われわれが安心して断言することができるのは、「教会は、キリストにならい、あらゆる世紀を通じて、万人に善を施してきた」ということである。もし、諸民族の長たちが、教会の教えとその母心の警告をあなどらなかったならば、社会主義も共産主義も生まれなかったにちがいない。けれども、かれらは、自由主義と俗化主義との土台の上に、他の社会的建物をきずこうと考えた。これらの建物は、最初、強力かつ偉大に思われた。しかし、まもなく、堅固な土台を欠いていることが明らかになった。これらの建物は、みじめにも、次から次へと崩壊して行く。唯一の親石であるイエズス・キリストの上にきずかれていないすべてのものは、宿命的に崩壊せざるをえないのである。
教皇ピオ11世「教会の明瞭な教理」『ディヴィニ・レデンプトリス』1937年3月19日 (岳野慶作訳、中央出版社、1959年、pp.90-91)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/18/7d/2d21438e540409d15e699ee8911d3132.jpg)
教皇ピオ11世「教会の明瞭な教理」『ディヴィニ・レデンプトリス』1937年3月19日 (岳野慶作訳、中央出版社、1959年、pp.90-91)
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