阿武山(あぶさん)と栗本軒貞国の狂歌とサンフレ昔話

コロナ禍は去りぬいやまだ言ひ合ふを
ホッホッ笑ふアオバズクかも

by小林じゃ

狂歌家の風(26) せつふんの鬼

2019-02-03 10:42:49 | 栗本軒貞国

栗本軒貞国詠「狂歌家の風」(1801年刊)、今日は冬の部から二首、

 

        節分 

  来年の事を聞して笑れな早くおひ出せせつふんの鬼


  ふみ出しの豆にもいたくこまるらんはたして逃る節分の鬼

 

一首目は鬼に来年の話をして笑われなと言いつつ早く追い出せと詠んでいる。「笑れな」の緩い命令の終助詞「な」はこの時代の上方狂歌にはあまり用例がないが、狂歌家の風にはもう一首ある。

 

        角力場蚤


  ふんとしに取ついてそりやひねられな角力芝居に飛入の蚤 

 

この終助詞「な」は私の父や祖父の世代の広島人はあまり使わない表現のように思う。私は年寄りからあまり言われた記憶がない。だから私が良く見に行くサッカーチームのコーチが「ゆっくり走って来な」とか言ってると少し違和感がある。二百年前はまた違ったのだろうか。少なくとも貞国が好んだ表現のようだ。

二首目の「ふみ出しの豆」とはどういう事だろうか。「尚古」は同じ歌の初句が違っている。

 

        節分

  わらんずの豆にもいたく困るらんはだしでにぐる節分の鬼 


「わらんずの豆」となっていて、草鞋の豆とはやはりよくわからない。しかし、まいた豆を踏んでも痛いという意味ではないかと想像できる。どちらが先かわからないのだけど、草鞋で豆を踏んで痛くて裸足で逃げるというのは少し変な感じもするから「ふみ出し」に変えたと一応考えておこう。

「廣島雑多集」に武家ではあるが江戸時代の広島の節分の記述がある。

「麻上下着せる年男は薄暮より焙烙といふ土鍋へ大豆の外に眞の形式までに柊の二三葉を交ぜたるを入れて之を炒り、更に三寶に載せたる一升の桝に盛り替へ、左手には其三寶を堤げ、右手には炒豆を撮みて、家の間毎間毎より倉庫物置等まで残る所なく、恵方に向かいては福は内と三唱し、鬼門に向かいては鬼は外と三叫して之を撒き散せば、家の男女は大騒ぎして争い摭う」

とあり、福は内は恵方に向かって、鬼は外は鬼門に向かって三唱とある。最近は恵方巻が話題だが、これはここ三十年の風習であって、もちろん江戸時代の文献には登場しない。しかし、お正月の恵方詣など、節季に恵方は大切な要素だったように思われる。恵方巻は何かと悪者にされがちであるけれど、恵方詣が初詣に変わったのは鉄道会社のキャンペーンがきっかけだったとか。他にも土用の鰻、七五三の千歳飴、バレンタインのチョコレートなど商売のために誰かが仕掛けてそれが長く続いているという例は数えればたくさんあるのだろう。恵方巻だけを責めても仕方がない。

狂歌から話がそれてしまったので、最後に貞柳翁狂歌全集類題から節分の歌を、


       歳暮

  節分の鬼はおちれと掛乞は柊いはしさはらてそ来る


年末の借金取りには柊も鰯も効き目がないと詠んでいる。さらに貞柳の歌二首

 

      節分

  たとへは絵にかける小町をかふてなり晩は年こしいさふたりねん

  福はうちと打大豆ぬくし外て聞鬼のおもはん事も恥かし


二首目の大豆は「まめ」と読むのだろうか。「鬼のおもはん事」は何なのか、私には難解な歌だ。

 

【追記1】 明治29年「明治新撰近体婦女用文. 上」に、「恵方参に誘ふ文」という例文があった。

「今もじは天気よく候まゝ恵方に心ざし住吉詣いたし度ぞんじ候あなた様にも御子達御つれましなされ御参なされまじく候や思召おはし候はゝ手前方も子供打つれ御とも申上べく候まづは御誘まで文して申あげ参らせ候めでたくかしこ」

「恵方に心ざし住吉詣」とある。恵方参は別にお正月に限らなかったようだ。ついでに初詣も見ておこう。明治27年「近体婦女文章」から、「初詣に人を誘ふ文」

「文して申進じ参らせ候明日は初卯に候まゝ住吉神社へ参詣いたしたく車にて参り候も道の面の興おはさずと存候へばゆるゆる歩行にて罷越茅の軒端に休らひ候も一入ならめとぞんじ候あなた様さしたる御用もおはさず候はゞ御ともいたし申たく御容子御伺まであらあらかしこ」

とあって、これも初卯とか初天神とか、広島ならば毘沙門さんの初寅だろうか、初詣といっても三が日とかは関係ないようだ。


【追記2】 「狂歌辰の市」の節分の歌、


       節分             梅鳥

  倹約をしたいものしやかふえてくる今宵の豆の数はへされす


年の数だけというのも江戸時代からあったようだ。


【追記3】 年の数だけではなく、年の数より一つ多く、が正解のようだ。「狂歌手毎の花」に、


      家内打よりて年とる夜に    湖南 乙立

  喰そめをせぬ一つ子は節分に母の乳豆もふたつ祝へよ


とあり、まだ食い初めをしていない一歳児は母の乳豆を二つと詠んでいる。



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