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第16章 19世紀と20世紀

2018-07-26 04:40:31 | 教会史
「第16章 19世紀と20世紀」『聖会史のはなし』浦川和三郎司教

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 フランス革命の後、聖会はどのように立ち直りましたか。

 革命騒ぎはフランスから四隣の国々に広まり、色々の政治的変動が起こり、それが聖会に種々の影響を及ぼしましたが、しかし、聖会は次々にその難関を切り抜けて、雄々しく立ち直りました。

 まず、フランスでは、ナポレオン1世が政権を握るや、国内を平和に一致させるためには、カトリック教会を復興するより外に道がないことを悟り、教皇ピウス7世と談判し、一個の協約を結び、教会から奪った財産はそのまま返さない代わりに、聖職者には一定の俸給を払うことにしました。
 ナポレオンは、「宗教なき社会は羅針盤なき船の如し」と言っていましたが、
しかし、ナポレオンは、聖会でも、教皇でも、自分の政策を遂行するために利用したいということしか考えていないのでした。
教皇が彼の野望の道具となることを拒絶するや、兵を遣わしてローマを占領し、
教皇を捕えてフォンテヌブローに幽閉しました。(1812ー1814年)
それから間もなく、50万の大群を率いてロシアに攻め入り、さんざんに敗北して教皇を囚えていたその同じフォンテヌブローで、自分の退位書に署名させられました。

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 イタリアでは何事が起こりましたか

 これまでイタリアは、いくつもの小さな国に分かれていたのですが、革命党員等はピエモン王を担いでイタリアの統一を謀り、すべての小国を占領した上で、教皇領に迫り、1870年にはローマを奪ってこれを新イタリア政府の首府としました。教皇ピウス9世はローマの一角、ヴァティカン内に閉じこもり、イタリア政府と関係を絶って、最近に及びました。

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 その他の国々には何事が起こりましたか

 ドイツのビスマルクは、文芸闘争を起こして、カトリック教会を圧迫し、司教や司祭を牢獄に叩き込み、自分の意のままにあごの先で遣い回そうとしましたが、それもとうとう失敗に終わり、教皇レオ13世の前に兜を脱ぎました。

 200年来、カトリックを厳禁していたイギリスも、1929年にはカトリック解放令を発して、その自由を認めました。その他、オランダ、スイスなどでも、政府の圧迫が緩むとともに、カトリック教会はメキメキと立ち上がってきました。

 ついに、1869年ローマに開かれた(第1)バチカン公会議では、「教皇は教皇の資格をもって信仰道徳の問題を定めるとき、謬ることが出来ない」と定義しました。

 しかし、この都市、フランスとドイツとの間に戦端が開かれ、フランスの守備兵がローマから引き揚げたのを好機失うべからずとして、イタリア軍はローマに迫り、ローマを占領しましたので、ヴァティカン公会議は中止となりました。

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 19世紀には、どのような誤謬説がはびこりましたか。

 反宗教的思想は相変わらず衰えませんでした。
科学をもって、宗教に代えようとはかり、科学さえあれば宗教なんか必要ない、宗教は科学の敵、それこそ灰色の老人だ、一日も早く葬り去れ、と叫びました。
しかし、その科学は悪人に利用され、今まで見たこともない大仕掛けな悪事を働く道具となりました。

 科学崇拝者の外に、反宗教的新聞、秘密結社等が至るところに起こり、カトリック教会を覆そうとして、力の限り働きました。
 特にフランス、スペイン、ポルトガル等のカトリック国では、政府は皆、秘密結社のあやつり人形となり、陰に陽に教会いじめをやりだし、フランスでは1905年、ナポレオンの時に成立した協約を一方的に廃止して、政教分離を断行し、さして多くもあらぬ教会の財産を巻き上げてしまいました。
 しかし、そのためにフランス教会は政府の干渉を免れ、自由に活動の手を振るうことができるようになりました。

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 20世紀の聖会は、どのような活動を続けていますか。

 20世紀を18世紀と比べるならば、聖会の状態は全く大転回をしていることを見るのです。
 なるほど、無知の大衆が宗教的無関心に陥っているとは否定できませんが、しかし、選り抜きの著作家、博識の学者、奥深い思想家などは、多くキリスト教に復帰しました。特に、第1回、第2回の恐るべき世界大戦の苦い経験によって、長い夜の眠りを醒し、幼児の信仰に立ち返った人はおびただしいものであります。

 なお、教育事業、博愛事業を目的とする修道会が多く設立され、聖徳高い偉人もあまた輩出しました。そのなかでも、聖ヴィアンネ、幼きイエズスの聖テレジアは、世界的に尊敬されています。

 布教事業も従来に見ないほど盛大となり、北アメリカ、イギリス、オランダ等にはカトリックの勢力がムクムクと揚がってきました。

 カトリック教会の長い歴史の間に、現代ほど教皇が尊敬されたこともなく、現代ほど信徒がよく一致団結していることもありません。
 特にイタリアでは、66年来の非行を改めまして、1929年2月21日、教皇とラテラノ条約を結び、教皇をヴァティカン市国の独立君主と認め、また、同時に和親条約を結んでイタリア内ではカトリック教会がその精神的権利を完全に実行することができるように定めました。

 結び--
 20世紀において聖会は、よくその剛健にして結実豊かな偉観を呈しています。過去はその将来を保証することを思いますと、我等はいよいよ希望に満ちた前途を仰ぐことができます。


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