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3-10-9 帝国の落日

2018-09-25 20:05:21 | 世界史
『東洋の古典文明 世界の歴史3』社会思想社、1974年

10 秦の始皇帝

9 帝国の落日

 二世皇帝は即位すると、趙高の進言によって、公子たちや群臣の粛清をはじめた。
 「文を師とせず、武力に決す」べきこと、というのが、趙高の意見であった。
 「一族を根絶し、大臣をほろぼし、肉親を遠ざけ、先帝の遺臣は、ことごとく追放して、陛下の信任せられる者を近づけるがよろしい」。
 よって二世は、法律をきびしくして、かたはしから罪におとしいれた。
 十二人の公子、十人の公女が、つぎつぎに処刑された。
 獄中の蒙恬(もうてん)も自殺させられた。連坐する者も数知れない。宗室の一同はふるえあがった。
 群臣にしても、諌言(かんげん)すれば朝廷をそしる者とされたから、口をとざして、罪をまぬかれることをもとめるのみであった。人民もおそれ、おののいた。
 さらに二世は、未完成になっていた阿房宮の工事をはじめた。
 天下の人民を徴発し、また各地から食糧をはこばせた。はこぶ者の食糧は、自分で携帯せねばならなかった。
 ついに七月にいたって反乱がおこった。陳勝と呉広が兵を挙げたのである。これに応じて立つ者も、あいついだ。
しかし反乱の実情を報告すると、二世は怒って投獄した。
ある使者は「群盗はつぎつぎに逮捕され、やがて尽きましょう」と答えた。二世はよろこんだ。
 ついで趙高は、李斯がみずから王たらんと欲し、反乱に加担していると、まことしやかに言上した。
 これを知って李斯は上書し、趙高こそ邪悪にして危険の人物なることを訴えた。
 しかし二世は趙高のみを信頼しており、その進言によって李斯を獄に投じた。
 判決がきまると、二世はよろこんで「もし趙君なかりせば、あやうく丞相にはがられるところであった」といった。
 二年七月、李斯は咸陽の市場において、五刑を具した腰斬(ようざん)の刑(鼻を切り、耳と舌と足を切り、むち打ってから、腰を切る)に処せられることになった。
 刑場におもむく時、李斯は次子をかえりみて、
 「お前といま一度、あの黄犬をつれて、故郷の野で兎を追いたかった。
 それも今は詮(せん)ない」といって、父子ともに声をあげて泣いた。
 李斯の一族は、ことごとく殺された。
 翌三年(前二〇七)、趙高は丞相に任ぜられ、事の大小を問わず、すべて趙高によって決裁せられた。
 しかも趙高は自分の権力をたしかめようと思って、こころみに鹿を献上し、「これは馬でございます」といった。
 二世はわらって「鹿ではないか」と、左右の近臣に問うてみたが、ある者はだまったまま、多くの者は「馬に相違ありません」と答えた。
 わずかの者が「鹿でございます」と答えたが、この者たちは趙高から罪におとしいれられ、処刑された。
 このころ、各地の反乱はいよいよ拡大している。
 なかでも項羽の軍は大挙して函谷関にせまろうとし、劉邦の軍は南をまわって武関を突破した。
 趙高は、争乱の責任を問われることをおそれた。
 咸陽の令(いまの都知事)をしている閻楽(えんらく)は、趙高の婿(むこ=養女の夫であろうか)である。
 これと、ひそかに謀(はか)った。
大賊が来襲したといつわり、閻楽に命じて兵卒をひきい、宮中に突入させた。
 閻楽は、二世皇帝の前にすすみ、天下がそむいた責任をとって、自決せよ、とせまった。
 二世は「せめて一郡の地をもらって、王になれないか」と請うたが、ゆるさなかった。
 「せめて、万戸侯(一万戸の人民を領する大名)にでも」、「妻子ともども平民になるから」。
 いずれも、ゆるさなかった。閻楽はいった。
 「わしは丞相の命をうけ、天下のために足下を殺しにきたのだ。いくら言ってもむだだ」。
 ついに二世は自殺した。これを聞くと趙高は、大臣や公子たちを召集し、御璽(ぎょじ)をとりだして身につけた。
 しかし百官だれひとり従う者はなく、みずから宮殿にあがろうとすると、宮殿はこわれるほどに三たび震動した。
 やむなく趙高は、二世の兄の子嬰(しえい)を立てて秦王とした。
 いまや天下は秦にそむく者が多く、領土もせまくなり、皇帝と称するにふさわしくない、というわけであった。
 さて子嬰は秦王となったが、病気だといって政務をみない。じぶんの居所からうごかない。
 ついに趙高が、さいそくにおもむいた。その機をのがさず、その場で趙高を刺し殺した。
 趙高の一族は、みなごろしの刑に処して、みせしめとした。
 しかも子嬰が、秦王となってから四十六日にして、劉邦の軍が咸陽のちかくにせまったのである。`


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