『他界からの火花 - 煉獄の霊魂の出現』企画:デルコル神父、文:江藤きみえ
◆4、煉獄の段階
煉獄のいろいろな段階について、今話しましょう。
いちばん低い段階には、いちばん激しく苦しむ霊魂がいますが、そこは一時的な地獄みたいなものです。この段階に入る人は、一生涯のあいだ、たくさんの犯罪を犯した人で、最後の瞬間に痛悔をしましたが、つぐないをするいとまもなく死んだ人です。
このような人は、どうして救われることができたのでしょう。それは、親戚や信心ぶかい人のお祈りのおかげまたは、その人が生存中におこなった何かの善のためです。それにしても、奇跡的に救われたといってもよいのです。そのうちのある人は、犯した罪を告白するひまもなく、ただ最後の瞬間に痛悔しただけです。このために地上の人々は、このような人たちは地獄におちたと考えているのです。でも、幸いなことに、神は、その無限のおんあわれみによって、この人たちに、死のまぎわに、痛悔の恵みをお与えになったので、それによって救われたのです。
しかし、このような人々にとって煉獄は、ひじょうに恐ろしく、地獄みたいなものですが、地獄との区別は、ここにあります。すなわち、ここにいる人は、地獄にいる人のように神を呪うのではなく、かえって、自分がふさわしくなかったにもかかわらず、救われたことを心から感謝して、神を祝福しています。
次の段階にいる人は、大きな犯罪を犯していないにしても、いつくしみ深い神に対して、無関心な態度をとって、信者のたいせつな勤めのあるものを守らなかった人々です。たとえば、ご復活祭の聖体拝領を怠ったとか、あるいは他のたいせつな勤めを怠った人たちです。この人たちは、死の瞬間に改心したものの、臨終の前に聖体拝領ができなかったのです。この霊魂たちは、言葉にはいいつくせないほどの大きな苦しみを受けています。地上の人がこの人たちのために祈りをささげても、神はその祈りを、その人の清めのためではなく、別の人におまわしになります。自分たちが無関心だったから、地上の人の祈りによって清められないで、最後までつぐないを容赦なく果さなければならないのです。
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このような人は、どうして救われることができたのでしょう。それは、親戚や信心ぶかい人のお祈りのおかげまたは、その人が生存中におこなった何かの善のためです。それにしても、奇跡的に救われたといってもよいのです。そのうちのある人は、犯した罪を告白するひまもなく、ただ最後の瞬間に痛悔しただけです。このために地上の人々は、このような人たちは地獄におちたと考えているのです。でも、幸いなことに、神は、その無限のおんあわれみによって、この人たちに、死のまぎわに、痛悔の恵みをお与えになったので、それによって救われたのです。
しかし、このような人々にとって煉獄は、ひじょうに恐ろしく、地獄みたいなものですが、地獄との区別は、ここにあります。すなわち、ここにいる人は、地獄にいる人のように神を呪うのではなく、かえって、自分がふさわしくなかったにもかかわらず、救われたことを心から感謝して、神を祝福しています。
次の段階にいる人は、大きな犯罪を犯していないにしても、いつくしみ深い神に対して、無関心な態度をとって、信者のたいせつな勤めのあるものを守らなかった人々です。たとえば、ご復活祭の聖体拝領を怠ったとか、あるいは他のたいせつな勤めを怠った人たちです。この人たちは、死の瞬間に改心したものの、臨終の前に聖体拝領ができなかったのです。この霊魂たちは、言葉にはいいつくせないほどの大きな苦しみを受けています。地上の人がこの人たちのために祈りをささげても、神はその祈りを、その人の清めのためではなく、別の人におまわしになります。自分たちが無関心だったから、地上の人の祈りによって清められないで、最後までつぐないを容赦なく果さなければならないのです。
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