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『ウゴ・ラッタンツィ神父 教会の忠実なしもべ』企画:デルコル神父、文:江藤きみえ、10
世の中は、最悪の状態になっていました。このイタリアも貧しさと伝染病の流行に悩まされはじめました。
ウゴの家族も、その渦中にいました。それでも、ロザリオの聖母の祝日の前日には、父は病いをおして教会に出かけて行きました、明Eiの祝日の飾りつけをするためです。
足場をくんだ少し高い所で飾りつけをしながら、父は、ふらふらっと、眩暈を感じました。とたんに、足をふみはずしたのです、あっという間もありません。みんなが集まってきて、大騒ぎしながら、彼を取り囲みました。
「なあに、たいしたことはありませんよ、ちょっと怪我をしただけです」と、本人は言ったのですが、事実は、そうでなかったのです。
弱り目に祟り目の例えのように、まもなく彼は、村の避病院で惜しい生涯を閉じてしまいました。当年64歳、1918年の10月14日のことです。
ちょうどその頃、ウゴのひとりの叔母さんが家族を慰めに来ていました。
「さあ、みんな元気を出して、病気のおとうさんのために、一緒にロザリオの祈りを唱えましょう」といって、叔母さんは、さっそく先あげをはじめました。
家族は声をそろえ、泣き出したいような熱心さで「天王のおん母聖マリア…・…」と続けていきました。
しばらく、それが続いているうちに、急に先あげの叔母さんが、「めでたし・・・」でなく、「永遠の安らぎを・・・」と言ってしまったのです。本人さえ、なぜそういったか気づかないで……でも、家族は、直感的に悟ったのです、「今、おとうさんは亡くなった!」と。
家族にとって、なんという打撃!悲しみの上に、生活は、ますます苦しくなり、あれから3年とたたないうちに、小さな子どもがふたりも一週間のうちに父のあとを追って死にました。
(フェルモ市の神学校の校長。ウゴ神字生とてのフェデリコの大恩人。後に、コセンツア市の大司教になった。)
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世の中は、最悪の状態になっていました。このイタリアも貧しさと伝染病の流行に悩まされはじめました。
ウゴの家族も、その渦中にいました。それでも、ロザリオの聖母の祝日の前日には、父は病いをおして教会に出かけて行きました、明Eiの祝日の飾りつけをするためです。
足場をくんだ少し高い所で飾りつけをしながら、父は、ふらふらっと、眩暈を感じました。とたんに、足をふみはずしたのです、あっという間もありません。みんなが集まってきて、大騒ぎしながら、彼を取り囲みました。
「なあに、たいしたことはありませんよ、ちょっと怪我をしただけです」と、本人は言ったのですが、事実は、そうでなかったのです。
弱り目に祟り目の例えのように、まもなく彼は、村の避病院で惜しい生涯を閉じてしまいました。当年64歳、1918年の10月14日のことです。
ちょうどその頃、ウゴのひとりの叔母さんが家族を慰めに来ていました。
「さあ、みんな元気を出して、病気のおとうさんのために、一緒にロザリオの祈りを唱えましょう」といって、叔母さんは、さっそく先あげをはじめました。
家族は声をそろえ、泣き出したいような熱心さで「天王のおん母聖マリア…・…」と続けていきました。
しばらく、それが続いているうちに、急に先あげの叔母さんが、「めでたし・・・」でなく、「永遠の安らぎを・・・」と言ってしまったのです。本人さえ、なぜそういったか気づかないで……でも、家族は、直感的に悟ったのです、「今、おとうさんは亡くなった!」と。
家族にとって、なんという打撃!悲しみの上に、生活は、ますます苦しくなり、あれから3年とたたないうちに、小さな子どもがふたりも一週間のうちに父のあとを追って死にました。
(フェルモ市の神学校の校長。ウゴ神字生とてのフェデリコの大恩人。後に、コセンツア市の大司教になった。)
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