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そのおなかに / Some Kind of Wonderful

2004年07月12日 23時37分47秒 | 想在

 先日、友人の結婚披露パーティーに招待してもらったので、参加してきた。

 食事はビュッフェ形式。 ビュッフェだと、つい いろいろ食べてしまうが、いくら食べてもあまり食べた気がしない。 オードブルみたいな感じのものばかりだからだろうか。

 ところで。

 花嫁さんのほうは、ぴくりともしていなかったのに、婿殿のほうが、えっえっえっえっえっえっえっえっ言いながら、泣いてしまって ... 。 まるで叱られたあとの子どもみたいだった。 よっぽどうれしかったのだろう。 ほんとうにおめでとう。

 それにしても。 お嫁さんの落ち着きようは半端ではなかった ... といっても、妙に冷め切っていたということではない。 むろん、緊張してこわばっていたわけでもなく。 なんというか、どっしりとかまえていた、という感じだろうか。 女の人のほうが、いざ、というとき、肝がすわるものなのだろうか。

 ちなみに、お嫁さんのお腹のなかでは、すでにちいさな命がスクスクと育っているところだと聞いた。 五ヶ月って言っていたかな、たしか。

 そのおなかに、子を宿すということ、それだけで、女性は強く、うつくしく、そして、おおらかになれるものなのだろうか ...



 BGM:
 Grand Funk Railroad ‘Some Kind of Wonderful’

コメント (2)
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ポケットいっぱいの夢を

2004年07月12日 17時57分44秒 | 現実と虚構のあいだに
 「ポケットの夢 / portable rock」



 trackback to;
 『妖精が見える子供』 - 「ほんの少しの幸せ」



 「子ども服には、どうしてポケットが、かならずついているのだろう?」

   「それは、ポケットのなかに、夢や希望を詰め込むから」

 「じゃあ、大きければ、大きいほどいいのかしら」

   「ポッケが大きすぎると、詰め込みすぎて、破けてしまったり、歩くときに、バランスがとれなくなる」

 「じゃあ、どうしたらいいの?」

   「いろんな夢を持ち歩けるように、小さなポッケを、たくさん、つけてあげましょう」



 BGM:
 Hibari Misora ‘Tokyo Kid’
コメント (8)
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「トワッドル」 な わたし

2004年07月12日 14時17分35秒 | 覚書
 耳慣れないことばを聞いたら、すぐに調べてしまわないと。 うっかり、わすれてしまう。

 せっかく出会えた、未知のことば。

 この出会いを無駄にしては、もったいないので、さっそく調べてみる。



   「トワッデル」 (twaddell)


たわ言.無駄口.駄文.またそれらをする人.〈現〉

infoseek 辞書 検索結果より



 なるほど。 ちょっと、どきりとすることばだ。

 さらに web 検索をかけてみたところ、どうやら、「トワッデル度」 (degree of Twaddell) というと、比重の単位を表すようだが ... 。

 そもそも、何語なのだろう? と思った。 さいきん話題になっている(?)、外来語みたいだけれど、 twaddell で英和辞書検索しても、人名や単位などの答えしか出てこない。

 おかしいな ... ということで、さらに調べてみて、どうやら、twaddle のまちがいではないだろうか、ということに気がついた。


twaddle

━━ n., vi. むだ口(をきく).

goo 辞書 検索結果より



 だから、ほんとうは、「トワッデル」 ではなく、「トワッドル」 あるいは 「トウォッドル」 が正しいのではないかしら ... ???

 おそらく、耳で聞いたことばがひとり歩きして、やがて広まってしまったということなのだろうと想像するが、辞書がまちがっていて、どうするのか、と不安になる。 まあ、辞書でさえまちがうことがあるのだから、私の書いた 「たわ言」、 「無駄口」、 「駄文」 なんか、いったいどうなるのか? という感じだろうか ... ?!

 そもそも、「たわ言」、 「無駄口」、 「駄文」 を言ったり、書いたりしない人がいるのかしらという気もしてきた。

 じぶんは、決して 「トワッドラー」 ではない、と言い切れる人がどれだけ?

 じぶん自身の話だが、私は、いろんな、「戯言(たわごと)」、「無駄口」 を重ねながら、生きてきた。 意味のある発言ばかりなんて、天才じゃあるまいし、そんなことできっこない。 ましてや、すべてが完璧な美文を常に書きつづけてきたとは思えない。 (当たり前)

 けれども。 たくさんの無駄口の、三十回に一回でも、五十回に一回でも、百回に一回でも、なにか意味のあることが言えれば、まあ、じぶんにしては、たいしたものではないか、とも思っている。

 むしろ、「無駄口」 のなかに、人生の真理や、こころの奥底の本音のようなものがひそんでいたりして ... とも思う。 無駄なことなんて、なにもないんじゃないかな、と。

 もちろん、表現の仕方によるのだと思う。 その方法や状況によっては、「無駄口」 と受け取られても仕方のない場合があるかもしれないが。

 うん。 もしかすると、「トワッデル」 とは、私のような考えの人が、そういうじぶん自身を戯画化するために使いはじめたものなのかな、と、想像した。



 BGM:
 Rolling Stones “It's Only Rock 'n Roll”
 (本日は、「ローリング・ストーンズ記念日」 とのこと)
 (‘I know it's only rock 'n roll, but I like it ! ’)
コメント
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