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永井隆「空の鳥」『この子を残して』

2016-07-25 06:34:47 | 格言・みことば
永井隆『この子を残して』(著者は医師・医学者、長崎で原爆に被災、カトリックに改宗)

空の鳥

 イエズス・キリストの言葉を聞こう。

「五羽のすずめは四銭にて売るに非ずや、しかるにその一羽も、神のみ前に、忘れらるることなし。なんじらの髪の毛すら皆算えられたり、ゆえに恐るることなかれ、なんじらは多くのすずめにまされり」

 この言葉を聞いて安心しない者があろうか? 神にお委せしておきさえずれば、誠一もカヤノも絶対に大丈夫である。

 一羽一銭の値打ちもないすずめ、なんの役にも立たぬちっぽけなすずめ、屋根からこぼれる木の葉のように庭におりると、きょろきょろと右を見、左をうかがい、ガラス戸越しに私から見られているとも知らず、人間もとんびもおらぬと安心をし、ひとつ大あくびをしてから、ぴょんぴょんとむしろのほうへ行き、干芋をつつき、三ツつついては首をあげて空を警戒し、また二口ばかり芋をつつき、雲の影がすうっと通りかかったのにおびえてパッと飛び立ち、口にくわえた干芋をあたら落とし、仲間と羽をそろえてあわただしく畑の上をひとまわりして帰ってくると、物干しざおに三羽並んでとまり、チュンチュン鳴き交わし、三羽すり寄り、大きいほうが負けて横へ横へとおされるうち、一羽はチュンと叫んで逃げ、残る二羽が仲よくあくびをし、片脚をのばして羽をつくろい、やがて目をつむってしゃがみこむと、ぷっくらふくれてうたたねする。

 この一羽のすずめの、足の動きひとつ羽の動きひとつ見逃さず、神はじいっと愛の目をそそいで守っていらっしゃるのだ。お忘れになることはないのだ。なぜなら、その一羽を神はみずから愛によって創造なさったからである。つまり真の大親だからなのである。

 すずめさえ、このとおり、ましてすずめにまさる人の子の誠一とカヤノ、なんでお忘れになることがあろう? 片時といえども神の愛の目が外れることがあろうか? 

 この子の髪の毛の数さえ神は知っている。それもそのはず、神がその髪の毛の一本一本、愛をこめて創造なさったのだから・・・。誠一みずからでさえ、己が頭に幾千幾百本の髪が生えているか知らない。それは誠一が髪の毛をつくったのではないから・・・。父の私もその数を知らぬ。私は創造者ではなかったから・・・。スェーターの編み目の数を覚えている人は、愛をこめてそのスェーターを編んだ女性だけである。着ている子は知らず、もらった父も知らない。

ー このスェーターに対して、いちばん深い愛着を感じている人はだれであろうか? つくってくださいと頼んだ者か? 着ている者か? それともつくった者か? ーつくった人である。

 誠一をいちばん愛しているのはだれであろうか? 誠一自身であろうか? 父の私であろうか? それとも創造看たる神であろうか? 誠一みずから己が頭の髪の毛の数を知らず。私に至っては髪どころか、虫歯の数さえ調べておらぬ。誠一を愛していると口にも言い心にも思っている私が、その実このような不完全な愛しか持っていない。地上においてこの子をいちばん愛している私でさえ、このくらいのところ一。それに比べて、髪の毛の一本一本にまで忘れ得ぬ愛情をつないでいる神のその愛のこまやかさ、深さ、大きさ! 真にわが亡き後、安心してお委せできるのは神ー天にましますわれらの父である。そして神は、改めて私どもからお委せしたりお願いしたりするまでもなく、初めからこの子を抱いているのである。

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