた。 する遊びといえば、兄弟で相撲をとるくらいだった。

 うちは、貧乏だった。 絵に描いたような。 親父は、学歴もなく、金もなく、運もない男だったのだ。 いや、貧乏というのは、仕方がない。 親父の生まれた家が貧乏だったのだから。

 子どものおれから見て、親父は、決して頭は悪くない、いや、むしろ頭の回転はいいほうだと思うが、家が貧乏だったために、学校に上がれず、中学を卒業と同時に働きに出されたのだ。

 負けん気だけは強いせいで、行く先々で衝突し、仕事が長つづきしたことがなかったらしい。

 二十五のとき、お袋と出会い、結婚した。

 そのころはペットブームだったとかで、その流れに便乗して、友だちと、犬専門のペットショップを始めたが、思ったようには商売が回らず、結局借金をかかえる羽目になっただけだったという。 友だちは、借金を残したまま、姿をくらましたそうだ。

 運には見放されていた親父だが、子宝に恵まれた。 おれは、四男だった。 下には、妹がひとり、いる。

 食べ盛りの五人の子どもをかかえた親父は、莫大な借金に埋もれそうな失意のなかで、元手のかからない商売をはじめることにした。

 そんなうまい話があるのか、と思うかもしれないが。

 なにをおっぱじめたかというと、山に入って、クワガタムシやカブトムシを捕まえ、それを、昆虫専門のペットショップに売りはじめたのだ。 なにせ、「姥捨て山」 だから、虫だのなんだのは、腐るほどいる。 二、三時間山に入れば、何十匹、何百匹という虫を捕まえられた。

 そのうち、ペットショップに売るのがあまり効率が良くないと悟った親父は、じぶんで虫を卸すことを思いついた。

 お惣菜用のビニールパックみたいなのに、虫と、砂糖水を含ませた脱脂綿を入れ、ホッチキスで止める。 そして、空気穴をいくつか開けてやる。 こうして、じぶんで捕まえた虫をじぶんで梱包し、じぶんで車に積んで、じぶんで売りに出かけはじめた。

 子どもたちは、貴重な戦力だ。 夏場は、家族みんなで、汗をかきながら、梱包作業に励んだ。

 おれと三人の兄貴たちで、だれがいちばん早く梱包ができるかを競い合ったことがあった。 いちばん早く、百個梱包できたものが、アイスを独り占めできるのだ。 テレビも漫画もない家で、たのしみといえば、そんなことくらいしかなかったのだ。 一個十円くらいの安くて、水っぽい、味のないアイスだったが、おれたちにとっては、なににもかえがたいご馳走だった。

 しかし、兄貴たちは、決して、おれには勝たせてくれなかった。 どんなズルをしてでも、ぜったいに。

 親父譲りの負けず嫌いで、なんとか、一度だけでも勝ちたい、もうアイスがどうこうという話ではなく、ただ兄貴たちに勝ちたい、と思ったおれは、必死で空気穴を開けていたとき、「目打ち」 で、思い切り、じぶんの左手の人差し指に穴を開けた。 あのときの痛みを思い出すと、いまでも、臍をまさぐられるような心持ちがする。 お袋に痛みを訴えたら、つばをぺっとつけてくれた。 親父は、「バカヤロウ」 と言った。 二度と、空気穴開けはすまい、と思った瞬間だった。

 夏以外の季節は、虫の商売ができないので、春だったら山菜を、秋だったらきのこを売った。 元手をなるべくかけないのが、わが家のならわしだった。

 学校には、親父のポンコツ車で送ってもらっていた。 虫を卸しに行く途中で、落っことしてもらい、卸しから帰ってきたら、拾ってもらう。

 それが、姥捨て山と社会とをつなぐ、唯一の手段だった。

 おれたちにとって、登下校や、放課後などというものは、車の四角い窓から見える、代わり映えしない風景のことを意味していた。 座り心地のわるい車のシートに、延々と揺られることを意味していた。

 授業が終わると、いつやって来るかわからぬ親父を、じっとじっと、待った。 兄弟でふざけながら、あるいは、ひとりぽつねんと。 待っているあいだ、教科書を読んだ。 本など買ってもらえなかったから。 教科書くらいしか、読むものがなかったのだ。 教科書を、繰り返し、繰り返し、何度も読んで、教科書から題材を得て、じぶんで物語を考えたり、唱歌のつづきを考えたりしたものだった。

 たまに同級生の女の子が、憐れみの表情を浮かべて、「まだお父さん、来ないの?」 とたずねてくることがあって、はずかしくて、顔中の毛穴が開きそうなくらい顔が上気したりした。 ひざの破けた、兄貴のお下がりのズボンの、ほつれた糸をじっと見つめながら、おれは、じっとくやしさをこらえていた。

