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志村辰弥神父『キリスト教について - 神の示しによる人の道』
◆ わたしの信仰体験
わたしの学生時代のことです。ローマの神学校で勉強していたとき、ある年、急性盲腸炎で手術を受けましたが、病状が悪化して局部が化膿し、腹膜炎を併発した上、腸が破れて食べたものがみな腹腔内に流れ出て、それが傷口から排泄されるというありさまでした。医者は、まわりの者に回復の見込みがないと宣言していたそうです。それで、神学校や病院では全員をあげて、わたしのために祈ってくださいました。
ところがある朝、医者が包帯を取りかえるために腹巻を開いたところ、わずかの膿のほか汚物は少しも出ていませんでした。腸の破れがふさがったのです。医者はこの突然の出来事におどろいて、「奇跡だ!」と叫びました。それから傷口が目に見えるほど早く回復して、数週間後にはめでたく退院することができました。わたしが上長のところへお礼に参りましたら、上長は、「あなたの病気がなお治ったのは、こうしたわけがあるのだ」といって、次のような話をしてくれました。
わたしの重態が伝えられたとき、寮の賄いをしている修道女のひとりが、「あのかわいそうな日本人神学生のために身代わりになって、いのちをささげたい。かれは日本の教会の大きな期待を負って勉強に来ています。神父になって日本に帰ったら、どんなによい働きをするかわかりません。かれの使命に較べれば、わたしのいのちなど、ほんとうに小さいものです」といって、神に誓いを立てて祈ったというのです。
わたしはそれを聞いて、感極まって涙をとめることができませんでした。見ず知らずの他人と申しますが、名も顔も知らない異国人から肉身も及ばぬ情を受けたことは、わたしの生涯を逸して忘れることができない感激です。
◆ わたしの信仰体験
わたしの学生時代のことです。ローマの神学校で勉強していたとき、ある年、急性盲腸炎で手術を受けましたが、病状が悪化して局部が化膿し、腹膜炎を併発した上、腸が破れて食べたものがみな腹腔内に流れ出て、それが傷口から排泄されるというありさまでした。医者は、まわりの者に回復の見込みがないと宣言していたそうです。それで、神学校や病院では全員をあげて、わたしのために祈ってくださいました。
ところがある朝、医者が包帯を取りかえるために腹巻を開いたところ、わずかの膿のほか汚物は少しも出ていませんでした。腸の破れがふさがったのです。医者はこの突然の出来事におどろいて、「奇跡だ!」と叫びました。それから傷口が目に見えるほど早く回復して、数週間後にはめでたく退院することができました。わたしが上長のところへお礼に参りましたら、上長は、「あなたの病気がなお治ったのは、こうしたわけがあるのだ」といって、次のような話をしてくれました。
わたしの重態が伝えられたとき、寮の賄いをしている修道女のひとりが、「あのかわいそうな日本人神学生のために身代わりになって、いのちをささげたい。かれは日本の教会の大きな期待を負って勉強に来ています。神父になって日本に帰ったら、どんなによい働きをするかわかりません。かれの使命に較べれば、わたしのいのちなど、ほんとうに小さいものです」といって、神に誓いを立てて祈ったというのです。
わたしはそれを聞いて、感極まって涙をとめることができませんでした。見ず知らずの他人と申しますが、名も顔も知らない異国人から肉身も及ばぬ情を受けたことは、わたしの生涯を逸して忘れることができない感激です。