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マキシム・プイサン神父「地獄(第二の死と云われる永遠の滅び)」『煉獄と地獄』岸和田天主会教会、1925年
50.告白の大切さ
二、三週間ごとに告白し、出来得る限り聖体拝領をするのは大変良い習慣である。罪悪の痛悔と遷善の決心とを伴う告白、又は成聖の聖寵と篤実の真心とを伴う聖体拝領は、哀憐ふかき、イエズス。キリストよりその霊魂が救われるのであるから真の告白と聖体拝領との二つの方法は、大罪を逃れて、退悪、進善、積徳の一大要務である。
聖体拝領すればする程、善に進み徳を積むのである。善意があれば、一週間に二、三度、あるいは教皇ピウス十世(ピオ十世)の御希望(意向)に従いて、毎日でも拝領すれば最も良いので、大いに霊益をこうむることである。
一人の娘がいた。両親の信仰心があまり熱心でないため、日曜日のみ御ミサに授かることを許されて、その他の日の外出は許されていない。
しかしながらこの娘は四年前より内密で朝早く起きて聖堂に参詣し、一週間に二.四度位聖休を拝領するのである、隣室の両親が目覚めないように、静かに起きておもむろに一時間程かかって着物をととのえ、二階から段を下りる為に、ぬき足さし足して、音せぬように注意するから、三十分も要る、そして出入をするのに細心め注意を払うのであった。
起きた時、隣室の両親目覚めたりと悟ればその日は止めて、翌日に延ばすのである。
その為両親は知らぬ、この娘の熱誠なる聖体拝領と、又拝領せんとする望みとは、イエズス・キリストの聖慮にかない奉り、その果報としてその娘に瀾沢なる聖寵を恵み給うに相違ない。
諸君、その熱心の程度まで進まずとも、自身の救霊を気にするならば少なくとも毎月一度ぐらいは、聖体を拝領するがよろしかろうと思う。
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