1995年1月17日の阪神淡路大震災の時、当時、私はNTTで勤めていたのだけど、
その頃のテレビ電話(社内にテスト機があって遊んでた、いや、テストしていた(笑))は、
コマ送りのような画像だった。
けど、それすら
「すごーーい✨」と感動したものだったのよね。
なんせ、震災当時は、世の中にスマホなんてないし
携帯電話すら、手の甲にバンドを通したデカイ機械を、
ほんの一握りの
「しもしもぉ~💕石黒賢?」な
セレブしか持ってなかった時代。
震災当時、神戸市役所横の空き地に、
NTTがライフラインとして電話機を設置して
罹災した人が無事を知らせるために行列したり、
町の公衆電話に行列したのは、
携帯電話がなかったから。
逆に、震災をきっかけに、関西で、
あの荒野の中で
あっという間に携帯電話が広がったのは、
あの被災地では有線の工事を待てなかったし、
避難所や避難先で連絡をとりたかったから。
そして、今のau(当時のセルラー)が
1円で携帯電話を売って市場を広げたのも大きいかな。
たった25年前の話だよって、学生に話す。
ま、彼らはまだ生まれる数年前の話なんだけど。
私も当時、携帯電話を持っていたけど、置き型電話の子機みたいな大きさだったし、
電話することしかできない、単一機能機だった。
今なんて、ほんとに簡単にスマホのアプリ経由で
クラス全員で授業をリアルタイムで受講したり、グループセッションができるなんて
25年前の震災当時の人が聞いたら卒倒するわ。
キャリアを考えるなんて言っても
25年後がどうなっているかなんて、
誰にも想像できないんだから、
いい若者が、定年後の心配なんてしてる場合じゃないんじゃない?