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3-3-4 世はうつる

2018-07-24 05:00:48 | 世界史
『東洋の古典文明 世界の歴史3』社会思想社、1974年

3 詩経の世界

4 世はうつる

 村落のまわりには、土塁がめぐらされていた。
 それは、まず黄河の氾濫からまもるためのものである。
 ひとたび黄河が決壊すれば、広大な平原が水におおわれ、のちには時として淮水(わいすい)とも合した。
 したがって、その流域における村落や都市は、おそろしい洪水から身をまもるために、土塁をめぐらす必要があった。
 また、この肥沃な黄河の平原は、つねに四方の異民族からねらわれた。
 しかも森林や山地がすくなく、ふせぐ力にとぼしい。
 したがって土塁は、住民にとって自衛の手段でもあった。
 水害がながびくとき、また異民族から追われるときには、他の土地にうつるほかはない。
 しかし、そこにはすでに先住の人びとがいる。
 そのなかに割りこみ、争いに打ちかつためには、集団の結束をまもりぬくことが必要であった。
 そのような秩序を維持し、集団としての機能を円滑にするためにうまれたのが、「礼」であった。
 礼とは、生活の規範ともいうべきものである。
 集団のきずなとなったものは、いうまでもなく血縁である。それも父系の血縁である。
 そうした血族の純粋さをたもつために、同族のあいだでは婚姻がおこなわれなかった。
 しかも女性は、結婚してから後も、実家とのむすびつきがつよく、実家の「姓(せい)」をなのる。
 この「姓」こそは、父系の血族をしめす称呼であった。すなわち同姓は婚せず(同姓不婚)である。
 やがて「姓」の下に「氏(し)」があらわれた。
 これは、住地や官職によって名づけられたものであり、分家することによって、かぎりなく変化する。
 おおむね男は「氏」をなのった。
 さらに後世には「姓」と「氏」との区別がなくなり、同姓の不婚は、同氏の不婚にかわってゆく。
 さて中国の歴史においては、前十一世紀の後半に、いわゆる殷周の革命があった。
 しかし、これは王朝が交替したにすぎない。
 支配の層に変化はあっても、社会そのものに変革があったわけではなかった。
 ところが前八世紀に西周の天下がくつがえって、いわゆる春秋時代をむかえるにおよび、中国の社会にも、きわだった変化がみえはじめる。
 そうした変化は、民謡の世界においても、うかがえるのである。
 前七世紀ごろになると、いきいきとした行動的な歌がなくなって、感傷的で、象徴のどあいがふかくなる。

 秦風「蒹葭(けんか)」

 蒹葭蒼蒼  白露為霜
 所謂伊人  在水一方
 遡洞従之  道阻且長
 遡游従之  宛在水中央

 蒹葭凄凄  白露未晞
 所謂伊人  在水之淵
 遡洞従之 道阻且躋
 遡游従之  宛在水中抵

 蒹葭采采  白露未已
 所謂伊人  在水之?
 遡氾從之  道阻且右
 遡游従之  宛在水中沚

葦(あし)むらは 青きに  白露は霜にかわる
あわれ かの人は  水のかなたにあり
さかのぼりゆかんとすれば  道へだたりて遙かに
川わたり ゆかんとすれば  そぞろ 水の中ほどに

葦むらは 茂れど  白露はかわらず
あわれ かの人は  水のほとりにあり
さかのぽりゆかんとすれば  道へだたりてとおく
川わたり ゆかんとすれば  そぞろ 水の中洲(なかす)に

葦むらは 勢(いきお)えど  白露はおきやまず
あわれ かの人は  水のながれにあり
さかのぼりゆかんとすれば  道へだたりてめぐり
川わたり ゆかんとすれば  そぞろ 島のあたりに


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