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3-3-2 民のこころ

2018-07-22 01:00:43 | 世界史
『東洋の古典文明 世界の歴史3』社会思想社、1974年

3 詩経の世界

2 民のこころ

 『詩経』には、三百五編の詩があつめられている。
 それは、前十世紀の末(西周の初め)から、前六世紀の初め(春秋の初期)にかけて、つくられたものであった。
 全編のなかばを占めるのが「国風」であって、これは諸国の民謡である。
 村落や都市に住む人びとの恋愛の詩のほか、出征、狩り、まつり、ほめ歌、諷刺の歌など、さまざまのジャンルをふくんでいる。
 ついで「大雅(たいが)」「小雅」とよばれるものが、宮廷や貴族の歌謡であった。
 「頌(しょう)」とよばれるものが、王朝の祖先をまつる歌であった。
 ところで村落の生活は、どのようなものであったのか。
 これを明らかにする資料は、きわめてとぼしい。
 殷代の甲骨文字(こうこつもんじ)による記録や、周代の『書経』はあっても、その内容は、すべて王者や領主に関するものである。
 村落や、庶民のくらしは、ほとんどあらわれない。
 そうしたなかで『詩経』にのせられた民謡ばかりが、三千年ちかくの歳月をへだてて、そのむかしの名もない庶民の心情、そして生活を語りかけてくれるのである。

 邶風(はいふう)「匏有苦葉(ほうゆうくよう)」

 匏有苦葉
 済有深渉
 深則肩
 浅則掲

 有漏済盈
 有鷕(よう)雄鳴
 済盈不濡軌
 雉鳴求共牡

 雝雝(ゆうゆう)鳴雁
 旭日始旦
 士如帰妻
 洽冰米作

 招招舟子
 人渉卭(われ)否
 人渉卭否
 卭須我友

ひさごには にがい葉
わたりには ふかい瀬
深ければ ころも脱(ぬ)ぎ
浅ければ すそからげ

わたりには 水あふれ
雉(きぎす)は 鳴き とよもす
わたり満ちても 軌(しんぎ)はぬれず
雉は鳴いて その牡(おす) さがす

空ゆく雁(かり)は 鳴きわたり
朝の日は 始めてのぽる
士(おのこ) もし 妻をめとらば
氷(こおり)のいまだ とけぬまに

ああ、舟びとがよんでいる
人はわたるも 私は いや
人はわたるも 私は いや
私は あの人を待っている

 しかし、こうした歌も、古代においては、ひとりで、かつどこででも歌えるものではなかった。
 そのころ、歌は一種の呪術性をもっていたのである。歌をうたうためには、人びとがあつまり、きまった儀礼がおこなわれなければならなかった。
 農耕民族のあいだで、もっとも大きな儀礼は、作物の収穫祭である。
 それは収穫についての神への感謝であり、つかれた土地をやすませ、あくる年の豊作をいのるものであった。
 神には新穀や、それで醸造した酒、また犠牲などがささげられる。
 人びとは、神とともに飲み、食い、そして歌い、舞ったのであった。
 「国風」の民謡も、このような場合に歌われたものであろう。
 大地における生産は、人間の生産によって象徴される。
 もしくは、同様のものとしてかんがえられる。
 したがって舞踏の歌の多くは、恋愛の詩であった。
 わかい男女のあいだで、婚約が成立するのも、こうしたまつりのときであったにちがいない。


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