
「第19課:モーゼの死」『旧約のはなし』浦川和三郎司教
81 12人の偵察部隊
滞留1ケ年の後、イスラエル人は、シナイ山の麓を立ち進んでファランの荒野に入りました。しかし、少しでも道中が困難になるか、飲み水に困るか、食物に不自由をみるかすると、かれらは例によって神様にむかってつぶやき、モーゼに不平を陳したものである。しかし、神様はいつも、ならぬ堪忍をして彼らのつぶやきを聞き流し、彼らが悔い改めるとすぐにその罪をお赦しくださるのでした。
イスラエル人は、北へ、北へと進んで、ついにカデスというところに着きました。もうカナアンの地もあまり遠くはない。モーゼは、各族から一人ずつ、都合12人の偵察部隊を使わして、土地の様子を探らせました。偵察部隊は、40日もかかって、カナアンを南から北へとくままく見回り、ヘブロンの付近からは大きなブドウの一房を切り取り、二人がかりで担って帰りました。そのブドウを民に見せて「それは実に立派な土地です。乳と蜜の流れるというのはウソではない。しかし市街は大きく城は堅固だ。民もなかなか強く、体は馬鹿に大きい。我々をそばに持っていったら、ちょっとイナゴとしか思われない。」と言いました。それを聞いた民は皆大いにおそれ、「ああ、エジプトで死んでいたらよかったのに!むしろこの荒野ででも死んだがましよ。そんな土地へは行きたかないものだ」と、夜もすがら泣き叫んで仕方ない。モーゼとアーロンがいくらなだめても聞き入れない。さすがの神様もついには堪忍袋が破れて、彼らを残らず滅ぼしつくすと言いだしなさいました。モーゼは相変わらず御前にひれ伏して、一心に御憐みを祈りました。しかし、イスラエル人の不平不満の程度もあまりにひどいものでしたから、今度ばかりはそう易々とお赦しになりません。
「汝らの言葉のわが耳に入ったように致すであろう。20歳以上のもので、我に向かって不平不満を言った者は契約の地に入ることはできない。みな、屍をこの荒野に横たえるのだ。ただ、子どもだけを引き入れて、汝らの好かない土地を見せてやろう。あの地を視察するのに40日間費やしたから、1日を1年に見積もり、40年間、汝らはこの荒野にさすらわねばならぬ。」と言い渡しなさいました。こうなってはもう、いたしかたない。民はモーゼに従い、40年の間もファランの荒野をさまよい歩き、エジプトを出るときに大人となっていたものは、ヨズエとカレブの2人を除き、みな荒野の露と消え失せました。
この、ファランにさまよっている時分のことでした。モーゼのいとこにあたる、コレというものが、アーロンの司祭職を奪おうと謀り、ルベン族のダタン、アビロンをはじめ、250名もの大勢を味方にだきこんで、モーゼとアーロンに反対をしました。神様は、懲らしめのため、彼らに厳しい罰をお降しになりました。ダタンとアビロンの2人は、急に地が裂けて、生きながら妻子、家財、天幕もろともに呑み込まれてしまいました。そのとき、コレと250名は聖幕屋の前に立っていたのですが、これも、神様のおん前から不思議な火がでてきて、残らず殺されました。
82 銅のヘビ
月日は流れ、40年の放浪も、いつしか終わりに近づきました。モーゼはいよいよカナアンに攻め入ろうと、民を率いてエドム国境に達し、国王の許へ使者を遣わして、路を通らせてほしいと申し入れました。エドムの王が承諾してくれなかったので、やむをえず南のほうへ大きく迂回をしました。ホルというところへ辿りついたとき、アーロンは死んで、子のエレアザルがかわって大司祭となりました。それからホルを発して南へ南へと下り、焼き付けるような石ころの道を何日も歩かせられたので、民は疲れてへとへとになり、またもや、神様とモーゼに対して不平を言いました。神様は罰のために毒ヘビをはい回らせなさいました。それに噛まれて死ぬものが多数出ました。民は恐れて痛悔し、
「どうぞ、神様に祈って、このヘビを退治してください」
と、モーゼに願いました。
「銅のヘビを作って、さおの上に建てよ。ヘビに噛まれた者がそれを見ると生き上がる。」
と、神様はモーゼにおっしゃってくださいました。果たして、死にかかった者でも、そのヘビをながめるとたちまち生き返るのでありました。
83 モーゼの永眠
モーゼは進んで死海の東北に出て、アモレ人を破って、セオンとオグの2王を斬り、ヨルダン河の東側にあるガラアドの地を残らず征服しました。しかし、自分は神様のおぼしめしにより、契約の地へは入れないことになりましたので、ヨシュアを後継ぎに立て、民を集めて最後の遺訓をなし、神様の御ことばを忠実に守るように、くれぐれもいいきかせました。救い主の御降りになることをも預言して、「主は、私のような預言者をお遣わしになるであろうから、よくそれに従わなければならぬ」と告げました。それから、ネポという山に登り、イスラエル人民にたまわるべきカナアンの青い山、広い野、うねうねと流れるヨルダン川などをはるかに打ち眺めて、神様を賛美し、そのまま永い眠りに入りました。時に歳120歳で、民は30日間その死を嘆き悲しみました。
84 教訓
モーゼはキリストの前表でした。キリストのように神様のおきてをのべ伝え、その奇蹟、その預言、その聖徳の光をもって自分の使命が偽りでないことを証拠だてました。ことに、いつも柔和、謙遜で、どんな無理を言われても、じっと耐えしのび、かえって無理を言った人々のために祈ってやった点などは、実にキリストそっくりと言わなければなりません。
よろしければ、FBのカトリックグループにもご参加ください。