 小学四年のとき、山の下の町に、「マクドナルド」 ができた。

 夕方、親父の車に拾われて、国道を通り過ぎながら、はじめてマクドナルドの看板を見たとき、おれの胸は高鳴った。 いったいどんなうまいものが売られているのだろう、と。

 がごんがごんと揺れながら、あの 「M」 の看板を遠目に眺め、いつか、あそこで、腹いっぱいになるまで、たらふくハンバーガーというものを喰ってみたいと思っていた。

 そのうち、おれは、親の財布から、こっそり金を頂戴するようになった。 札を抜き取ると ばれると思い、毎日、小銭をちょっとずつもらっていたのだ。

 そうして、半年かけて、三千円たまったとき、おれは、「家出」 を敢行することにした。

 学校帰り、いつも親父に拾ってもらう学校まえのバス停で、おれは、親父を待たずに、バスに乗り込んだ。 そして、国道沿いの 「マクドナルド」 を一心に目指した。

 どきどきしながら、「M」 の看板を通り抜け、おれは、ぎこちなさをかくすように、勢いよく店のなかに入った。 そして、いざ、ハンバーガーを喰おう、と思ったのだが、どうしていいのかわからず、ことばを失って、茫然と立ち尽くした。 まるで、じぶんが入りこんではいけない、場違いなところへ来てしまったような気がして、泣き出したいような衝動にかられた。

 おれには、姥捨て山がお似合いだ。 こんなところに来ちゃいけなかったんだ。

 と思い、帰ろうとしたら、店のカウンターから、きれいな女の人が出てきて、おれに、小さい紙コップを差し出した。 おれはよくわからず、その紙コップを受け取った。 コーラが入っていた。 あのとき飲んだコーラの、舌を刺すような感覚は、一生わすれられないくらい、記憶のなかに残っている。

 コーラをくれたおねえさんに笑顔で手招きされ、おれは、誘われるまま、そのおねえさんのところまで行き、なにがなんだかよくわからないまま、注文し、言われた金額を払い、差し出されたトレイを持って、てきとうに空いている席に座った。 同じ学校のやつがいるか、と見回してみたが、見知った顔はなかった。 なんとなく、じぶんだけが、ちょっと大人びたことをしているような気がして、誇らしくなった。

 いざ、どきどきしながら、箱をあけて、あこがれのハンバーガーのかぶりついた。 はじめて食べたハンバーガーの味は、うまかったのか、まずかったのかは、よく憶えていない。 ただ、これが、ハンバーガーというものか!と、とにかく感動したのを憶えている。 はじめて食べたフライドポテト、シェイクというものも、よくわからないけれど、こんな食べものが存在していたのか、と、ただただ、感激がこみ上げてくるばかりだった。

 おれは、さっきのおねえさんのところに行き、ハンバーガーとポテトとシェイクをもうひとつずつ頼んだ。

 ああ。 二度目に食べたときは、舌が慣れたのか、なんてうまい食べものなのだろう、と思った。 そして、三度目に食べたとき、決意した。 もう山には帰らず、ここに残ろう、と。 ここで働かせてもらえば、毎日ハンバーガーが食べられる。 ものをつくるのは、慣れている。 チビのころから、仕事をやらされてきたから、手先は器用だ。 ハンバーガーをつくって、一生、ここにいよう。 ここにいれば、あの笑顔のすてきなおねえさんのそばにいられる ... と思うと、夢がふくらんだ。

 おねえさんのところに行って、シェイクをもう一杯注文しようとしたら、おねえさんのかわりにえらそうな男が出てきた。 いろいろ質問されたが、めんどうなので、てきとうなことをこたえた。

 調子に乗って、もう一杯シェイクを買い、五杯目のシェイクを飲みながら、店のなかであれこれ空想にふけっていたら。 ふと見上げると、なぜか親父がおれの目のまえに立っていた。 親父は、渋い顔をして、「バカヤロウ」 と言って、おれを頭からなぐりつけた。 一撃でふっとばされたおれは、痛みよりも、あのおねえさんのまえでなぐられたことに腹が立った。 おれはとっさに、おねえさんのほうを見た。 おねえさんは、悲痛な表情で、おれのことをじっと見ていた。 その目が、おれをかっとさせた。 結局おれは、みんなから憐れまれなければ ならないのか、と。 それで、親父に思いきり襲いかかったのだが、あっさりと二撃目を浴びて、店の外のポンコツ車に押し込まれてしまった。

 帰りの車のなかで、親父にたっぷりとしぼられた。 ちょっとずつ小銭がなくなっているから、なにごとかと思っていたら、こんなところで、ハンバーガーなんか喰って使っちまうとはと。 そんなことない、あんなうまいもの、おれははじめて食べた。 と言っても、親父は聞く耳を持たなかった。 結局、おれの 「家出」 は、数時間に終わり、夢は夢のまま、姥捨て山の掘っ立て小屋に吸い込まれていった。

