浦川和三郎司教『基督信者宝鑑』天主堂出版、大正8年発行
8-1-1
労働は天主様の御命令
天主様がアダムとエワを御造って、これを楽園に置き給うたのは、いたずらに花に戯れ、月に浮かれて遊び暮らさせる為ではなく、その楽園を耕させるためでした。してみると、労働は人の本分であって、人は暫くでも労働を怠ってはなりません。
労働には、身体の労働と、精神の労働と二様がある。どちらも天主様の眼から見れば神聖なもので、少しも優劣はない。強いて優劣を求めれば、その人その人の意向がどうであるかによって然るのであって、高く聖い意向で以て為せば、どんなにつまらない労働でも、高く聖くなるのだが、卑く賎しい意向をもってすれば、どのような高尚な労働でも、卑く、賎しくなってしまうのであります。
世には働いて働いて、身も心も働き潰してしまうほどに働きながら、それで天国を勝ち得ない人が多い。ただ、抱いているのは、世間的意向、考えているのは、幾分の賃銭だけで、
「天主様の為に天主様に献げてする」
というような観念は一つも持たぬ。
従って、少しの賃金でも手に握れば、それですっかり満足してしまって、仰いで天を眺めようなんて夢にも思わない。
イエズス様のおっしゃった如く、彼らは、
「この世でその報酬を得てしまう」
のですから、天国の為には何一つ残るところがないのであります。
それではせっかく汗水たらして働いて、やっと手に入れた賃金を、穴の開いた財布に貯えるようなもので、入れる一方から、がつがつ出てしまうばかりで、ばかばかしい次第ではありませんか。
たとえ、口を糊する為に働くにせよ、身を富まし、家を興し、国を益するために勤めるにせよ、少し眼を高くあげて天を眺めさえすれば、自分の働きに限りなき価値あらしめ、その流す汗の玉を非常に高く買い上げていただくことは、容易である。
ただ、天主様に向かって、
「主よ、この労働を御手に献げ奉る。
御心を喜ばせ申す為に、主の聖なる思し召しに従うが為に、主の光栄を計り
天国を勝ち得るためにこれを捧げ奉る」
と心から言っただけでも充分なのであります。
で、何事を為すにも、まず、始める前に、
「天主様のみさかえの為に」
という意向を定め、聖母の潔き御手をもってこれを主の御前に献げ、せめて心の中に天使祝詞の一遍なりともとなえなさい。
聖人等は、その為すところを、天使祝詞をもってはじめ、天使祝詞をもって終わるのでありました。働くうちにもイエズス様やマリア様のことを思いなさい。もし、聖母だったら、どんなふうにこの業をなさるでしょう。イエズス様だったら、この場合にはどんなようにお働きなさるでしょう、、、
私は聖母と共にこの業をやりかけたんだから、また聖母と共にこれを終わりたい、、、私はイエズス様の御心を喜ばせ申したい、聖母の御気にかないたい、イエズス様、マリア様と御一緒に働くのに、疲労が何だ、退屈が何だ、こう言いながら働いたら、どんなに辛い労働でも、サッサとやってのけることが出来ましょう。
よろしければ、フェイスブックのカトリックグループにもご参加ください。FBではここと異なり掲載が途切れることもありません。
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労働は天主様の御命令
天主様がアダムとエワを御造って、これを楽園に置き給うたのは、いたずらに花に戯れ、月に浮かれて遊び暮らさせる為ではなく、その楽園を耕させるためでした。してみると、労働は人の本分であって、人は暫くでも労働を怠ってはなりません。
労働には、身体の労働と、精神の労働と二様がある。どちらも天主様の眼から見れば神聖なもので、少しも優劣はない。強いて優劣を求めれば、その人その人の意向がどうであるかによって然るのであって、高く聖い意向で以て為せば、どんなにつまらない労働でも、高く聖くなるのだが、卑く賎しい意向をもってすれば、どのような高尚な労働でも、卑く、賎しくなってしまうのであります。
世には働いて働いて、身も心も働き潰してしまうほどに働きながら、それで天国を勝ち得ない人が多い。ただ、抱いているのは、世間的意向、考えているのは、幾分の賃銭だけで、
「天主様の為に天主様に献げてする」
というような観念は一つも持たぬ。
従って、少しの賃金でも手に握れば、それですっかり満足してしまって、仰いで天を眺めようなんて夢にも思わない。
イエズス様のおっしゃった如く、彼らは、
「この世でその報酬を得てしまう」
のですから、天国の為には何一つ残るところがないのであります。
それではせっかく汗水たらして働いて、やっと手に入れた賃金を、穴の開いた財布に貯えるようなもので、入れる一方から、がつがつ出てしまうばかりで、ばかばかしい次第ではありませんか。
たとえ、口を糊する為に働くにせよ、身を富まし、家を興し、国を益するために勤めるにせよ、少し眼を高くあげて天を眺めさえすれば、自分の働きに限りなき価値あらしめ、その流す汗の玉を非常に高く買い上げていただくことは、容易である。
ただ、天主様に向かって、
「主よ、この労働を御手に献げ奉る。
御心を喜ばせ申す為に、主の聖なる思し召しに従うが為に、主の光栄を計り
天国を勝ち得るためにこれを捧げ奉る」
と心から言っただけでも充分なのであります。
で、何事を為すにも、まず、始める前に、
「天主様のみさかえの為に」
という意向を定め、聖母の潔き御手をもってこれを主の御前に献げ、せめて心の中に天使祝詞の一遍なりともとなえなさい。
聖人等は、その為すところを、天使祝詞をもってはじめ、天使祝詞をもって終わるのでありました。働くうちにもイエズス様やマリア様のことを思いなさい。もし、聖母だったら、どんなふうにこの業をなさるでしょう。イエズス様だったら、この場合にはどんなようにお働きなさるでしょう、、、
私は聖母と共にこの業をやりかけたんだから、また聖母と共にこれを終わりたい、、、私はイエズス様の御心を喜ばせ申したい、聖母の御気にかないたい、イエズス様、マリア様と御一緒に働くのに、疲労が何だ、退屈が何だ、こう言いながら働いたら、どんなに辛い労働でも、サッサとやってのけることが出来ましょう。
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