こどもって、素直。って思いこんでいませんか。
本当は、こどもって素直なんですよね。
言いたいことを言い、感じたことを言い、泣きたいときに泣ける、
はず。そう、はずなんです。
でも、5歳を過ぎるあたりから、こどもにも「忖度」が芽生えてきます。
言わないほうがいい。
言っちゃいけない。
言えない。
最近の子どもたちは、集団生活に入るのが早いです。
親の働き方の影響をうけて、早くから保育園に入園する。
集団生活に慣れる、という意味では、早いほうがいいのかもしれませんが、
「忖度」も早く生まれてきます。
「大人が言うことには従うべき」
「みんなと一緒に行動すべき」
なんていう「べき」に従い始めます。
そんな子どもが、良い子?
それって本当?
それって、いいこと?
嫌なコトは嫌だと言いなさい。
やりたいか、やりたくないか、自分で決めよう。
楽しくなかったら、やめていいんだよ。やめるかどうかも自分で決めよう。
何をやりたいか、やることは自分で選ぶか、考えてつくりましょう。
幼稚園の先生だったころは、奈良女子大の故曽根先生に師事し、
絵画制作を通して、「自分がやりたいことを自分で決める」
「人生は自分が主人公、何がやりたいかを決めて、必要なものは自分で取ってきてやり遂げる」という教育をしていた。
何をしたいのか、何がしたくないのか、
完成するまでの見通しを立てて、必要なものと、段取りを考えて、ときには協力者を連れてきて
自分がイメージしたものを作り上げる。それを完成後に言語化して説明する。
そういう人生教育。
先生は大変だったけど、今から考えても、とっても良い教育だったと思うな。
故曽根先生には、
保育者に対して「今日は何して遊ぶの?」と子どもが先生に問う保育は失敗だと教えられた。
そんな毎日が受け身で考えない子を育てていると。
本当にその通りだと思う。
ウチの子たちは違った。
「先生おはよう。今日はこれをして遊びたいから、自由遊びの時間を長くしてほしい」と
こどもからリクエストされる。それに喜びを感じる日々だったな。
保育科の学生たちが、実習にきたときには、ちょっと気の毒なこともあった。
つたない保育実習。学生が一生懸命こどもたちに、遊びを説明しているけど、
楽しさよりも、「やらせ」感が出てしまう。仕方ないのだけど。
すると、しばらくはそれに付き合っていた子供たちが、遠慮がちに私のところにやってきた。
「面白くない。別のことをして遊びたい」
「なんか、わかるわ~。あの鬼ごっこ、どうしたら面白くなると思う?」
果たして、そのつまんない鬼ごっこは、面白くないと感じた子どもからの提案で
ゲーム性をアップしたおもしろい鬼ごっこに変わった。
自分の感情を肯定するから、そこから解決策が生まれる。
それを受け入れる、おもしろいと思う、度量の大きい大人が子どもを育ててほしい。
新学期。
こどもたちは、どんな大人に出会うだろう。