もし、アステカやインカが、スペイン人の遠征隊を撃退していたら、どうなっていたでしょうか・・・?
おそらく、ミシシッピ文化みたいになったでしょうね。この時代、北米にはミシシッピ文化があり、そこには、マウンド・ビルダーを中心とした文明が築かれていました。
おそらく、ミシシッピ文化みたいになったでしょうね。この時代、北米にはミシシッピ文化があり、そこには、マウンド・ビルダーを中心とした文明が築かれていました。
1540年、スペイン人征服者エルナンド・デ・ソトの侵略を受けましたが、撃退に成功しました。しかし、スペイン人達のもたらした疫病によって人口は激減し、文明は崩壊し、民族は以後、四分五裂してしまいました。
帝国は消滅し、その150年後にヨーロッパ人が再びその場所を訪れた頃には、そこには遺跡と移住を繰り返す遊牧民(アメリカ・インディアン)以外は、何も残っていませんでした。
もしかろうじてアステカやインカが征服者を返り討ちにしていれば、彼らも同じようになったことでしょう。アステカの統治は、花戦争や圧政によって、かなりの無理を重ねて成立していました。以前、私は、この文明の目玉を積み上げて築いたピラミッド型の供物と、眼球を取られて目から血を流す隷属部族たちの壁画をある史料で見たことがありました。大学に入る前でしたので、史料の具体名を挙げることができず、申し訳がないのですが。
少なくとも帝国は二つに割れ(史実でも、ピサロが来る前にインカ帝国では旧大陸由来の疫病が流行し、帝王が倒れ、帝国は二分されていました)、5つにも、10個にも割れていたことでしょう。短期間で人口が1~2割になってしまうような伝染病の流行と、それに伴う経済の崩壊、社会の変動の中で、このように残忍な手法で支配下の部族を強権支配してきた帝国が統一を保っていられたとは、到底、思えません。
おそらく、国家は人口を急速に減らしつつ、経済を崩壊させつつ、大混乱の中で5個にも10個にも割れたでしょうし、それは遠からず西インド諸島のスペイン人の知るところとなったでしょう。
おそらく、国家は人口を急速に減らしつつ、経済を崩壊させつつ、大混乱の中で5個にも10個にも割れたでしょうし、それは遠からず西インド諸島のスペイン人の知るところとなったでしょう。
コルテスが敗北すれば、西インド諸島のスペイン人たちは、復讐と再度の遠征を企てたかもしれませんし、あるいは、講和と通商を求めたかもしれません。あるいは、近隣の別の地域の探検を考えたかもしれません。彼らがどの選択肢を取るにせよ、アステカのその後の状況は(アステカ征服後ならインカの)やがて、彼らの耳に入ったでしょうし、帝国が大分裂し、人口も激減して崩壊状態だと彼らが知れば、再び遠征を招いたでしょう。そして、今度は対抗できずに滅びてしまったことでしょう。
歴史で「もし〇〇が▽だったら」以後の流れが大きく変わってしまいそうなことも、中にはあります。しかし、スペイン人の中南米遠征のこの件については、たとえ第一波を先住民側が凌ごうと、以後の流れは、そんなに大きくは変わらなさそうです。
歴史で「もし〇〇が▽だったら」以後の流れが大きく変わってしまいそうなことも、中にはあります。しかし、スペイン人の中南米遠征のこの件については、たとえ第一波を先住民側が凌ごうと、以後の流れは、そんなに大きくは変わらなさそうです。