 けれど、その日の晩は、兄貴たちを出し抜いて、先んじてハンバーガーを食べたであろうことに興奮して、一晩中眠れなかった。 また金をためて、そして、あのおねえさんに会いに行こう、と思っていた。 今度は、憐れまれないような男になって、いつかまた、きっと、と ... 。



 ―― 数年後、体長十センチのオオクワガタの養殖に成功したわが家は、なるたけ元手をかけずに、自給自足でどんどん商売を拡大し ... 、甲虫業界のトップとなって、姥捨て山の掘っ立て小屋から、クワガタ御殿へと移住した。

 幼いころ、兄貴たちとの勝負に負けつづけ、目打ちで指に穴を開けさえもしたおれだが、金をためる方法をあれこれ悶々と考えつづけていたせいか、商売能力だけは そなわってしまった。 そして、兄貴たちにようやく勝って、いま、親父の後釜として、甲虫屋の社長となった。

 望むものは手に入れたはずだ。 買いたいものはなんでも買える。 喰いたいものも喰いたいだけ喰える。

 けれど、いまだにあの 「M」 のマークを見ると胸が高鳴るおれの、ささやかな夢は、約三十年前、「マクドナルド」 で、おれに笑顔とコーラをくれたあのおねえさんが、どうなったかが知りたい、ということなのだ。







 * 七月二十日は、「ハンバーガーの日」 (「マクドナルド」 の日本一号店が開店した日) とのことで書き上げたお話。 「マクドナルド」 びいきというわけではないけれど。



 関連リンク:
 ・「マック占い」
  (わたしは、「チキンタツタ」 ... )

 ・Slashdot Japan - 「毎日三食マクドナルドばかり食べると...」



 BGM:
 P. J. Harvey ‘Highway 61 Revisited’
 (原曲は、Bob Dylan. P. J. のカバーは、かなりワイルドなアレンジで聴ける)
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お○わり

2004年07月20日 22時59分01秒 | 戯れ言
 私の友人 (というか彼)。

 どうあっても堪えがたい煩悩の苦しみから、とあるお店に向かったことがあったそうな。

 三十分、四千円ぽっきり。 お○わり自由。 とかなんとか。

 彼は、「おかわり自由」 ということだと解釈し、用を足したあと、

 「すみませーん、おかわり !!! 」 と叫んだ。

 そうしたら、「はあ ? 」 という表情をされてしまったようで、結局おかわりはできなかったそうな。

 う~ん。 「おかわり自由」 じゃないとしたら、「おまわり自由」 ? ―― まわってどうする。

 では、いったい、なんだったのだろう??



 BGM:
 Thee Michelle Gun Elephant ‘Free Devil Jam’
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生もろな わたし

2004年07月20日 15時35分56秒 | 呑食
 先日、お昼を食べに行ったお店。

 「おすすめメニュー」 に、「生とうもろこし」 というのがあったのを、私は見逃さなかった。

 「生のとうもろこし?!」 ... とうもろこしって、生で食べられたかしら ... 。 と、気になったので、ぜひとも食べてみたかったけれど、夜のメニューのようだったから、注文はしなかった。

 で、のちほど、調べてみたところ ...



 ●【楽天市場】
 http://www.rakuten.co.jp/sunrisefarm/435741/499301/

 ●江戸の鶏処-今井屋本店 必見!おすすめ情報-2004年7月
 http://www.imaiya.co.jp/osusume/osusume.html
 (「もろこし刺し」 なるメニューが)

 ●おいしっくす 長崎から生で食べられるとうもろこし“サニーショコラ”を産地直送!
 http://www.oisix.com/Html.gift-W00002619_html.osx?...
 (もう注文は受け付けていないようだが ... 来年をたのしみに ... ?!)



 ふむふむ。 なるほど。

 生で食べられるとうもろこしは、甘くて、くだもののようだとのこと。 う~ん、食べてみたい。 生のまま、がぶっと。

 そういえば。 以前、某所にて、スティック状に切ってある生のだいこんに味噌をつけて食べたことがある。 「亀戸大根」 という品種のようだったのだが、ぜんぜん辛くなくて、まるで梨のようにみずみずしくて、びっくりしたのを覚えている。

 そして、そのフルーティーなだいこんを、味噌煮込みにして食べたのだが、これもまた、おいしかった。 ごはんにぶっかけて、ねこまんまにして、食べたくなった。

 生でもイケるものは、過熱してもおいしい、ということかもしれない。 素材そのものがいいから、生のままはもちろん、煮るなり、焼くなり、お好きなままに ?



 はあ~。 ワタシも、生でもイケる女になりたいものだ ... ?!





 # ちなみに。 「とうもろこし」 と 「はまぐり」 は、食べ合わせが悪いと言われているので、ご注意を ... ?

 # タイトル 「生もろな わたし」 は、もちろん、冗談です ... おゆるしを。



 BGM:
 Korn “Life Is Peachy”

 * peachy ... いかす
コメント (8)
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