81 12人の偵察部隊
滞留1ケ年の後、イスラエル人は、シナイ山の麓を立ち進んでファランの荒野に入りました。しかし、少しでも道中が困難になるか、飲み水に困るか、食物に不自由をみるかすると、かれらは例によって神様にむかってつぶやき、モーゼに不平を陳したものである。しかし、神様はいつも、ならぬ堪忍をして彼らのつぶやきを聞き流し、彼らが悔い改めるとすぐにその罪をお赦しくださるのでした。
イスラエル人は、北へ、北へと進んで、ついにカデスというところに着きました。もうカナアンの地もあまり遠くはない。モーゼは、各族から一人ずつ、都合12人の偵察部隊を使わして、土地の様子を探らせました。偵察部隊は、40日もかかって、カナアンを南から北へとくままく見回り、ヘブロンの付近からは大きなブドウの一房を切り取り、二人がかりで担って帰りました。そのブドウを民に見せて「それは実に立派な土地です。乳と蜜の流れるというのはウソではない。しかし市街は大きく城は堅固だ。民もなかなか強く、体は馬鹿に大きい。我々をそばに持っていったら、ちょっとイナゴとしか思われない。」と言いました。それを聞いた民は皆大いにおそれ、「ああ、エジプトで死んでいたらよかったのに!むしろこの荒野ででも死んだがましよ。そんな土地へは行きたかないものだ」と、夜もすがら泣き叫んで仕方ない。モーゼとアーロンがいくらなだめても聞き入れない。さすがの神様もついには堪忍袋が破れて、彼らを残らず滅ぼしつくすと言いだしなさいました。モーゼは相変わらず御前にひれ伏して、一心に御憐みを祈りました。しかし、イスラエル人の不平不満の程度もあまりにひどいものでしたから、今度ばかりはそう易々とお赦しになりません。
「汝らの言葉のわが耳に入ったように致すであろう。20歳以上のもので、我に向かって不平不満を言った者は契約の地に入ることはできない。みな、屍をこの荒野に横たえるのだ。ただ、子どもだけを引き入れて、汝らの好かない土地を見せてやろう。あの地を視察するのに40日間費やしたから、1日を1年に見積もり、40年間、汝らはこの荒野にさすらわねばならぬ。」と言い渡しなさいました。こうなってはもう、いたしかたない。民はモーゼに従い、40年の間もファランの荒野をさまよい歩き、エジプトを出るときに大人となっていたものは、ヨズエとカレブの2人を除き、みな荒野の露と消え失せました。
この、ファランにさまよっている時分のことでした。モーゼのいとこにあたる、コレというものが、アーロンの司祭職を奪おうと謀り、ルベン族のダタン、アビロンをはじめ、250名もの大勢を味方にだきこんで、モーゼとアーロンに反対をしました。神様は、懲らしめのため、彼らに厳しい罰をお降しになりました。ダタンとアビロンの2人は、急に地が裂けて、生きながら妻子、家財、天幕もろともに呑み込まれてしまいました。そのとき、コレと250名は聖幕屋の前に立っていたのですが、これも、神様のおん前から不思議な火がでてきて、残らず殺されました。
82 銅のヘビ
月日は流れ、40年の放浪も、いつしか終わりに近づきました。モーゼはいよいよカナアンに攻め入ろうと、民を率いてエドム国境に達し、国王の許へ使者を遣わして、路を通らせてほしいと申し入れました。エドムの王が承諾してくれなかったので、やむをえず南のほうへ大きく迂回をしました。ホルというところへ辿りついたとき、アーロンは死んで、子のエレアザルがかわって大司祭となりました。それからホルを発して南へ南へと下り、焼き付けるような石ころの道を何日も歩かせられたので、民は疲れてへとへとになり、またもや、神様とモーゼに対して不平を言いました。神様は罰のために毒ヘビをはい回らせなさいました。それに噛まれて死ぬものが多数出ました。民は恐れて痛悔し、
「どうぞ、神様に祈って、このヘビを退治してください」
と、モーゼに願いました。
「銅のヘビを作って、さおの上に建てよ。ヘビに噛まれた者がそれを見ると生き上がる。」
と、神様はモーゼにおっしゃってくださいました。果たして、死にかかった者でも、そのヘビをながめるとたちまち生き返るのでありました。
83 モーゼの永眠
モーゼは進んで死海の東北に出て、アモレ人を破って、セオンとオグの2王を斬り、ヨルダン河の東側にあるガラアドの地を残らず征服しました。しかし、自分は神様のおぼしめしにより、契約の地へは入れないことになりましたので、ヨシュアを後継ぎに立て、民を集めて最後の遺訓をなし、神様の御ことばを忠実に守るように、くれぐれもいいきかせました。救い主の御降りになることをも預言して、「主は、私のような預言者をお遣わしになるであろうから、よくそれに従わなければならぬ」と告げました。それから、ネポという山に登り、イスラエル人民にたまわるべきカナアンの青い山、広い野、うねうねと流れるヨルダン川などをはるかに打ち眺めて、神様を賛美し、そのまま永い眠りに入りました。時に歳120歳で、民は30日間その死を嘆き悲しみました。
84 教訓
モーゼはキリストの前表でした。キリストのように神様のおきてをのべ伝え、その奇蹟、その預言、その聖徳の光をもって自分の使命が偽りでないことを証拠だてました。ことに、いつも柔和、謙遜で、どんな無理を言われても、じっと耐えしのび、かえって無理を言った人々のために祈ってやった点などは、実にキリストそっくりと言わなければなりません。
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